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葉巻のハズレに疲れたのか、最近関心がパイプに移りつつある。
理由は疲ればかりではない。パイプなら「ながらパイプ」で別の事に集中力を高めるのに役立ちそう。
葉巻はいつも不味すぎて集中力が落ち、美味しすぎれば煙にばかり集中してしまう。
パイプ煙草のレビューを読むと大抵ブレンドの分析に紙面が割かれているようで、ハバナ葉一枚の葉巻とは随分記述方法が違う。分析力を高めて集中力を阻害しないというか、そんな気がする。ハバナ葉一枚だとどうしても頭が煙に巻かれて飛翔してしまう。
飛翔したくないわけがないのであり、パイプで集中力を高めつつも節約した金額を、よりハズレ難い高額葉巻に費やそうという算段なのである。
理由は疲ればかりではない。パイプなら「ながらパイプ」で別の事に集中力を高めるのに役立ちそう。
葉巻はいつも不味すぎて集中力が落ち、美味しすぎれば煙にばかり集中してしまう。
パイプ煙草のレビューを読むと大抵ブレンドの分析に紙面が割かれているようで、ハバナ葉一枚の葉巻とは随分記述方法が違う。分析力を高めて集中力を阻害しないというか、そんな気がする。ハバナ葉一枚だとどうしても頭が煙に巻かれて飛翔してしまう。
飛翔したくないわけがないのであり、パイプで集中力を高めつつも節約した金額を、よりハズレ難い高額葉巻に費やそうという算段なのである。
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|5 x 43|AtlanticCigar|$113/25|重量:−1|算出:+5|香味:+3|
前回箱ごと締めてしまったが、実は四本残っていて、直近で24本目と、今日25本目を燻らせた。
当たれば悪いはずもない。「柔らかいコクのある苦味」が端から素晴らしく、すぐに花も咲く。嗅覚には遠近はあっても接触はないが、まさに遠いものが既に接触しているのである。
ハバナと硝子一枚隔てた葉の味わいにも欠かない。コクと苦味によってダビドフよりも勝っているとさえ思える。
ただ一箱試してみても、「絶巓」というような、眼下に雲を見下ろす煙は出ない。
甘味は少なく、丁寧で静かなコクと苦味が続けば続く。まるで点滴を打たれているかのように、どことなくつまらない、しかし栄養がある! この点滴が砂糖を入れないココアのようである。
あまのじゃくで、ココアだと思うとココアよりも葉に感じられる。
いつの間にか病室の外ではなぜか枯葉の堆積に金木犀が散っている。健康な病室というか、米のような日常を感じもする。葉巻が日常的だと病室に至るのかもしれない。できれば葉巻は日常的でないほうがよい。だがあえて日常の味にしているとも感じられなくはない。
葉がまるで質のよい木のようだ。木なのか葉なのかまったくわからない、そういうありがちな植物である。
最後の一本にしてまるでパルタガスのように変化を荒々しく遂げる。夢心地のピリ辛が出て、木と葉の微妙さがまどろむ内にもけざやかで、禅の無というよりは、ファーブルの気を引くかのような締めくくりだった。ココアはそこでは土に変わっている。土に還る花弁が混じった甘い土である。
前回箱ごと締めてしまったが、実は四本残っていて、直近で24本目と、今日25本目を燻らせた。
当たれば悪いはずもない。「柔らかいコクのある苦味」が端から素晴らしく、すぐに花も咲く。嗅覚には遠近はあっても接触はないが、まさに遠いものが既に接触しているのである。
ハバナと硝子一枚隔てた葉の味わいにも欠かない。コクと苦味によってダビドフよりも勝っているとさえ思える。
ただ一箱試してみても、「絶巓」というような、眼下に雲を見下ろす煙は出ない。
甘味は少なく、丁寧で静かなコクと苦味が続けば続く。まるで点滴を打たれているかのように、どことなくつまらない、しかし栄養がある! この点滴が砂糖を入れないココアのようである。
あまのじゃくで、ココアだと思うとココアよりも葉に感じられる。
いつの間にか病室の外ではなぜか枯葉の堆積に金木犀が散っている。健康な病室というか、米のような日常を感じもする。葉巻が日常的だと病室に至るのかもしれない。できれば葉巻は日常的でないほうがよい。だがあえて日常の味にしているとも感じられなくはない。
葉がまるで質のよい木のようだ。木なのか葉なのかまったくわからない、そういうありがちな植物である。
最後の一本にしてまるでパルタガスのように変化を荒々しく遂げる。夢心地のピリ辛が出て、木と葉の微妙さがまどろむ内にもけざやかで、禅の無というよりは、ファーブルの気を引くかのような締めくくりだった。ココアはそこでは土に変わっている。土に還る花弁が混じった甘い土である。
|TEB DIC 08|6 2/5 x 54|cigarOne|$218/10|算出:−3|香味:0|
デパートの化粧品売場で火災が起こったらこんな香りがするだろう。ハズレとも言えないような特殊な芳香があり、あまり葉巻らしくない。ビニールの焦げた臭いというか、それも化粧品に誤摩化されて過激な悪臭とは感じず、その所為で火が回ってしまうような気もしない。洗剤と繋がりそうではある。洗剤ではなく、消化剤で鎮火した後の味なのか。そういえば水で薄めたようなキレのない味でもある。
次第に花が形を整えて甘く匂い立ってくるが、葉巻らしくない香味であるため、実に純粋で奇妙な花である。湧水に味がついているような。
強く吸えば煙っぽさは出る、かなり焚き火に近い。ハバナ葉ではなく、落葉を焼いているだけ。花もとっくに落ちている。
七本目だが、いつも太さ負けしている気がしてならない。弛緩気味で、ベイーケ54と比べてしまうと巻きも悪い。
水は水でもよくよく聞いてみると確かにモンテクリスト水である。キャラメルの香ばしさと金木犀の甘さと青く塗った草が無味無臭であるはずの湧水に感じられる。モンテクリストの良いところを悪いところとして佩いたような。しかし「キューバ人の手で湧水が巻かれている」と思うと思い込みの作用でこんな水臭い葉巻でも実にかぐわしい。
雪に合わせてみて、確かに水っぽかったものの、夏の方が合うのかもしれない。いずれにしてもハズレだろうけれど。
デパートの化粧品売場で火災が起こったらこんな香りがするだろう。ハズレとも言えないような特殊な芳香があり、あまり葉巻らしくない。ビニールの焦げた臭いというか、それも化粧品に誤摩化されて過激な悪臭とは感じず、その所為で火が回ってしまうような気もしない。洗剤と繋がりそうではある。洗剤ではなく、消化剤で鎮火した後の味なのか。そういえば水で薄めたようなキレのない味でもある。
次第に花が形を整えて甘く匂い立ってくるが、葉巻らしくない香味であるため、実に純粋で奇妙な花である。湧水に味がついているような。
強く吸えば煙っぽさは出る、かなり焚き火に近い。ハバナ葉ではなく、落葉を焼いているだけ。花もとっくに落ちている。
七本目だが、いつも太さ負けしている気がしてならない。弛緩気味で、ベイーケ54と比べてしまうと巻きも悪い。
水は水でもよくよく聞いてみると確かにモンテクリスト水である。キャラメルの香ばしさと金木犀の甘さと青く塗った草が無味無臭であるはずの湧水に感じられる。モンテクリストの良いところを悪いところとして佩いたような。しかし「キューバ人の手で湧水が巻かれている」と思うと思い込みの作用でこんな水臭い葉巻でも実にかぐわしい。
雪に合わせてみて、確かに水っぽかったものの、夏の方が合うのかもしれない。いずれにしてもハズレだろうけれど。
カブレラ・インファンテという人物が書いた『煙に巻かれて』という本がある。
訳者がどういう訳か若島正氏なのでかなり気になる。下手な書物の下手な翻訳はしない識者のはず。
煙は駄文を促す物質だから、半ば読みたく、半ば読みたくない。
「煙なのに何いってんの、この人」と馬鹿にされて然るべく真面目に書けば書くほど究極的な駄文に近づいていく。しかも読みたいのはその究極的な駄文の方なのである。
少し関係あるのだが、今まで「大徳寺納豆」を「大黒寺納豆」と書いていた。「大黒寺の大黒柱」とまで書いている。
訳者がどういう訳か若島正氏なのでかなり気になる。下手な書物の下手な翻訳はしない識者のはず。
煙は駄文を促す物質だから、半ば読みたく、半ば読みたくない。
「煙なのに何いってんの、この人」と馬鹿にされて然るべく真面目に書けば書くほど究極的な駄文に近づいていく。しかも読みたいのはその究極的な駄文の方なのである。
少し関係あるのだが、今まで「大徳寺納豆」を「大黒寺納豆」と書いていた。「大黒寺の大黒柱」とまで書いている。
|SMO JUN 11|4 4/5 x 50|coh-hk|$258.40/25|重量:0|算出:+8|香味:+5|
久しぶりに強みのあるコイーバを嗜みえた。こんなに柔らかい岩は見た事がない。岩は見る物ではなく触る物であり、柔らかい岩を触るにはコイーバの煙を舌で舐めるしかないのである。煙は舌から逃げる。ごつごつも瑪瑙のように滑らかになった巨大な茶色い岩。しかもその岩肌が風化で作られる稀有な脅威。
この箱もはや7、8本灰にしているが、コイーバにしてこれしか当たらないのだから不幸である。この岩味があんまり美味しいだけに、実に他の物に不幸を感じる。
微かに舌の両脇に雑味が残るものの、ほとんど二年ぶりの恍惚の香り。700本に1本の当りなのか。初めて嗜んだダビドフNo.2の煙の恍惚に、岩の強みと丸みと、モンテクリストで初めて金木犀が咲いた時の香りまでもが重畳している。羽毛こそ生えず、雑味が皆無ではないが、天鵞絨に墜落するような心地好さがある。別段美しい文章ではないものの、煙の天鵞絨に墜落するというのがまさに夢のよう。
舌触りは「カカオ品質のチョコレート」(意味不明)なのだが、その味はあまりせず、やはり「炭」と言った方が良いのかと思う。炭が柔らかく、金管である事が嘘のようなホルンの音色のようにまろやかで、カカオ品質のトラジャ珈琲に濃いミルクを一滴のみ垂らし、酸味は徹底して抜き、苦いようで苦くない。「岩」だの「炭」だのといっても「葉」の一言には負けるが、あまり葉っぱのような気はしない。そういえばコイーバらしい草も気配だに見せない。
甘味料不使用のもの凄く丁寧なコクに三ツ星フレンチのソースを思う。そんなソースは舐めた事がないが、百発撃っても当らない葉巻よりも三ツ星コックの方がこれに近い味を容易に再現してくれると思う。(私にはそういうレシピ的なレビューは当然書けない。)
製造後八ヶ月だが、熟成年月をものともしないコイーバ感が溢れて、どっぷりとぬるま湯に浸かるように落ち着いている。当りは当りでもコイーバの当りなのでなかなか今生きているのが信じられないぐらいのものである。いつもはコイーバというよりもコイポ程度なのだが。
煙の煙たるものを思い出した。コックの容喙を促しておきながら煙自慢になるが、料理で相当に当っても煙に当った時の「信じ難さ」というのはきっと得られない。
吉野の桜は毎年美しいが(これも未見)、葉巻は二年に一回しか咲かない桜らしい。しかも満開を迎えるには葉桜や冬の枝などを悉く鑑賞し尽くさねばならないのである。まるでハリネズミの針のように丸まった春のバランスである。意味不明だが、非常に春への期待が溢れている。明るさ一辺倒のD4などとは違い、丑三の暗さと背中合わせのまったりした春昼がぼうっとしてくる。
久しぶりに強みのあるコイーバを嗜みえた。こんなに柔らかい岩は見た事がない。岩は見る物ではなく触る物であり、柔らかい岩を触るにはコイーバの煙を舌で舐めるしかないのである。煙は舌から逃げる。ごつごつも瑪瑙のように滑らかになった巨大な茶色い岩。しかもその岩肌が風化で作られる稀有な脅威。
この箱もはや7、8本灰にしているが、コイーバにしてこれしか当たらないのだから不幸である。この岩味があんまり美味しいだけに、実に他の物に不幸を感じる。
微かに舌の両脇に雑味が残るものの、ほとんど二年ぶりの恍惚の香り。700本に1本の当りなのか。初めて嗜んだダビドフNo.2の煙の恍惚に、岩の強みと丸みと、モンテクリストで初めて金木犀が咲いた時の香りまでもが重畳している。羽毛こそ生えず、雑味が皆無ではないが、天鵞絨に墜落するような心地好さがある。別段美しい文章ではないものの、煙の天鵞絨に墜落するというのがまさに夢のよう。
舌触りは「カカオ品質のチョコレート」(意味不明)なのだが、その味はあまりせず、やはり「炭」と言った方が良いのかと思う。炭が柔らかく、金管である事が嘘のようなホルンの音色のようにまろやかで、カカオ品質のトラジャ珈琲に濃いミルクを一滴のみ垂らし、酸味は徹底して抜き、苦いようで苦くない。「岩」だの「炭」だのといっても「葉」の一言には負けるが、あまり葉っぱのような気はしない。そういえばコイーバらしい草も気配だに見せない。
甘味料不使用のもの凄く丁寧なコクに三ツ星フレンチのソースを思う。そんなソースは舐めた事がないが、百発撃っても当らない葉巻よりも三ツ星コックの方がこれに近い味を容易に再現してくれると思う。(私にはそういうレシピ的なレビューは当然書けない。)
製造後八ヶ月だが、熟成年月をものともしないコイーバ感が溢れて、どっぷりとぬるま湯に浸かるように落ち着いている。当りは当りでもコイーバの当りなのでなかなか今生きているのが信じられないぐらいのものである。いつもはコイーバというよりもコイポ程度なのだが。
煙の煙たるものを思い出した。コックの容喙を促しておきながら煙自慢になるが、料理で相当に当っても煙に当った時の「信じ難さ」というのはきっと得られない。
吉野の桜は毎年美しいが(これも未見)、葉巻は二年に一回しか咲かない桜らしい。しかも満開を迎えるには葉桜や冬の枝などを悉く鑑賞し尽くさねばならないのである。まるでハリネズミの針のように丸まった春のバランスである。意味不明だが、非常に春への期待が溢れている。明るさ一辺倒のD4などとは違い、丑三の暗さと背中合わせのまったりした春昼がぼうっとしてくる。
|LAG FEB 11|170mm x 43|coh-hk|$197.20/25|重量:+1|算出:+4|香味:+3|
製造後一年、購入後三ヶ月を経たので御機嫌を窺うのに頃合いかと思ったが、残数を数えたらもう九本目で、思っていた以上に御機嫌を窺う回数が多い。御機嫌を窺いつつ寝かせるにはやっぱり1000本ぐらいのストックが必要なのかもしれない。
着火前からいつもと違う美味しそうな匂いがあり、着火前に180秒ぐらい犬のようになった。
当りを引いただけかもしれないが、香味も落ち着いている。スタウト麦酒にも似た黒い苦味に、麦汁とも芋ともつかない、羚羊の太腿のような引き締った旨味が隠れている。花が彩りと柔らかさを添えている。だが甘い愛想はなく、ブルーマウンテンの高貴さは更にないが、嫌味のない燻しで、後味が完全な珈琲になることがある。
後味が毎回珈琲というわけにはいかない。味わいが段々白っぽくなるというか、煙っぽくなり、花もが珈琲を覆い尽くそうとしている。それでも苦い。苦さが白さによって荒くなるようでもある。
パルタガスの中でも飛び抜けて重心が低いらしく、先日のロバイナ・クラシコスに似た傾きがある。ただどうもこの898は好きになれそうにない。バランスが歪な星のように尖っている。星は丸いのに、遥か彼方のことなので判らないし、おそらくロマンチックな人間がこれを好むのではないかと予感する。苦さや重心の低さはロマンを否定しない、むしろ逆である。下手な占などどうでもよいほどの不敵さが優にあるのだが。
初心者でありながら「初心者」という言葉は忌避しているが、こればかりは結局初心者向きではないと思う。強さや苦さが原因ではなく、この葉巻は単純な葉巻の愉しさを超えもし廃れさせてもいるらしい。とはいえ、子供が珈琲や麦酒を飲めないのと同じ事である。つまりこれは大人を子供に還す、老人の葉巻なのである。これが好きな人はロマンチックな老人であり、老人のロマンが即ち、若返る事であるに違いない。別段若返りたくない人はこれを吸ってもしょうがないのである。又は、若返るところを更けに老けたか。
製造後一年、購入後三ヶ月を経たので御機嫌を窺うのに頃合いかと思ったが、残数を数えたらもう九本目で、思っていた以上に御機嫌を窺う回数が多い。御機嫌を窺いつつ寝かせるにはやっぱり1000本ぐらいのストックが必要なのかもしれない。
着火前からいつもと違う美味しそうな匂いがあり、着火前に180秒ぐらい犬のようになった。
当りを引いただけかもしれないが、香味も落ち着いている。スタウト麦酒にも似た黒い苦味に、麦汁とも芋ともつかない、羚羊の太腿のような引き締った旨味が隠れている。花が彩りと柔らかさを添えている。だが甘い愛想はなく、ブルーマウンテンの高貴さは更にないが、嫌味のない燻しで、後味が完全な珈琲になることがある。
後味が毎回珈琲というわけにはいかない。味わいが段々白っぽくなるというか、煙っぽくなり、花もが珈琲を覆い尽くそうとしている。それでも苦い。苦さが白さによって荒くなるようでもある。
パルタガスの中でも飛び抜けて重心が低いらしく、先日のロバイナ・クラシコスに似た傾きがある。ただどうもこの898は好きになれそうにない。バランスが歪な星のように尖っている。星は丸いのに、遥か彼方のことなので判らないし、おそらくロマンチックな人間がこれを好むのではないかと予感する。苦さや重心の低さはロマンを否定しない、むしろ逆である。下手な占などどうでもよいほどの不敵さが優にあるのだが。
初心者でありながら「初心者」という言葉は忌避しているが、こればかりは結局初心者向きではないと思う。強さや苦さが原因ではなく、この葉巻は単純な葉巻の愉しさを超えもし廃れさせてもいるらしい。とはいえ、子供が珈琲や麦酒を飲めないのと同じ事である。つまりこれは大人を子供に還す、老人の葉巻なのである。これが好きな人はロマンチックな老人であり、老人のロマンが即ち、若返る事であるに違いない。別段若返りたくない人はこれを吸ってもしょうがないのである。又は、若返るところを更けに老けたか。
|5 1/2 x 52|uptowncigar|$175.95/10|重量:+1|算出:+3|香味:+3|
三口ぐらいまでは非常に美味しい。もち肌の木乃伊のような、かつては厳めしかったかのような木の柔らかさがある。おおよそアニベルサリオとクラシックの中間ではないかと思う。
優しいクラシックに比べると鼻で水を飲むような脳髄に突き刺さる感覚が出てくるが、どうやら花がパイナップルの花らしい。
雑味があり、甘さがあり、ともに淡い。パイナップルのせいか全体的には力強い。
一昨日昨日とハバナで当った宴のあとの宴には丁度良い下がり具合で、特別期待を裏切るのでもない。優しくて高貴なものが欲しかったけれど。
ベランダで燻った方が香味が凛々しく漂って美味しい。雑味が寒気に紛れるのかもしれない。単調なのでこちらが環境を変えねばならないのかもしれない。
三口ぐらいまでは非常に美味しい。もち肌の木乃伊のような、かつては厳めしかったかのような木の柔らかさがある。おおよそアニベルサリオとクラシックの中間ではないかと思う。
優しいクラシックに比べると鼻で水を飲むような脳髄に突き刺さる感覚が出てくるが、どうやら花がパイナップルの花らしい。
雑味があり、甘さがあり、ともに淡い。パイナップルのせいか全体的には力強い。
一昨日昨日とハバナで当った宴のあとの宴には丁度良い下がり具合で、特別期待を裏切るのでもない。優しくて高貴なものが欲しかったけれど。
ベランダで燻った方が香味が凛々しく漂って美味しい。雑味が寒気に紛れるのかもしれない。単調なのでこちらが環境を変えねばならないのかもしれない。
|BRU SEP 10|6 2/5 x 42|coh-hk|$184.50/25|重量:+1|算出:+4|香味:+3|
人気がなさそうな葉巻なので古物が届くと思っていたが、新しかった。これこそ五年物が欲しかったが、仕方なし。
昔試した時はもっとラッパーが柔和な色だったような。昨日のインメンサスと並べてみるとかなりの褐色である。クラシコスとファミリアールを並べた時はファミリアールの方がずっと褐色だったから、いまやファミリアールはほとんど黒に近いのかもしれない。
香味は穏やかで、インメンサスと比べると明らかだが、少し埃っぽい。この埃は、ダビドフでは松茸に、コイーバではおそらく炭に至る芳香である。
埃がけっこうな煙草っぽさに変化し、強い感じがしてくる。ロバイナらしいカカオも膨らんでいるので、紙巻煙草のジョーカーとか、ああいうものを思い出す。それでもとにかくコクが穏やかで、高密度ではなく、過疎でもなく、どこかほっこりしている。花はとっくの昔に咲いている。重要にして脇役の花。花がここまで確実な脇役に回るのも珍しい。
荒くもなく、渋くもなく、辛くもなく、特別苦くもないが、何かそのような峻厳な物を片手に持っているという充足がある。そのような何かとは何なのか……煙草っぽさというより、煙っぽさなのだと思う。唖然とするほど単純な煙……そのような煙が煙の中に50%ほどブレンドされている。
ハバナらしさが薄いようでもあり、濃いようでもあり、ハバナの中でも異質のハバナっぽさを感じる。ロバイナに比べると他のハバナが全部同じハバナに思えなくもない。とはいえこのクラシコスは昔試したものと随分印象が違っている。若いし、到着日だし、よくわからないが、何故かこれで気に入っている。
昨日と今日で一二を争うお気に入り銘柄を手に入れたらしい。クラシコスとインメンサスのどちらかをもう一箱買うとしたらどちらを選ぶべきか、難しい。サイズはダリアよりもこちらの方が落ち着くけれど。間もなくどちらも購入できなくなりそうだ。
中盤、何もない畑で誰かが草を燃している、暗雲垂れ込めた光景がよぎったりもする。そういえばこの煙はパドロン・ファミリーリザーブに80%ほど含まれている成分である。思えばあのときも事前の酒で頭痛が響いていたような(そうではなかったかもしれない)。ロバイナはバンドもハバナとは思えないほど剥がしやすい。他人のそら似もどこか意味深である。
最終盤には苦味が襲ってくる。パルタガスの荒さは高音だが、これは低音が荒い。昼間の長閑さが既に不吉な影を孕んでいたか、終わりは不穏の静かな迫力で、夜の嵐の船室に飛ばされる。波は空高いが雨が降っていないのである。あまりの揺れに花瓶が棚から落ちて花が咲いている。その硝子の破片が唯一の高音である。
心臓が止まりそうになったので4センチほど残したが、まだまだ先のある味だった。船が揺れて心臓が止まりそうになったのか、はたまた心臓が止まりそうになって船が揺れたのか、どちらが先かわからないが、心臓の悪い人間は葉巻を燻らせるべきでない。
人気がなさそうな葉巻なので古物が届くと思っていたが、新しかった。これこそ五年物が欲しかったが、仕方なし。
昔試した時はもっとラッパーが柔和な色だったような。昨日のインメンサスと並べてみるとかなりの褐色である。クラシコスとファミリアールを並べた時はファミリアールの方がずっと褐色だったから、いまやファミリアールはほとんど黒に近いのかもしれない。
香味は穏やかで、インメンサスと比べると明らかだが、少し埃っぽい。この埃は、ダビドフでは松茸に、コイーバではおそらく炭に至る芳香である。
埃がけっこうな煙草っぽさに変化し、強い感じがしてくる。ロバイナらしいカカオも膨らんでいるので、紙巻煙草のジョーカーとか、ああいうものを思い出す。それでもとにかくコクが穏やかで、高密度ではなく、過疎でもなく、どこかほっこりしている。花はとっくの昔に咲いている。重要にして脇役の花。花がここまで確実な脇役に回るのも珍しい。
荒くもなく、渋くもなく、辛くもなく、特別苦くもないが、何かそのような峻厳な物を片手に持っているという充足がある。そのような何かとは何なのか……煙草っぽさというより、煙っぽさなのだと思う。唖然とするほど単純な煙……そのような煙が煙の中に50%ほどブレンドされている。
ハバナらしさが薄いようでもあり、濃いようでもあり、ハバナの中でも異質のハバナっぽさを感じる。ロバイナに比べると他のハバナが全部同じハバナに思えなくもない。とはいえこのクラシコスは昔試したものと随分印象が違っている。若いし、到着日だし、よくわからないが、何故かこれで気に入っている。
昨日と今日で一二を争うお気に入り銘柄を手に入れたらしい。クラシコスとインメンサスのどちらかをもう一箱買うとしたらどちらを選ぶべきか、難しい。サイズはダリアよりもこちらの方が落ち着くけれど。間もなくどちらも購入できなくなりそうだ。
中盤、何もない畑で誰かが草を燃している、暗雲垂れ込めた光景がよぎったりもする。そういえばこの煙はパドロン・ファミリーリザーブに80%ほど含まれている成分である。思えばあのときも事前の酒で頭痛が響いていたような(そうではなかったかもしれない)。ロバイナはバンドもハバナとは思えないほど剥がしやすい。他人のそら似もどこか意味深である。
最終盤には苦味が襲ってくる。パルタガスの荒さは高音だが、これは低音が荒い。昼間の長閑さが既に不吉な影を孕んでいたか、終わりは不穏の静かな迫力で、夜の嵐の船室に飛ばされる。波は空高いが雨が降っていないのである。あまりの揺れに花瓶が棚から落ちて花が咲いている。その硝子の破片が唯一の高音である。
心臓が止まりそうになったので4センチほど残したが、まだまだ先のある味だった。船が揺れて心臓が止まりそうになったのか、はたまた心臓が止まりそうになって船が揺れたのか、どちらが先かわからないが、心臓の悪い人間は葉巻を燻らせるべきでない。
|TEB SEP 07|6.8 x 43|coh-hk|$193.50/25|重量:+1|算出:+6|香味:+4|
頭蓋骨でも届いたかね。郵便局員の朝は早すぎるのだが、何にしろ小包が届くのは吉兆である。
梱包を解くと五年も古びていると思い、若々しいインメンサスを知らない為、老人を見る思いがした。寝惚けながら計算すれば実は四年強であり、半年にどれほどの違いがあるのかわからないまま、美味しそうなイメージも湧いた。
蓋を開けるとずらりと巻きが美しく均一で、レギュラー品では見たことのない美々しさ。これはどういう仕業であろうか。今思えば美味しさが確証された箱であるらしかった。
こんな前置きはどうでもよいと思われるであろう。だが私には判断がつきかねる。
一服目から非常に染み臭くまろやかな木香が垂れたのである。昇らずに垂れて、香りは木だが、感触は土である。
ボリバーは靴屋、つまり革なのである。木でも土でもなく、靴屋の裏手で、葉の熟れた旨味が初っぱなから炙り出されて燻る。
実際のところわからないが、一本目にして熟成のピーク感が脂の無いカルビのように犇めいている。かといって動物的なのでもない。
フルボディだが、荒さや辛味がほとんど出ないのであまり強く感じない。落ち着き払った焦茶色の靴屋の重厚な雰囲気と非常に甘く蒸した花の香り。ココナッツと金木犀の間の子のような。それも革こそが口内で漂うまでに挽かれ、白くてまろやかな糖蜜を帯びた花粉に変わる。
煙の感触がこれまでの煙と違う。空気に溶ける絹糸の重量をもった煙である。
変化は静かで、のろい季節の春草が萌し、花が草いきれに紛れる。それは別の花である。変化はしないともいえる。一時的に草が差し、引いただけで、元の調子に戻る。あるいは糸が途中で千切れるが、磁石を裂く天の川のようにまた繋がる。
残六センチほどで繋がらなくなり、味も薄まって、不味くはならないが、咽に心地好い怨みが出てきたところで終わる。終わったようでなかなか終わらない。
パルタガスの芋も無いしロバイナのカカオも無くモンテクリストの芳香も無い。あるいは全てがあるのだが、革の朧に霞んで、やはり靴屋で休息しているという非常識にして当然の素朴な感覚なのである。それにしては独特の蚕が憩っているのだが。
清酒は清酒の苦味が増すようで相性が悪いかもしれない。
好みか否かといったら、これは今のところ一番の好みだった。今日二本試したが、さすがに一本目の方が美味しく感じたものの、ダビドフに始まりボリバーに終わる気がしてならない。二本とも巻きが硬かったのがほんの少しつらい。
頭蓋骨でも届いたかね。郵便局員の朝は早すぎるのだが、何にしろ小包が届くのは吉兆である。
梱包を解くと五年も古びていると思い、若々しいインメンサスを知らない為、老人を見る思いがした。寝惚けながら計算すれば実は四年強であり、半年にどれほどの違いがあるのかわからないまま、美味しそうなイメージも湧いた。
蓋を開けるとずらりと巻きが美しく均一で、レギュラー品では見たことのない美々しさ。これはどういう仕業であろうか。今思えば美味しさが確証された箱であるらしかった。
こんな前置きはどうでもよいと思われるであろう。だが私には判断がつきかねる。
一服目から非常に染み臭くまろやかな木香が垂れたのである。昇らずに垂れて、香りは木だが、感触は土である。
ボリバーは靴屋、つまり革なのである。木でも土でもなく、靴屋の裏手で、葉の熟れた旨味が初っぱなから炙り出されて燻る。
実際のところわからないが、一本目にして熟成のピーク感が脂の無いカルビのように犇めいている。かといって動物的なのでもない。
フルボディだが、荒さや辛味がほとんど出ないのであまり強く感じない。落ち着き払った焦茶色の靴屋の重厚な雰囲気と非常に甘く蒸した花の香り。ココナッツと金木犀の間の子のような。それも革こそが口内で漂うまでに挽かれ、白くてまろやかな糖蜜を帯びた花粉に変わる。
煙の感触がこれまでの煙と違う。空気に溶ける絹糸の重量をもった煙である。
変化は静かで、のろい季節の春草が萌し、花が草いきれに紛れる。それは別の花である。変化はしないともいえる。一時的に草が差し、引いただけで、元の調子に戻る。あるいは糸が途中で千切れるが、磁石を裂く天の川のようにまた繋がる。
残六センチほどで繋がらなくなり、味も薄まって、不味くはならないが、咽に心地好い怨みが出てきたところで終わる。終わったようでなかなか終わらない。
パルタガスの芋も無いしロバイナのカカオも無くモンテクリストの芳香も無い。あるいは全てがあるのだが、革の朧に霞んで、やはり靴屋で休息しているという非常識にして当然の素朴な感覚なのである。それにしては独特の蚕が憩っているのだが。
清酒は清酒の苦味が増すようで相性が悪いかもしれない。
好みか否かといったら、これは今のところ一番の好みだった。今日二本試したが、さすがに一本目の方が美味しく感じたものの、ダビドフに始まりボリバーに終わる気がしてならない。二本とも巻きが硬かったのがほんの少しつらい。
凹んだ状態で本領を発揮する葉巻もあるらしい。今日のパルタガス898がそうだった。凹んだまま均一な燃焼をする。これにて葉巻は奥が深いと思いたくなるが、少し考えれば稀な奥深い谷が稀に発光したのみ。凸凹に沿うのは馴れだと思うけれど、馴れたところで凸凹を風光明媚とは思い難い。
銘
囹
月