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  源氏物語「葉」
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|TAU JUN 11|166mm x 52|シガーオンライン|$490/10|重量:+1( 17.90g)|算出:+2|香味:+3|

 先日の「税関に電話した話」は実はpuroからの荷物ではなくこの荷物であった。私はてっきりトリニダッドが税関に到着したものだと思い込み、85グラムと申告したのである。しかしどうしてハガキが届くのか、荷札にはしっかりと180と書かれている。180と書かれ、180gとは書かれていなかったからか。こんな事はどうでも良い事である。私はあまり税金には興味がない。トリニダッドが到着した時に180gと書けば分別くさいというぐらいである。立派な分別くさい子供。

 さすがに到着日早々に火を点けるのは躊躇われたが、私が研究する限り、良くも悪くも変梃なバランスになって特徴を掴みやすくなる初日なので、着火せざるをえなかった。良ければ、蔵出し直後の美味しさを保っていると思わせるほどの美味に当る。

 購入に踏み切った経緯は昔書いたが、まさにパナテラ級の香ばしさが巨大化した香りで外廓が固められている。購入前の期待に違わず。あんまり期待どおりなので目新しさを得ない。
 高品質らしく、中身はふわふわで、味がない。滑らかな感じもするのだが、味がないのでわからない。ただ高品質な感じだけがある。味が無いままで美味しいはずもないけれど。
 だんだん白い粉のような甘味が感じられるようになる。それがはっきりとするにつれ外廓が薄まる。外廓が無くなったらコイーバではなくなってしまう。若い頃のインヘニオス(五味のない感じ)とモンテ2008(ふやけた感じ)を合わせたような感じになってしまいそうである。
 外廓は岩が荒く黒ずんで、この岩はロブストの瑪瑙のように磨かれてはいない。シグロ6のカフェオレもない。エスプレンディドスの紅茶にやや近い。パナテラに一番近いが。
 だが2センチも燃えるとそれらが渾然と吹き出してくる。草と花もまみれて吹き出す。全く以て荒々しいコイーバで、荒くてもやはりコイーバである。
 すぐさまとろりと甘い練乳のような金木犀の甘味が感じられる。次の一口にはダージリンの香り高い渋みである。めくるめく目茶苦茶な。花の木犀の植物感が草に下がり、ダージリンの茎っぽさと相俟って、なぜか蜂蜜を生む。
 残念ながら今飲んでいるのは赤ワインだが、カフェオレに合いそうな味。
 珈琲豆の風味を感じるのは紅茶の渋みがフルシティローストの苦みに変わってからである。フレンチローストまでは煎っていない。
 実に落ち着きなく、また味が抜けたりする。この症状は環境の変化に因るものではないと思うので、ハズレといえばハズレなのだろうと思う。もしかしたらこれこそ環境の変化に因るのかもしれないが。
 岩は消えずに残ってくれる。そう容易く岩はどかせまい。
 全体的にはクラシックなコイーバが充溢して、BHKのような特異さはない。特異さといえばモンテクリストに似ているという事なのである。パルタガスのような旨味に欠けるところもモンテクリストのクラシックにそっくりであるが、外廓の風味はまったく違う。あちらは青緑の海空で、こちらは地に腰を据えた岩。しかし薄荷のような白い甘味の出方もモンテにそっくり。岩がごつごつと犇めき、木や革や土などはあまり感じない。そういう場合はたいてい革に似ているのである。岩が革に似ている。
 凄さはいやというほどわかるが、未完の大器という印象に終わる。大器晩成ではない可能性も既に十分に感じるのである。私もノーベル賞を取った事がないが。
 潰れやすい才能の危うさが愛おしい。私は葉巻を吸っている場合ではないのである。
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|TUR JUN 08|6 2/5 x 42|cigarOne|$215/25|重量:+1(12.12g)|算出:+6|香味:+4|

 No.1が一番美味しい時の芳香がある。初っぱなから嬉しいこれは何なのか。白と青緑と茶色なのだが、私にはこの色を分析する力がない。力がないばかりか、力を捨ててしまう感じがする。かといって飲み込まれてもしまわない。規律を重んじる何かがある。三つ編みの美しさにこだわる少女のような。
 白にはクリームの類いは一切なく、青緑は草ではなく、茶色は木でも革でも土でもない。白が爽やかな甘味を運び、青緑が不敵な空色で(この青緑がモンテクリストたらしめている)、茶色はハバナ感を水底に沈めつつ腐葉土からキャラメルを育てるようなところがある。水とか空といった感じが地上にある。
 濃くて軽い。青い黄砂のような土の綿飴が風船になって虚空に混じる。
 灰を落とした直後は木が現れる。なるべく落とさない方が良さそう。
 金木犀は莟も見せない。
 濃密なセメダイン臭がふと薫り、そこにアクリル絵具のような花が見える。セメダインは、古い洋酒を開封した時の案外な爽やかな感覚に似ている。それでも確かに古びて、洋酒の底に、粘土などが潜んでいる。すると川魚のようだが、アクリルらしく海の水族館の雰囲気の方に似て、水族館の回路は落葉で敷詰められている。
 ペティコロナぐらいになって辛みが出始めるのが可愛くて仕方がない。辛みはすぐにキャラメル味の杉の木立に消えて、強くなったかと思えば濃厚にして軽いままである。軽いといってもライトボディではないが、飲み込んで咳き込むほどではない。……
 最終盤はまったく別の事を考えていた。シュペルヴィエルの詩について。

 この旧バンドも残り5本しかない。モンテクリストNo.1としては完璧だった。金木犀とキャラメルが弱いものの、この葉巻にはこれ以上は望まない。どこをどうしたいという部位はなく、あとは好き嫌いの問題かと流れるが、流れに反して好き嫌いの問題ですらないように思う。これがただのモンテクリストであり、誰が吸ったって同じ事。
|SMO JUN 11|4 4/5 x 50|coh-hk|$258.40/25|重量:0(13.40g)|算出:+6|香味:+4|

 土混じりのハーブに始まる。ドライハーブの乾きと香りに、泥ソースのたおやかな旨味が絡まる。一口目から極上で不安もない。
 固い吸い込みがかえって絶妙で、リンゲージ50ぐらいになると固くても固まり過ぎにはならないのかもしれない。それに、美味しい物がなかなか燃え進まずにいてくれる。
 少しずつ甘味と花が乗ってくる。まだ2ミリだが、永久に燃え進まないかのように燃え進まず、もう花が蜂蜜に変わる。土にこぼれた花はいずれ盆に返るだろう。火の物らしく、蜂蜜を焦がした風味も出る。強くて柔らかい。この柔らかさはいつものようにカフェオレ色の瑪瑙の岩の柔らかさなのである。
 製造後10ヶ月経つぐらいで、ヴィンテージ物の枯淡の風味以前に壮年期も知らないが、新鮮溌剌にしてもはや滋味深い。
 バナナのヒントもある。ヒントがヒントに滞留するのはレコード芸術にそっくりである。「レコード(スピーカー)」なのか「ヴァイオリン」なのか、というのと、「葉巻」なのか「バナナ」なのか、というのが。レコード音と葉巻の煙とは論理的には似ている。「死体」と「涙」と「悲しみ」との関係はここにない。それにしても初めて葉巻にバナナを見た。ヒントどころか、ラジカセでバナナを再生していたのが高級オーディオで再生しているかのようにはっきり馥郁としてくる。ロメオはしばしばフルーツといわれるが、その程度の影ではなく、もっと克明なバナナ本体なのである。葉巻に喩えればコイーバ級のおいしいバナナなのである。バナナなんかべつに好きではなかったのに。……
 バナナに巻かれている間に、ハーブはどこ吹く風と消えている。風もまた覆水のように戻ってくるだろう。
 実際に花もハーブも草がそよぐように戻ってくる。バナナが染みた木の味わいを引き連れて。これは童話にすればおもしろいかもしれないが、まったく馬鹿な話である。何処から連れて来たのか、まったくよその木を突然連れて来たバナナの父親の気持ちになる。その琥珀色の野趣な子が木のように素朴で、我がバナナ娘の本日からの親友といった体なのである。
 突然遠雷が聞こえ、須臾の間に雨音が降ってくる。まるで雨が火種に当ったかのように、我が娘まで消えがちになり、本当に消えてしまう。後は雨が土と草のいきれを立たせる。そうしてコイーバクラブを巨大化したような終盤が中盤から始まり、雨が沛然と鳴り止まないのである。
 かと思えば、やはりバナナ娘は私の娘だったらしい、まるで賢い者のように、雨宿りをして、嵐の後にちゃんと家に帰ってくる。まだ中盤だったので、嵐をものともせぬ造りの家の中で、安心した団欒が延々と続くのである。雨は戸の向こうにまだ聞こえるが、花瓶に生けた花と草が芬々と香る。花の種類が不明確なのは、娘のバナナと戯れているからだろう。それにしてもなんと賢い娘だろう。花瓶の花と草は、家の中でもまた乾き始める。花瓶の水を吸い尽くしてドライフラワーが残る。というわけにはいかない。また消え難てに娘がしとやかに出てきたり、もっと荒くれた息子ー雑草のような四葉のクローバーのような息子ーが出てきたりして、なかなか吸い込めず、目に入れて痛く、なかなか終わってくれないのである。目に入れて痛いのも、それが本物の娘や息子ではないからである。吸い込みは悪くない。ロブストの最適重量を13.40gだとも思える。
 ただ恍惚感だけはなかった。従って本物の娘や息子には負けるのである。この程度の葉巻なら、家族サービスのほうを勧める。
 まったくおかしな事ばかり書いているが、調べてわかる事を書いても仕方がないと思っているのだから仕方がない。

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 パイプで舌焼が募ったので葉巻に着火したが、葉巻はどうして火種がパイプの百倍も巨大なのに舌焼しないのだろう。パイプの煙道に紙を丸めて詰めれば煙は冷えるのかもしれない。
puroexpressでEL2010各種を投げ売りしていたのでトリニダッドとパルタガスを買った。
荷札に重量と価格を記載してくれるよう頼んだが、
「一応梱包係に掛け合いますが、私の立場では保証はできません」という返事である。
果然、税関からハガキが来た。
土曜でも仕事をしていたかと思って早速電話したが、
「土曜は休みです」という人が電話に出た。
何なのだろう、あの人は。確実に人だと思うのだが、機械なのだろうか。
私は機械に話しかけた事が一度も無いので、一応一言も発せずに受話器を置いた。
なぜか失礼な事をしたような気もする。
|BRU SEP 10|6 2/5 x 42|coh-hk|$184.50/25|重量:+1(10.74g)|算出:+4|香味:+3|

 ほろほろしたカカオの味わいに、ハバナ葉のみの、かててくわえてロバイナのみの香ばしさが纏い付く。一言でいえば「ナッツ」だと思うが、それを「ロバイナ」というしかない。
 当りを感じる時にはいつも芳醇なライトボディである。「こんなに濃い物がこんなに軽い!」というか、重いモノを必要以上に軽く感じている気がする。シルキータッチだからなのだろうか。シルクよりも心太の方がシルキーだと思うが、心太の透明感はない。心太は冷えているので、もっと暖かく、「自家焙煎中」の珈琲豆屋の感じの香りがする。但しコーヒーの風味はない。ナッツやチョコが自家焙煎中であり、新鮮な旨味あふれる焙煎香を放つ。それなのに何処かに一本の心太が潜んでいるのである。
 8本目にして漸く求めていたクラシコスに落ち着いた。「揮発性の木」は微かに影を見せる程度だった。
|LAG FEB 11|170mm x 43|coh-hk|$197.20/25|重量:+1(12.43g)|算出:+4|香味:+3|

 吸い込みはぎりぎりの固さ。コイーバEL2011を買おうか買うまいか最近1時間につき10分ほど迷っていたのでこの葉巻をそれの味のように感じてしまう。そればかり考えているのでこの葉巻の味も何も感じられないが、というのもこれがそれらしいのである。これまでの898と違って太々しい苦みが少なく、コイーバのパナテラのように香ばしい。買おうか買うまいか迷ったのも、コイーバパナテラを巨大化したコイーバを欲しているからであり、コイーバEL2011の各種レビューを調べるにつけ「濃厚」の文字が踊ったからである。コイーバにしてコイーバらしさが濃厚なら、「パナテラを巨大化したような香味」であると合点してしまう。この898がどうもそれに近い印象らしい。これまでの898に比べると「苦み」がパナテラ級の細さで香ばしいばかりなのである。しかもそれが悠然としている。

 調べたところコイーバEL2011を一番安く売っているのはシガーオンラインで、昨日まで在庫数9箱で微動だにしなかったのが、急激に4箱に減った。なので焦って結局購入してしまった。誰か一人の者が5箱も一気に購入したのではないかな。
 意識が別の葉巻に飛んでいて、それを考えなければ+4にはなったかと思う。この葉巻はますます奥深い。だが美味なる想像を超えはしない。一応均一でありながらも雑多で、この雑多さは、よし当っても、結局トリニダッドEL2007のような雑多ではない物が変化する面白さに面白さでは及ばない。花も鼻腔をくすぐるが、波のように押し寄せはしない。水辺のような花辺はBHKの独壇場ではないかと思う。BHKは良くも悪くも特徴が突出する到着日に一本試しただけの不安定な印象ではあるけれど。
 本気がグランレゼルバで、本気にしてバランスを崩したのがBHKで、ELは本気ではないただの物という感じはする。しかし買ったのだ。これがそれに似ているのである。そう思うとこれは不味い。
|BRU SEP 10|6 2/5 x 42|coh-hk|$184.50/25|重量:+1(13.53)|算出:+4|香味:+3|

 ロンズデールにして13.53gの重量過多、前回のダリア13.93g以上の固さだけれど、最近パイプを真面目に喫んでいるので、パイプと同じ扱いをすれば固さも災難には感じない。葉巻工場は『ドロー測定器』で測定するより単純な『重量計』で測定した方が早いのではないかと思うけれど、パイプの経験はこんな助言など捨ててしまうほど葉巻に於いて実に寛容で小さい。
 固く詰っているだけに味も濃い気がするし、スプーン一杯の煙を啜る感じがクールといえばクールである。一体に三時間も持ちそうなこそばゆさがある。
 こうやってちょろちょろやっていると、葉には、ハバナ葉らしさの内にも、熟成バージニアのような熟成感と甘味とを感じてしまう。チョコで湿らせたような、塩昆布から塩を抜いたような、湿った旨味である。熟れを感じながらも、やはりこの葉巻はベガスロバイナらしく揮発性の樹が出易い。「揮発性の樹」は一体に褒め言葉ではない。ベガスロバイナを美味しく感じる時にはこの揮発性が収まり、もっとホコホコとしてくるのである。地下鉄から地上に出た際の銀座の歩行者天国の足音を思い出した。
 なにはともあれ何でこんなに巻きが窮屈なのだろう。真面目にパイプをやっていなかったら、吃驚して二つ折りしてしまうところである。多少ストレスは残るものの、お固いキューバシガーをやる人は絶対にパイプに馴れておいた方が良いらしい。

 葉巻では紙巻の消費量は減らなかったが、パイプ煙草を買い込んでからは紙巻の量が減った。
 葉巻の直後に紙巻を吸っても多少紙臭いぐらいで特別不味くなかったが、パイプ煙草の直後に紙巻を吸うと紙臭いというより葉自体を不味く感じる。

 思惑どおり、パイプを噛む時には煙に巻かれはせず、別の事に集中できている。パイプの事を考えるのも、葉巻の時なのである。
 パイプがつまらないかというとそうではなく、音楽とか煙とか風邪とかが備える神的な惹起をうまい具合に引き離している物だと思う。煙にして煙の対極である。
 何事に集中したいのかといえば、パイプと葉巻の中間の事に集中したかった。何故というに、其処にノーベル文学賞と一億円が見えるからである。取ろうと思って取れるなら、取らない手はない。これこそ半ば煙たい事なのである。

 結局二時間で了。遅いからといって火種が凹む事も無く、固ければ固いほど火種は凸に成り易い。根っからのクールスモーカーなら三時間に伸ばせたのかもしれない。しかしその三時間はノーベル賞からかけ離れた三時間なのである。つまり1時間得して、1時間損した。パイプは長ければ長いほどノーベル賞に近いのであるが。


 だがまだ四センチ残っている。ナッツが目立ってきて、これまで香らなかった花も咲いた。最終盤に至って極上である。最終盤に特有の雑味もあまり乗らず、まるでモンテクリストの序盤のような色濃くクッキリとした爽やかさ。ただ火種の近さが熱い。固いモノ特有の出来事なのかもしれない。
 最後の葉巻らしい美味しさがパイプを根絶やしにしそうだが、残二センチを切り刻んでパイプに詰めてみたのである。今までは切り刻まずにそのまま煙突のようにパイプに嵌めただけだったが。
 これが、恐ろしいほど辛く、火が点きにくく、不味い。
|LAG FEB 11|170mm x 43|coh-hk|$197.20/25|重量:+1(13.93g)|算出:+4|香味:+3|

 やっぱりこの葉巻はいろんな意味で凄そう。ダリアにしては重量過多で、計量どおり吸い込みが悪いが、吸い込めなくても煙が濃く、味も悪くない。鼻で水を飲むような辛さがあるが、対価のように花が濃い。
 木・土・革はなく麦殻・乾草。それとは別にアーモンドや珈琲豆の香ばしさも感じるが、かなりささくれて賞味期限切れらしい。パルタガスらしい芋は気圧されて存在感がほぼない。
 過去9本の898と違って苦味をあまり感じなかったが、中盤で苦味が出てくる。これがこれまで感じなかったコク深くまろやかな苦味で、一杯八千五百円のカフェモカが一瞬よぎる。豆を焼き直したらしい。
 珈琲豆を実らせた金木犀がしとどにコンデンスミルクを滴らせる。滴っても煙なので異様にふくよかなミルクなのである。「金木犀ミルクカフェモカ」か。あるいはこの同じものに「蜂蜜ココナッツ珈琲」を醸成できなくもない。甘ったるいのではないが、脳髄に浸透するような香りの甘さである。
 10分ほどこのように調子よかったが、ささくれが戻る。痛いように苦い。
 ささくれの草っぽさが、蜂蜜をレンゲの蜂蜜にする。
 最後は棘のある薔薇の枝から金木犀が咲く。
 好悪が刻々と入れ替わりつつも兎に角高密度で複雑な1本だった。好にも飴と鞭を感じ、悪にも飴と鞭を感じる。もう少し精確にいうと、好には好飴と好鞭を感じ、悪には好飴と悪鞭を感じる。悪のみが蔓延る事はなかった。ただ、悪の時間の方がずっと長いのである。
|OUS OCT 09|6 x 50|cigarOne|$198/12|重量:+1(15.20g)|算出:+7|香味:+5|

 葉っぱらしい香ばしさの類が特等品の豆の香ばしさの二面相で、恰もアーモンドが根付()のように削られていく。洒脱な軽さがこの香ばしさを嘘のようなものにしている。嘘でこそ香ばしさが香ばしいのである。
 削りかすの薫香は衰えずに四囲に散り、女体か何かのように削り出されたアーモンドのなまめかしい白肌に木犀色が塗られる。秒音も俟たぬ間に削りかすが一斉に杉となって林立し、白い芯を有耶無耶に遮蔽するのである。目隠しをする杉の樹立の間から裸のような金木犀が隠見する。杉と木犀の縞がまるで二次元の水彩画のように奥行きなく滲み合っている。これでは杉も嫌いになれない。剰えアーモンドから育った杉である。
 女体にも見えた白い芯が何だったのか、判然としない。この煙には芯が無いというか、隠滅することではじめて芯を在らしめている。旨味の強弱とか、そういうものはない。ひたすら軽妙さの裡で揺られているのである。濃さも軽妙、薄さも軽妙、甘さも濃淡を失っている。
 後半は夢枕が椒椒として葉巻らしい15.20グラムの体躯に戻るのだが、これがまた目覚め一番の料理のようで現実的に美味しい。煙に『邯鄲の枕』()が引けるかどうか。まったく女体らしかったようなものが服をきちんと付けて、用意してくれた朝食が晩餐のようである。これも夢、次第に序盤の朝のアーモンドに戻りゆく。孤独で溌溂とした朝のアーモンド。それがまた木犀色に塗られるのである。少しぞっとする回廊のような変化のある、美味しい、変化のない日常である。また杉が林立し……。
 またしてもきちんとした妻のいる朝に戻る。煙にホウホウとしたどうでもよい亭主に晩餐のような朝食を作ってくれる。案外爽やかな晩餐である。テーブルには春だというのに金木犀が飾られている。これはおかしい。やはり夢なのだろう。私は一人なのだろう。煙は既婚者と独身者を併呑するのだろう。

 小数点第二位まで計測可能な精密量りを買ったのだから、重量を記載する事にした。重量のみをもって、ある程度ドローの良し悪しを判読できるらしい。重くてドロー良好であればこの上ない。
 先日の要領で最終盤をパイプに詰めて吸ってみても、こちらは最後まで美味しく、まあ残ゼロセンチを味わい得た。
 過去9本の想い出から良いところだけを抜き出して……と、こういうものを想像して10本目を着火したら、うまい具合にそのとおりになった。この香ばしさは、就中コイーバを髣髴とさせられはするけれど、比べれば比べるほどコイーバには無いもの(岩よりも食べ易いもの)で、香ばしさ自体に旨味の乗ったアーモンドである。アーモンドそのもののように芯の白味の乗ったアーモンドである。アーモンドそのものは好きではないはずだが、煙となればアーモンドは実に美味しい。ケーキやチョコレートのアーモンドよりも香ばしい。
|MES MAY 11|4.7 x 52|coh-hk|$285/10|重量:0|算出:+3|香味:+3|

 ニカラグア物のような、意表を突く荒い辛い出だし。だがまあ美味しい。草が一斉に燃え出したようで恐ろしいが、土と炭とカカオを粘土にしたようなコクが燃えた草の下に萌している。
 木は無く、草と土から金木犀が芬々と生えて、非常に甘くなる。
 荒さは静まるものの、強く、硬さが残り、アメリカ人が好みそうな味である。アメリカ人というには先入観が多分にあり、正規ルートではハバナを吸えないだけかもしれない。ニカラグア物に近い硬さを感じるだけかもしれない。という事はつまり、私は私の先入観について語りたかっただけなのか。いや、アメリカ人はハバナよりもニカラグアの葉っぱが好きで、だから国交を断絶したのだろう。政治的英邁は先ず葉巻の好みに左右されただろう。
 ともあれ以前1本試した54とこの1本目の52は全然味が違う。
 金木犀の量が凄く、葉というよりも金木犀を筒に詰めて吸っているような気になる。このバランスが気持ち悪い。BHKに合うかと思って買った娼婦のような赤ワイン(ウマニロンキ・クマロ)が気持ち悪さを助長している。ワイン単体ではまったく娼婦ではなかったから、葉巻がワインを誘うほどのどぎつい娼婦なのである。誘われる方も誘われる隙があったのであろう。日本酒(辛口)も甘すぎ、アイラモルトが葉巻に合うなどと思った事は一度もなかったのに、こればかりはそれを合わせるしかない。
 岩も土も金の影に潜んで、兎に角金木犀が乱れて甘い。金には影などないのである。

 +5を付けても過言ではない華やかさだが、趣味では+3以下。当りのロブストに到底及ばない底抜けの派手さが鼻につく。舌の両脇に残る雑味はロブストにもあった、これにもずっとある。

 残5センチで急激に薄まり、終盤らしい灰の滋味に塗られて、懐かしい葉巻感に落ち着いたが、あまり派手であったため、かえってつまらないような気もする。

 燭台の要領で最終盤をパイプ(一番安いパイプ)に詰めて吸ってみたら、残ゼロセンチまで美味しかった。とはいかない。残ゼロセンチの不味さというのはかなりのものである。クールスモーキングではあるのだが、不味いが故に吹き戻すほどの不味さ。実際、ゼロではなく5ミリで諦めた。唇の触覚は重要らしく、パイプでは妙な感じも拭えない。

 5月になったらもう1本試そうと思う。

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