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  源氏物語「葉」
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|coh-hk|$193.50/25|2012/2/3・arr 2/8|
|TEB SEP 07|6.8 x 43|13.52g(-g) |香:2.2~4.0 ave2.7|残0|

 12年(購入後7年)近く経ってもドロー難は無変化。月日が解決するものではないらしい、12年程度では。
 火種から立つ煙に懐かしさを覚えるが、ハバナの記憶ではなくて、新世界葉巻の記憶の方である。ジンを舐めた途端にジュニパーがツンとくるような感じ。吸引した方の煙の味は安心のハバナ風味といったところ。これは何を意味しているのだろう。
 染みっぽい草の味、えぐみの効いた太く重い木に、相反して軽い藁や乾いた汗の臭さ、これらを含む全てが化粧パウダーで甘やかに優しく包まれている。
 汗が花を邪魔したり、出しゃばるなといいたくなる場面多々延々。
 12年の枯淡味と古さに関わらない懐かしさがあって支離滅裂な記憶の機微のない饗宴となり、よくわからないが静かに吸い進めるしかない。割と美味しいと思いつつ。
 「燻らす」とか、「香る」とか、そういう恰好はなくて、この固い葉巻は懸命に吸引せねばならなくて、「吸う」という言葉しかない。吸っても吸ってもあんまり出てこない。
 落ち着いた土味もある気がするが、感じにくく、感じようとすると木のえぐみが揮発する。それなのになんだか美味しいのはどういうわけなのだろう。
 「懐かしければ花」という諺か何かだろうか。つまらないワインを熟成させればこんな思わせぶりな物になる。熟成というより、枯淡の誤魔化しで、不味さが薄まったような。

 ワインという言葉ついでにジョセフ・ドルーアンのA.C.ブルゴーニュを抜栓し、ちょっと口に含んでみた途端に葉巻が華やぐ。前回抜栓した時も同じだったのだが、この高くも安いワインはどうも本当に「葉巻の救世主」と呼びうる代物らしい。葉巻の渋さを覆つつさらに葉巻の美質を高め(とくに花が増える)、ワイン自体も苺の甘やかさが高まって渋みが減る。
 高級生産者のA.C.ブルは二つの意味でいただけないし、高いワインが煙で死ぬのも嫌だから、安定のドルーアンで何も文句はない。なにしろ近所でいつも売っている。単体で飲むと締まりのないワインだが、そのかわり色気は少しある。

 汗味のカスタードがなぜか悪くない。悪くないことばかり起こる。やがてカスタードに代ってココナッツも出るが。
 結論は、インメンサスは特別美味しいものではない。確実にそうなのだが、いや、美味しいのか。
 最後のほうにカレー系のスパイスを感じさせる。
 もし美味しいとすれば、ここに書き残せなかった芯が一本通っていると思うべきである。
 最後、コイーバ級のコクが黒くてまろやかな苦味を伴い現れる、ここが絶巓である。「パルタガスの終盤」というようなものは美味しいのだが、とくべつ終盤フリークでもないから、かくも最終盤に美味しく感じたのは初めてというぐらいの衝撃である。これまでの汗臭さが今や甘美の布石に変じ、記憶の書き換えが起ったかもしれない。当然、熱による薄荷作用がすぐに訪れる。胡椒の花。序盤がこれだったら後はどんなに美味しかったことか。残3センチ以下になればドロー難はもう消失してい
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|MUR OCT 13|6 2/5 x 54|coh-hk|$156/10|重量:+2(19.05g)|算出:+5|香味:+4|計11点|

 優しさに懐かしい味わい。何を懐かしむのかはよくわからない。
 葉巻を使って居ながら葉巻を懐かしむ、これは普通の懐かしみ方で、久しければ起る。久しくもない藁置場が懐かしいとかいう方がやや普通でないのだが、たしかに此処には前者の懐かしさがあって、ただ、それがどの種の葉巻なのか、ぼやけている。そこがあまり普通でない。音楽が聞こえて、これ誰の曲だったっけ? というもどかしさぐらいのものだろうか。
 それより、購入時からだいぶ経って、すっかり広大な荒野が消えている。穏やか。やや土。初めてボリバーを試した頃の靴屋の風味を懐かしんでいるとしても、いまいちピンとこないが、広がっているのは広大な靴屋かもしれない。
 味が濃くなると、美味しさも華やかだが、同時に安っぽい風味も含まれてしまう。緑豆もやしとか、胡瓜とか、そういったもの。しかし丁寧に漉したような滑らかな土が、土自体が、連綿たる風景を示唆するように、軽く舞い上がって、目隠しする。軽い土を浮き上がらせた軽い風が止むと艶やかな金木犀が立つ、と木は粉化して土と花の粉のみ。粉に隠れた鮮やかな景色は自室である。
 モンテに似て(胡瓜等)、土の質感もそっくりなようで、青いような空色も見えるが、ナッツキャラメルが無いのか、相違ありと思う。モンテを懐かしむのだろうか。相違が懐かしみを濃くするのが葉巻なのだろうか。これを美味な事とするなら、この葉巻の塩梅は絶妙の精妙で、しかし煙のこと、この言っていることはそもそも奇妙で、あっけらかんと正しさを欠く気が充満している。
 箱で購入した物が残一本となるとなかなか着火し難くて、残一本の葉巻ばかりを集めて並べた箱がある。ちょうど隣にモンテのスブリメが眠っていた。スブリメの夢が乗り移ったような気はやはりする。しかしスブリメの味は夏のココナッツの思い出であるしなおリミターダらしく水っぽい無味感のあるものだから、結局当て嵌まらない。スブリメが失いがちな記憶が此処にあるとしたら面白い。
 5年弱で荒野が消えて面白さが半減した気もする。落ち着くということも負けず面白いが、葉巻の自宅熟成というのは、醤油の発酵や、シェリー酒のような経年変化は起こらない、これは少しつまらない。軽くて、落ち着いて、葉巻とはかくあるべきというふうな、普通の、良い葉巻にはなっている。
 終盤、揮発性物質が香る。すると一気に土が革にへんげし、靴屋が蘇る。靴屋には靴墨の類など何かしら揮発性の物が置かれているからか。前段を踏襲して景色遠景まで広大ながら、なんとも身近な足元である。
 靴も束の間、終盤らしく燃え、ホットで、灰化し、なお花の色が乗る。素晴らしく儚い。
|MUR OCT 13|6 2/5 x 54|coh-hk|$156/10|重量:+1(17.11g)|算出:+3|香味:+3|計7点|

 着火前、明らかに床屋の風味、あるいは非常に軽度の加齢臭。
 着火しても床屋さん。葉巻に対して「床屋」なる文言は嘗てクァバに対してよく使っていた。こちらの床屋はそういえばやや革っぽい。ボリバーに対してよく使っていたのは「靴屋」だが、これは蜃気楼じみた靴屋。
 花が時々、造花に混じった一輪のように隠見している。花びらがクリーム色に変色し、生花の存在をあらわし始める。それでも床屋靴屋であり、造花の黄色に再び混じり始める。ここでハバナ葉特有の風味強まり、阿吽の吽で金木犀が咲く。されどやっぱり床屋靴屋に戻り、旦那が店先にちょっと出ただけのようで、またクリーム、靴クリーム、複雑にしてちまちました音楽のような繰り返し。ハイドンの『ひばり』といったところ。葉巻はまだ序盤だが、音楽は四楽章に入る。
 酒を開ける。云々。
 いつのまにか芬芬金木犀になっている。若干の心地よい荒さを伴う。花札か、富嶽三十六景のような荒さ。盛者必盛の盛に達し、衰がどこに来るか、味が徐々に抜けてきているのはもう玉手箱。
 ……酒は本当に殺されたのか。ならば葉巻が葉巻をも殺すという事が考えられる。……
 味が薄まりつつも床屋に戻るという芸当が見られる。禿頭を華客とする床屋のような。
 灰を落とすと火種が浅間山。
 全体味薄いのに嫌にならないのはどうしてか。薄さが心地よくもあるからだろうか。特別高価ではないからだろうか。久しぶりに開けた箱ではあるけれど、この薄さは箱の中でも珍かだと思う。

残1
|TEB NOV 08|4.3 x 50(52?)|coh-hk|$208/25|重量:0(11.50g)|算出:+6|香味:+4|計10|

 昼に自宅を出て、自宅傍の公園を横目に歩いていると無性に燻らせたくなって、結局自宅で深夜に燻らせた。最近昼ばかりだったから、深夜は久しぶりだった。いつの間にか葉巻のリズムが変っていた。深夜だと改めてじっくり味わえるようだった。
 荒ぶって金属や血なども響くのだが、粉を舐めるようなコク深い落ち着きを併せ持っている。土や革といっても通じそうだが、もう少し趣があり、枯葉の香る秋味を感じ、石臼で肌理細かく挽いた枯葉を土にふんだんに混ぜている。そこへ更に純粋なカカオ少々。荒ぶりが木枯らしで、木枯らしが秋を連想させるのかもしれないが、ほとんど穏やかな無風を感じている。秋でありながら、春風に疲れた後の穏やかな初夏を半ば感じている。
 八角とは言い切れないような、バニラの優しさを含む柔らかいお菓子のような、花か白粉のようなものが漂う。どちらかといえば白粉の人は消えて花を残す。花の形も名前も思い出せないけれど、この花が記憶の何処かにあった気がする。葉巻の記憶にこそ合致しそうでも、微妙な配合の妙で、実際にはこんな香りを葉巻に感じたことがない。コク深い落ち着きがこの香りを引き立てているのか、コク深い落ち着きもまた特異らしく、二つが交互に寄せては返すような塩梅である。落ち着く時にふっと撫でる苦味が久方ぶりにコーヒーを嗜んだ時のような新鮮な香ばしさでそそる。葉巻自体久しぶりなので余計に。初葉巻であっても何らかの郷愁を覚えさせるものであろうから尚更余計に。
 次第に金木犀が咲きつつあるものの、近づきすぎず、近づけば変幻して醤油キャラメルのような香りを強く放つ。それでも次第に鮮明になり、醤油キャラメルまでも濃厚になり、その坩堝から将又醤油煎餅や塩キャラメルを裂して見せたり、異次元と言いたくなるような幻影が終盤つづく。幻影が醤油煎餅なのだから笑えもするが、異次元の高品質醤油煎餅であり、美味しければ美味しいほどに幻覚は素朴さを忘れないものらしいのである。
 最後の最後にようやく純粋な金木犀が薫ったりする。白粉の人が現れたりもする。
 久しぶりの感動作で、ちょうど食べ頃に差し掛かったと思うのだが、これがもう最後の一本であり、二十四本は大したことがなかったが、今更こんな物を巻いた人々の技に驚く。どうして+5にしないのか、自分でもわからないのだが、と書いて、しばらく考えてみたがわからなかった。血など、欠点を挙げても、欠点が良いもののようにも思える。
 黄土色の外貌にふんだんな焦茶色を蔵している。といって、黄土色のバリアーに完全に覆われている。バリアーは外側でなく内側を防ぐことになるのだが、そもそも何ら防ぐものとてなく、焦茶色もマデューロみたいな染み臭い風味はしない。完璧な葉巻にしか思えない。これがボリバーの限界ということなのか。
 いつも吸っている最中に吸い終えたようなことを書いてしまうのだが(第一段落が最後に書いた部分なのだから尚更ややこしい)、まだ火種は生きている。最後の最後の最後にメロンの苦味。メロンを食べた後に水を飲んだ場合に水が苦くなる感覚であるが、水を飲みつつメロンを食べて、メロンの甘さがちょうど葉巻の最期に当って苦いのである。残2センチだもの。思い返せば全てはこの豊満なメロンに向っていたのかもしれない。このブログで「メロン」の文字を使うのは初めて(かと思ったが、4回目であった。しかも前回のこの葉巻にメロンと書いている。自分でもなかなか不思議)。

 芋焼酎を呑んでいたけれど、合わないながら邪魔もしない。即ち芋焼酎は合う。
 前回よりはるかに美味しかったが、表記上は同じ点数になっている。今回を+5にすれば良いかというとそうでなく、前回を+3に格下げすべきらしいのである。だってこれがボリバーの限界だもの。
|MUR OCT 13|6 2/5 x 54|coh-hk|$156/10|重量:+2(20.44g)|算出:−1|香味:+1|計2点|

 不安な味わいに始まるが、おとなしく安定する。
 昨日のコイーバは通常よりも軽いバージョンだったが、これは通常よりも重いバージョンで、こわいほどずっしりしている。これからこんな重い物を最後まで吸うのかと思うと憂鬱にもなる。
 葉の詰まりすぎか、煙少なく、香味も薄い。昨日が濃すぎ、コイーバと比べてしまうと平凡な風味。重量に面食らったが、序盤の軽さ(窮屈な軽さ)から考えて、終盤で荒れても大丈夫そうである。
 木質で、うっすらクリーミーで、どこか春菊のように雑味あるものが安定して続く。揮発系の木のえぐみが一方どこかで薄荷となって爽やかな浮遊感を高めてもいはする。一度灰を落とす頃、このままのものがやや濃くなる。金木犀の花びら3枚だったのが5枚に、という程度の変化である。
 到着日の面影はなく、すっかり洗練されて落ち着いているのか知らないが、良い部分が伸びて悪い部分がなりをひそめるというより、全体がなりをひそめて、どういう勘定か、期待の所為か、悪い部分だけが残っているかのような印象に終る。
 ほぼ全く変化せずに終る。あまりにも変化しないからか、10gぐらいの小物だったような気がする。

 残5本
|TEB NOV 08|4.3 x 50(52?)|coh-hk|$208/25|重量:0(11.28g)|算出:+6|香味:+4|計10|

 二十三本目。……購入当初に一回感想を書いて、さほど魅力を感じないのか、追記を放棄していた。
 最序盤、一口毎にフルーツで、ちょんと甘味が乗って、煙が口から昇る頃には水平の湖のような静かすぎるハバナ土壌の風味を覚え、まだ煙を吐き切らぬ間に花に昇華されていく。ひと口ひと口がいちいち変化に満ちて完結している。序盤にして余韻のような。
 全体は、ハバナが全銘柄に亘って繰り広げる「変化」というめくるめく凡庸さの内から、流石に突出した激しさを噴出する。素人時代には手を叩いて喜ぶめくるめきも、玄人気取りで、最近どの葉巻でもひと口目ばかりを美味しがる、これを半分覆す滔滔とした激しさ。最序盤の面影は全く失せて、雑味はないが荒地の風趣で風が強く、花も草も砂糖も革もメロンもにがりも何もかもが風で飛ばされて刺さりに来るような勢いで息苦しい。スカスカなドローが風速を上げる。
 風の強さは、単にニコチンの強さや味の濃さなのかもしれない。風のない屋内でくゆりとやっていたのだが、副流煙から常に顔を背けたくなった。だからむしろ風の強い屋外でくゆりとせずくゆらせるのが正解かもしれない。軽い葉巻は、たとえば鯉の滝登りなどと言って、口から登った煙を鼻で吸い、副流煙を味方に付けうるわけなのである。実際、鯉が滝を登ると滝口から花が大仰に散るのである。
 序盤は綺麗に枯れた逸品かとも思えたが、とんでもない。でも太くて短い嵐だ。天気は晴なのに、あまりの地色の濃さに晴れも曇ってしまう。
 昨日インメンサスを久しぶりに試したら、やはりカチカチのドロー難から酸っぱい木ばかり出て、今日のこれはそれと真逆だが、いずれもボリバーに勝手に抱いている革靴屋の印象とは違う。
 凄い葉巻である事は確かなのだが、荒野が好きな強者向けのような。ゴールドメダルが売っていたらすぐ飛びつくのに。
|MUR OCT 13|6 2/5 x 54|coh-hk|$156/10|重量:+2(19.25g)|算出:+3|香味:+3|計8点|

 4本目。約1.5gの重量過多か、前3本よりむっしり重く、手強そう。立つ匂いが葉巻の愉悦を保証している。(着火前の匂いで保証できるものかはわからないが、なんだか当りだと思う。)
 一口目からちゃんと葉巻の味がして美味しい。五口も啜ると甘いものが吸い出されて吹き出し、花やカスタード、要するにいつもの、いうも虚しい葉巻の五色がどんどん打ち重なってくる。最近、華やかな旋律に心惹かれないが、派手になっても、初めて葉巻を味わった時に特に感じた風趣が主題のように濃密に提示されている。通奏低音が主題であるという意味不明な旋法が通じる。
 その後、単調である。大きいだけに単調も長い。辛さがだんだん葉巻の胴にも舌の上にも溜ってくるようである。単調で、感動も薄くつづく。
 灰の落ちにくい葉巻が良い葉巻だというのを私は一度も信じた事がないが、これは灰が落ちやすい葉巻である。ぽろぽろと泣くものの、強面の中に気品のある、濃く熟れた、それでいてまだ若々しい、土にまみれて、パルタガスのような土を洗った芋の旨みには乏しいが、草木もあまり生えず、寂寥としたところがあるが、味わい濃く、土にまみれて、花が咲いて、景色が二重写しになっているような面白さがある。
 または後ろ頭に巨大な一本の大輪が咲いているような。
 終盤、急に旋律が一体化して、花の香りの高い紅茶になる。一緒に珈琲を飲んでいる。昔、下北沢で紅茶と珈琲の二層になった飲み物に出会ったのを思い出した。
|MUR OCT 13|6 2/5 x 54|coh-hk|$156/10|重量:+1(17.77g)|算出:+1|香味:+2|計4点|

 前回17.78gで今回17.77g。偶々にして精妙な重さ。
 約一ヶ月で落ち着いたか知らないが、基本として紅茶寄りの風味だと思う。落ち着いてか、ハバナの荒さを滔々と感じさせ、かえって落ち着いていないような激しさが募る。昔ボリバーに対して「靴屋」「靴屋」と繰り返し言っていた事を思い出すと、思えば靴屋が燻らすような職人の味にも感じられる。それはけっして上品な靴屋ではなく、かといって切れ味の悪い靴でもない。靴屋と刀鍛冶が合体したかのような、火を使うかのような職場の味。店舗に並べられた時の刀や靴の味でなく。紅茶が安かろうが不味かろうが、ハバナとしての説得力がある。が、本当の相貌はなかなか見せそうもない。そもそもそんな相貌は無い、そんな気がし出すわけではなく、どことなく一貫性がある気がするものの、強面が付いて回る気がする。

 これまで箱で買ったものでは、モンテの二番に性格が似ていると思う。香味の特徴は全く違う、というか、半分全く違うけれど。
|MUR OCT 13|6 2/5 x 54|coh-hk|$156/10|重量:+1(17.78g)|算出:−1|香味:+1|計0点|

 「貰いものの葉巻を吹かすより、霰弾で鳥をばらす方が、よっぽど贅沢じゃないか」

 始まりから絶佳、紅茶の高貴な煙が棚引く。端から絶景もおかしいが、突然汽車の旅に出た心境になる。
 はや杏仁山やカスタード渓谷が見えてきます。山から風趣豊かな砂糖水が渓谷に流れています。あぁあぁあぁあぁっぁあぁあぁああ線路に小石が目立つようになります。
 景色があまり変りません。
 煙突から煙が消えてしまいます。走ってみれば汽車が悪く、煙突に物が詰まったような走り方でした。汽車が壊れて、血迷って、目的地に始まり、逆走しているようです。目的地では山が近すぎて全貌がまるでわからなかったのでした。
 再着火ついでに最後尾の車両を切り離しました。身軽になるとレールにレモンが転がっています。
 ちょっと別の角度から風光明媚な山や渓谷が見えますが、小石やレモンを踏みつけて今にも脱線しそうです。同じ山、同じ渓谷のぐるりを回る汽車です。しゃぶしゃぶ用の鍋の縁を走っているようです。最初は望遠鏡で山を覘いていたのです。
 山は夕暮れでもないのに紅茶色。渓谷も水量が多くありません。乾いた土地に、鄙びた花が少し。もっとも雨期には大量の花が咲くでしょう。この地は雨期がほとんどでしょう。危険ですが、車窓から顔を出し、鯉が滝登りをするのを見れば今日でも大量の花が見つかります。
 ただどうも、今日は山も線路も荒れて頂上が見えません。乾いているのに晴れもせず、曇です。雨期が近づいているのです。雨後の花はどれほど綺麗か、また来てみたいものです。ああ! あそこに紅茶で燻した革の馬具で鎧ったお馬さんが歩いています。
|TEB NOV 08|4.3 x 50(52?)|coh-hk|$208/25|重量:0(10.97g)|算出:+6|香味:+4|

 私物の(悪しき)インメンサスと同じ工場の物。同じボリバーなのだから当り前だという気がするが、同じ銘柄の同じビトラが色々な工場で同時期に巻かれたり、製造の仕組がよくわからない。

 かなり明るい赤みを帯びたラッパー。
 乾燥した辛味がある。
 乾いた土、豊富な木、革、どれでもある。これほどあからさまにハバナ味がする葉巻も珍しい。
 序盤から華やかな風合いで、何ともいえない花の香が漂い、花畑が飛んでいるのか鼻が飛んでいるのか、晴れているのか曇っているのかもわからないが、温かい爽やかな一日である。
 金と銀のバンドの色合いも美しい。金のバンドがいつもより輝かしく見える。初めてバンドなどをつくづく眺めてみたが、葉巻が短いので見詰める暇もあまりない。
 草花がどんどんかぐわしくなって晴れ、カスタードの甘さが乗ると荒野で食するケーキのようになってくる。金持ちが荒野にテーブルを立てクロスを敷いて遊んでいる。最近グロリアクバーナを懐かしがっていた為、荒野の風味が出てくれて嬉しい。荒い風趣があるのに、ER特有のオブラートで包むというかオブラートを透かしたような感覚があり、味わいを薄めない柔らかさを感じる。
 何故か荒野に安っぽい売店が建つ。コーンを齧り始めたソフトクリームの味がして来たのだ。変幻自在の花が時々そういう幻視を見せるのである。その色濃い花も霧のように掛かったり去ったりする。しかも乾いた荒野なのだから霧はないはずで、此処は誰、私は何処状態である。
 休日の午後用として買ったのに、何処かそれを躊躇わせるところがある。そんな素晴らしい午後は滅多にやってくるものではない。
 最後は塩味がする。この短さゆえ根元で衰えるわけがもなく、塩が荒野の〆にピシリと決まる。荒野が海から遠く感じられるところも素敵で、此処は昔は海だったのかもしれない。塩を潜り抜けて甘さの余韻も長く残る。

|TEB NOV 08|4.3 x 50(52?)|coh-hk|$208/25|重量:−1(9.70g)|算出:+6|香味:+4|
 やはり一本目は乾いていたようだ。ヒュミドールに5時間も入れておくと外はしっとりとする。これにて荒野感は減衰するかもしれない。
 なんともいえない甘い草が湿った荒野に咲いている。なんだか「アロマティック」という言葉がよく似合う。昔ラファエルゴンサレスで同じ事を書いた気がするが、荒野にスーツ姿で立つ男の香水のような。ボリバーらしさというのは私にはまだ良くわからないのだが、荒野にもどことなく鞣革の落ち着きがある所はボリバーらしいかもしれない。スーツの男は当然革靴を履いている。こんな雑誌の広告写真のような場面は唯一煙で訪れる事が可能な場所であり、当の広告の商品を買っても訪れないだろう。
 折角の昼をハズレ葉巻で台無しにしてはいけないが、これはERなので通常品より安定していると思う。いつもこんなに美味しいのだったら休日の昼は間違いなくこれを選ぶ。それに孤独な人間が昼に大物を薫らせるのは無理である。長閑な焦慮を想定して買ったのだからたぶん正解である。刻々と変わる昼はすぐに終わってしまう。今日の昼が初夏のようだったので感慨に耽ってしまうのかもしれない。二本とも今日の昼ではなく今日の夜に吸っているため余計に。
 残5センチでまた際やかに塩味が来る。二本目はお菓子感が少なかったが、ほぼ同じ味である。

|TEB NOV 08|4.3 x 50(52?)|coh-hk|$208/25|重量:0(12.48g)|算出:0|香味:+1|
 次の日。重量どおり、さすがに吸い込みがむっちりしている。固いというほどでもないし、吸い込みに因るのかもわからないが、風通しが悪くてくすぶったような木の荒さが出てしまう。まさかこの箱もインメンサス同様に初日だけ美味しいという事になるのではないだろう。最序盤は良かった。

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