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  源氏物語「葉」
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|TAU JUN 11|166mm x 52|シガーオンライン|$490/10|重量:+1( 15.92g)|算出:+4|香味:+4|計9点|

うむ、うむ、うむ、うむしか言わせない葉巻とはこれのことかね。う、うむ。
焼芋とは異なるコイーバの風味で有が、喩え有ば焼芋の皮だけ喰っているようで有。しかもその皮が奇蹟のお品のように濃厚で有。コクが無のに、コクを塗り潰すぐらいひたすら香が濃厚で有。この事はこれまで燻らせたELに共通の事で有、此処は極小ながら情報サイトとしても機能して有為、定期的に「ELにまったりとしたコクを期待して買ってはいけないので有、ELに期待すべきはラッパーに包まれたバインダーの中の水で有」と書いておかなければならないので有。それにしても濃厚な香りで有、今有がこの葉巻の濃厚さの全盛期かもしれないので有。凄みは有ものの、けっして美味しくは感じ無たもので有。有無、残二本で無で有。
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|MES JUL 11|5.6 × 54|coh-hk|$396/10|重量:+1(15.01g)|算出:+6|香味:+5|計12点|

 午前一時過ぎ、月出。そして寒い。昼から寒く、何か無性に懐かしかったが、何が懐かしいのかわからなかった、肌寒さそのものが懐かしいというものでもないらしく、肌が秋を感じるのでもないようだった。秋を懐かしむにはあまりにも香りが欠落しすぎているのかもしれない。おとといの暑さと、今日これからの暑さに挟まれてはいた。
 昼からBHKを燃やすつもりだった。
 52、54、56と、蓋を全部開けてみて(厳重梱包なので結構大変)、全て3本ずつ残っていた。54だけ白カビ多発、保管条件は同じ。
 カビているから54に決めたのだが、いらぬ心配で、もうはじめから王者のコクがある。イカ墨スパゲティーなどの「黒い〇〇」が黒い味であることは絶対に(?)ないのだが、この黒色のない葉巻からは黒いコクがただならぬ雰囲気で漂う。焦げの風味でもなさそうだが、かすかに焼芋を連想させ、皮の風味の奥に、甘やかさがたっぷりと息づいている。
 ドローは軽々として、逆噴射で吹き矢が飛びそう。
 以前から「54は炭」と書いていると思う。素朴な炭にしては果実が爛熟し、花の派手さが増して来る。金木犀がラッパから底抜けに明るく響き出た初回の52を思い出すが、あれに黒さはなく新品の金管そのものだった。これも煌びやかに噴出しそうになるものの、黒いコクの層も厚い。花は地表の割れ目に光るマグマのように妖しいままである。
 黒さが茶を帯びてくると、判然コイーバ特有のナッツ盛りで、しかしコイーバ特有の草の緑が感じられない。酸味なども皆無で、王者の最盛期でしかなくなり、さらには王者が紅茶を嗜み始める。紅茶というのはあるいは緑の兆しなのかもしれない。それでもこの紅茶は紅茶と珈琲のブレンドである。なお紅茶にも珈琲にも合うお茶請けの味が濃い。むしろこれはお茶請けで、お茶請けが不在の紅茶や珈琲の幻を見せるのかもしれない。
 濃厚な焚火の美味しい香り。落葉が焦げている、やはり。52、56にはこの黒さがないように思っている、相変わらず。ナッツや紅茶にて56に、金の花にて52に、正体はかわらず54の炭らしい。極度にペーストされた炭。ねればねるほど色が変って今54は5256の利を奪いつつもあるという、三国志で言えばそうだなあ、そうそうだなあ。

 カルバドス(デュポン1977)は合う合わないといえば合うのかもしれないがちょっと味が分かりにくくなる。赤ワイン(ボルドー、シャトー・オー・カルル2012)の果実味は合う。葉巻がワインの渋みを和らげるほど柔らかく甘い。蒸留酒は2種類の花がせめぎ合ってしまう感じがした。赤ワインを殺さない、赤ワインに殺されないが、ハム(高級)やサラミ(高級)は殺していた。

 終盤そうそう、マグマではなく胡椒が噴出する。ハムに大量の胡椒をまぶしたからか。こうなると赤ワインが重要なつなぎ目を果たすようだ。
 最終盤、カルバドスのアルコールの辛味が胡椒をより心地よく引き立てる。渾然一体、引き立てつつ液体が辛味を和らげもし、香りの饗宴となる。ここに来て黒いコクもが丁寧ながらに暴れるのである。黒い黒いといってもマデューロ臭さからは程遠い、程よい湿感を保っている。(マデューロは湿気過ぎにして乾き過ぎの味をも伴う嫌いがあります。)
 ついに、これが煙であることを忘れていた。初心に帰れば「これが煙とは思えない」というところ、煙の意外さよりも、煙に抱く想像内の最上の味というほうが精妙な気がする。そのほうの極点に堂と座っている。

 サイズも春にしだる夜にちょうど良い。酔いがまわる頃に葉巻も終る。
 灰すら美味しいものに思えて、この灰を明日の朝食に混ぜてみようかと。ピーナッツバターに混ぜてパンに塗ると美味しいヨ。

 前回の記事を調べると2年2ヶ月ぶりだった。
|MES JUL 11|5.6 × 54|coh-hk|$396/10|重量:+1(15.29g)|算出:+6|香味:+5|計12点|

 色々な味の飴を5個ぐらい口に放り込んでいるような気になる。煙だからというわけでなく、芳醇にして軽い。苺味の飴が苺ではないように、また何味かわからない飴のように、また飴もない。
 ふと薔薇味の飴が口に飛び込んでくる。はっきりと煌びやかに。草と果実の感覚が一時絶妙な融和を見せたものだろう。
 カフェオレ感がないのにカフェオレ感があったり、それにより紅茶感がこれまでより希薄かもしれないが、草はマスカテル香かとも思えるし、薔薇は熟れた紅茶のふくよかな甘さを伴う。葉巻から薔薇の花が咲くなんて初めて。香の妖艶な饗宴が嘘のように広がる。
 これまでになく甘く、葉巻の主成分である金木犀が出ているにもかかわらず薔薇の香りやフルーツの甘さに塗り潰されている。フルーツなどとは言ってみるものの、薔薇以外に何かの味がしたりせず、何か見知らぬ一体のものになっている。
 ナッツやカフェオレに繋がるコイーバ特有の岩味は前半薄いが後半岩の重量を増す。すると金木犀が王座を取り戻すが、香味の量が倍になっただけで、衰えるものがない。雑味がなくて、焦がしキャラメルにも苦味がない。
 BHKはこれまで煙量が少なかったが、重量が軽いからか煙が豊富に出る。重量がどこまで味を変えるのかわからないが、前回()に増して凄かった。変化というも変化を隠すぐらい濃密で、20gぐらいの大物だったような気がする。終盤三分の一は衰えるが、それまでが長大だった。天上の心地になってしまって、「長大」を「長大な絵巻」などともしや書いても、絵が無いほど美味が押し寄せた、その絵を思い返すだけで笑ってしまう。波に呑まれて顔を出した瞬間にもう一つ波に襲われたら窒息して死んでしまうが、波が逆さの天井吊であった。

 残3本
|MES AGO 11|6.5 × 56|cigarOne|$508/10|重量:+2(19.03g)|算出:+2|香味:+3|計7点|

 在庫を調べると 56=残5 54=残4 52=残3 記事を遡ると丁度一年間いずれのBHKをも燃していない事態に気づく。これだけでも56に着火する条件は整っている。なお、未だ正月気分は消えていない。
 深い、濃い、渋い、甘い、苦い。土、草、岩。ファンシーな味、炭酸のような。「葉巻の全てが此処に宿る」と言ったら大袈裟だけれど、もう他に何も要らない。「純然たるコイーバ」というのもおかしいけれど、単に綺麗なコイーバにあらず、岩などが円く磨き抜かれているのは当然としても、雑多な苦味や辛味もが磨かれて岩に塗り込められている。辛さは序盤で終るものの、安価な葉巻にもある細かな変化が此処にもあり、此処にあっては葉巻の造りの見事さにしか感じられない。不味いはずの藁もが絶妙に吹いたりする。コイーバを「葉巻の王様」といっては扁平だけれど、これは数多の王の中でも王然としているようである。煙の感触が毛足の長い天鵞絨のようにモフモフとして、香ばしく焼けた完全な甘栗を思い出す。一個一個剥くのが面倒な甘栗の、剥いちゃったものを五個ぐらい頰張る感覚に、嵩は煙の薄さ。
 ただ、恍惚感が全く無い。王然の王でしかない。
 後半、バーストを期待するが、どちらかといえば尻窄む。緑豆もやし感。
 「前半の期待感にのみ了る葉巻」といってしまうのが躊躇われるほどに前半だけでも美味しい前半ではあった。
 終盤、バーストを始める。焦げの苦味、どちらかといえば雑味っぽいが、まだ崩れてはいない。
 崩れつつ持ち直しつつ、次第に花が岩の模様を離れて舞い始める。少ない。
 悠揚迫らないものだが、小気味足りず、この贅沢な口径に無理があるのかもしれない。不味いのか、大吟醸酒が合わない。
 岩味の確かさはエアーズロック級に腰を据えている。これがコイーバであることは、よほどの味音痴でもなければブラインドでもわかる、胡麻と海苔ぐらい違う。しかし海苔は胡麻だとわからないほうが美味しく感じるのかもしれない。
 残5センチで完全に衰える。かと思ったがやっぱり衰えず、これは思わせぶりがしつこいだけである。……結局思わせたり思わせなかったりが、安定して根元まで続く。
 人というものが結局は人に過ぎないようなものなのか、高みを目指して本当の背丈を覚える高さ、これぞ王のなせるわざなのかもしれない。雑魚が頑張ると昨日のシグロのような中毒を引き起すのである。ということをこの葉巻はひとりでに語っているらしい。
|箱不明|5 1/8 × 42|cigarOne|オマケ($16)|重量:−1(10.05g)|算出:+3|香味:+3|計5点|

 夢のような調子に乗ってBHKなんかに親しんでいる所為か、これを荒く感じる。偉そうに。
 荒さは、岩を見せないほど荒いが、岩ミルクのコクが出てくると和らいで、岩の出現とともに岩肌が瑪瑙のようなまろやかな甘さに磨かれる。瑪瑙が花模様をも描く。心地よい程度に荒さを残して、時々辛味が走る。
 「シグロシリーズ」と一口に言ってもⅥの柔らかさに比べてⅠ・Ⅱはずっと荒い。口径差だけでなくかなり配合を変えているのではないかと思う。(ⅢとⅤは未経験)
 ただ、いずれも紅茶ではなくカフェオレ方向に倒れている。と思ったら、紅茶が出てきた。荒さは紅茶の方に親和性がありそうだがなぁと思った矢先。この思いが味を変えたのかもしれない。マスカテル香を犠牲に重厚な果実を蓄えたダージリンの深み。コイーバは草もあるのだが、この紅茶は夏摘か秋摘で、春摘の青さもあまりない。
 久しぶりのレギュラーコイーバに緊張しつつ、荒く始まり、序盤過ぎて流石に美味しい。旨味の強さが昨日のコイーバ似の新生ベゲロスとは比較にならない。パルタガスと双璧の旨味に、芋対栗の対決が望まれる。
 シグロは外れてばかりだから、これでも当りだと思ってしまう。恍惚へはまるで届かなくも、根元まで安定しているし。でも小さくてすぐ終ってしまう。美味しい所為か、誰の所為かわからないが、他の小さな葉巻には感じない物足りなさが残る。明日早速BHK56に着火したくなるような、今日すぐそうしたくなるような、危険な味わいである。でもBHKは荒さがなくてつまらないかもしれない。思い出すほどに恐く、コイーバ中毒が始まるような味わいだった。
 美味しい葉巻はどれも大吟醸酒が合う。できれば16度以上の重厚な大吟醸。
|TAU JUN 11|166mm x 52|シガーオンライン|$490/10|重量:+1( 15.04g)|算出:+2|香味:+3|計6点|

 パナテラの巨大化、と毎度同じ事を思うけれど、この葉巻は粗鬆気味であるから、密度の高いパナテラに失礼かもしれないし、また、ほんの時々マデューロシリーズ寄りの風味を感じ、また、ほんの時々強大なコクが現れるも、始終「吾輩はコイーバである」、これしか言わないような葉巻である。それだけが濃くて、花が咲いても何も起らず、ほか全てがすかすかして薄い。これでいいのかもしれない。変化も要素も全て存在しないか、全てがその文言に覆われて隠されてしまっている。根元まで安定してその文言しか言わない。中身の無い厚顔とも思うが、安定度は凄く、残2センチまで一貫して平然と一文言のみがつづく。

 残3本
|MES AGO 11|6.5 × 56|cigarOne|$508/10|重量:+2(21.66g)|算出:+2|香味:+3|計7点|


 高級品だからって、全部当るとは限らない。大ハズレもないけれど。先日の54の巨大化を目論んでいた為に肩透かしも大仰になる。
 先日の54は特別紅茶だったのか、これは紅茶よりも珈琲寄り。するとカフェオレ感も出てきて、ミルクに岩を溶かしたような濃厚な風味になる。だがそうなると酸味も出てきてしまう、経験則だが。フットが膨張して裂けていたし、酸味は重量過多に因るかもしれない。
 煙の出方や変化の仕方は先日の54と驚くほど同じ。
 香味はどうも56が一番レギュラーコイーバに近い気がする。

 残5本。
|MES JUL 11|5.6 × 54|coh-hk|$396/10|重量:+1(17.21g)|算出:+6|香味:+5|計12点|

 紅茶と花が、楚々と馨っている。煙も少ない。
 当初味わった硬い墨の風味は姿を消して、複雑というには綺麗な纏まりに変っている。
 紅茶と花と岩。紅茶に砂糖少々。岩は瑪瑙よりも円く、それとなく全体を覆う。
 杉や荒野といったものは一切見えない。オブラートを挟んで舌の上を浮く滑らかさ(トリニダッド)とはまた違った、オブラートの味わいのようなまろやかさがある。オブラートの上には何も無く、まろやかなまま、雑味が一切出ない。
 変化しなくて良い。現に変化しない。
 驚きの安定度で、灰も落ちず(落ちるけれど)、変化といったら、徐々に煙の量が少しは増すぐらい。2gほど重いようだが、吸い込みが固い感じもあまりしない、しかも徐々に開く。
 花は金木犀のように芬芬とは匂わず、慎ましやかに始終咲いている。紅茶の湯気の中に。

 始めから終りまで同じ味、高級な味。これほどの味のハバナ葉は他に無いといった感じがずっと続きつづける。要するに今までで一番美しい味がずっと。最々終盤まで肺喫煙可能な軽妙さ、葉巻自体が煙を出し惜しんでいるような、埋蔵金の夢の心地。

 つい八時間前の出来事なのだが、あれは、これは何だったのだろう。

残四本
|箱伝不明|5 1/2 × 52|Cigars of Cuba|$186/10|重量:+1(14.39g)|算出:+5|香味:+4|計10点|

 一口、甘くて旨くて懐かしい。はじめから走っていた、とでもいうような速度の地球に乗っかって、どんどん加わる。分析するとまるで朝食を思わせる「バニラ・草・パン・ジャム」なのだが、一体化した凄味、独特の深みはレシピ不明の夜のフレンチソースとしか言えない。コイーバの岩の深みとマデューロの深みとは言えるのだが、それはそのまま、連想を切断する貌がある。何だか胡散臭くて奇妙で不思議と信頼できる者であると思っていたら、彼は私だった、というような。
 熟成で味がガラリとまで変わる事はなく、濃くもならず、薄く枯れもせず、あるいはこの十本目が一番美味しいかもしれないにしても、ハズレもなく、ずっと同じ葉巻のまま安定した存在でいる。味の構成はセクレトスも一緒だが、やはりこのヘニオスの方が大らかで、面の皮の薄さを感じる。
 微かなミントが利いている。チョコ味は案外全くしないものの、チョコの濃さを爽やかに仕上げる。
 中程も過ぎると、俄に開く花が、「寒夜の月下美人」という存在しない植物として、キューバの昼と日本の大晦日付近の夜とを変梃に繋いでしまう。
 萎れる一輪とてなく咲きつづけ増えつづける。熱くて持てなくなるまで。……といえば大袈裟で、残三センチで死形を現す。死形までも美味しい。

 一箱終了。一本目から四年半、たったの十本なのに、これほど長く持っていた箱ははじめて。それはそう、一年に一本で充分の味、なんだか大晦日付近にのみ相応しい葉巻だった。クリスマスでもなく大晦日でもなくその間。その一週間に満たない時機を逸し、三年ぶりに火を点けたヘニオスだったのかもしれない(見返せば前回の記事が三年前なので)。「薄く枯れもせず」と書いたけれど、どうも軽くはなっているようである。
|SMO JUN 11|4 4/5 x 50|coh-hk|$258.40/25|重量:0(12.50g)|算出:+4|香味:+3|

 三年経ったコイーバのロブストとは如何なる物なのか、黄色いような赤いような斑の無い独特なカフェオレ色のようなミルキーな色が恰好良くも見えます。まるで夕焼けを見ているつもりが何も見ていないようです。
 三年で枯れるような事もないでしょうけれど、ビオフェルミンをともなう薄口に始まり、もう花やか。ほどなくお約束の、岩を挽き砕いたようなコクが出てきます。
 吸い急ぎすぎたのでしょうか、火種はちゃんと点いているのに、剣のつく赤い峠は見なかったはずですが、気づけば溶岩はもう冷えて黒々とした剣のつく峠が葉巻の先っぽに残り、風に風穴が開いたように風景が荒くぼやけます。そこで丁度咽が渇いてきたのでカクテルを作って戻りますと、嶮しい岩に花が咲きます、大量大輪です。岩もがっしりとしました。嶮しい岩です。
 甘くなります。まろやかになります。花がミルクに融けてしまったようです。岩もキャラメルみたいに平べったく融けてしまいました。
 でぶでぶ 百貫でぶ 車に轢かれて ぺっちゃんこ
 こんな唄を思い出します。本当はもっと詩情の豊かな唄を思い出したいふうですが、私の頭には記憶力というものがありません。カラカラと鶏の風車のように未来に尻を向けて回転するばかりです。風の向って来る方が未来でしょうし、そんな風車が何処にあったかはわかりません。比喩なんて空っぽなものではないでしょうか。好んで空っぽな比喩を作っているのでしょうか。
 今度は火種が消えて、また点火すると、岩に咲いた花にまた戻ります。記憶しないのに、また戻ると言って、良いのでしょうか。定規のように、棒に時間のメモリが付いているとしたら、曲がった定規です。これでは葉巻のような葉巻というのと変わりありません。定規のような葉巻ではないようですが、私は戻った先の葉巻の味をもう忘れているのに、また戻ると言っているのです。
 私はまたカクテルを作って戻りました。と一口、金木犀が咲いたのです。少し、二口三口で金木犀を飲み干してしまいました。カクテルが金木犀の風味だったのでしょうか。葉巻を休める、口と鼻も休めて、口をカクテルの液で爽やかにします、すると本当に少しですが、全く新鮮な秋風の煙が立ちます。カクテルの味は、変わらないレシピで出来ています。
 でも、こうして見てみますと、景色に煙っぽさが出たのは、剣のつく峠の時だけでした。風に風穴が開いたようにという比喩がもし奇を衒わずに上手ならば、美味しい時ばかりが美味しいのでもないようです。
 記憶にありませんが、百貫といったような、ぺっちゃんこな唄ははっきりと憶えているようです。でも
 ぺったんこは煎餅 煎餅は甘い 甘いは煎餅 煎餅は辛い 辛いは……
 こんな唄を思い出します。
 三年物がどういう事なのか調べるのも忘れて、最初がちょっとビオフェルミンだったのを思い出して、二十五本目がいつの間にか終ってしまいました。

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