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habanex.comという知らないサイトからメールが来た。英語がよくわからないがやや悪名高かった1001の新生だという話もある。調べているが出てくる情報が少ない。20%引きクーポンコード付きのメールで、既に買ってしまったコイーバ1966は兎も角、BHKなどが特に他より安い上に20%引きで有り難いのだが、容易に手を出せないでいる。
このように迂遠に質問してみたものの、このブログ、メールボックスを備えているのにメールが来た事がない。
このように迂遠に質問してみたものの、このブログ、メールボックスを備えているのにメールが来た事がない。
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|7.6 x 49|cigarOne|$96/5|重量:+1(16.00g)|算出:+3|香味:+3|
これで我が家のダブルコロナは全て無くなった。パンチとオヨとサンルイレイとルシタニアスとオーパスⅩを5本並べて悦に入ったのも束の間。
このパンチのダブルコロナは5本購入し、今日15ヶ月で5本目。
最近はクラシコスを三連発したから厳しいが、クラシックラインでしか得られない魅力もあるはずという優しい考えである。それに久しぶりにブルームの目立つ一本である。
それが、着火するとクラシコスにそっくりであった。だがもっと、ぐっと来る懐かしさがある。これはいい。トンデモ理論によれば、葉巻なんて、温度や湿度よりも、「いかに懐かしさを多く作れるか」が肝なのである。ERばかり食べる事によって、たとえER自体が美味しくなくても(美味しくても)、懐かしさへの窓が一つ増える。それでこうやってクラシックラインに戻ってくるだけで窓が開く。……本当だろうか。たまたまこのダブルコロナがアタリだっただけではないのか。
優しい濃さがずっと続いている。私にとってパンチは「クリーニング屋」とか「丸刈りのように円いスパイス」で、このパンチ特有の印象か、ほんのりと甘い優しさが濃い。けっしてカスタードクリームなどを供さずにクリーニング屋に留まるところも良い。微かにピリリとしてきたりするのは愛嬌の良さである。
これはまぎれもなくハバナ葉というよりパンチ葉である。
以上が序盤で、このまま変化しないで終ってくれても良い。変化したってろくな事にはならない。金木犀が咲いて、結局カスタードクリームのようになってしまいかねない。大体葉巻が金木犀に似ている所為で外で金木犀が咲いても毎年この時期があまり懐かしくなくなってしまったのである。
実際にそのようなものが濃くなりつつあるのだが、此処で丸刈りのスパイスが功を奏するのである。「元気でいてね」と別れて、十年後に会った友が何ら変わっていなかった、そういう感動に近い。現実にそんな感動を得た事はないが。友は確かに凛々しく変わっているのだ、だが未だに丸刈りを持しているのである。というにはあまりにもネガとポジのように(?)反転している。もはや丸刈りではないのだ、だが丸刈りなのである。
後半減衰。
優しかった人が皺苦茶になり青い歯茎を現す。
これで我が家のダブルコロナは全て無くなった。パンチとオヨとサンルイレイとルシタニアスとオーパスⅩを5本並べて悦に入ったのも束の間。
このパンチのダブルコロナは5本購入し、今日15ヶ月で5本目。
最近はクラシコスを三連発したから厳しいが、クラシックラインでしか得られない魅力もあるはずという優しい考えである。それに久しぶりにブルームの目立つ一本である。
それが、着火するとクラシコスにそっくりであった。だがもっと、ぐっと来る懐かしさがある。これはいい。トンデモ理論によれば、葉巻なんて、温度や湿度よりも、「いかに懐かしさを多く作れるか」が肝なのである。ERばかり食べる事によって、たとえER自体が美味しくなくても(美味しくても)、懐かしさへの窓が一つ増える。それでこうやってクラシックラインに戻ってくるだけで窓が開く。……本当だろうか。たまたまこのダブルコロナがアタリだっただけではないのか。
優しい濃さがずっと続いている。私にとってパンチは「クリーニング屋」とか「丸刈りのように円いスパイス」で、このパンチ特有の印象か、ほんのりと甘い優しさが濃い。けっしてカスタードクリームなどを供さずにクリーニング屋に留まるところも良い。微かにピリリとしてきたりするのは愛嬌の良さである。
これはまぎれもなくハバナ葉というよりパンチ葉である。
以上が序盤で、このまま変化しないで終ってくれても良い。変化したってろくな事にはならない。金木犀が咲いて、結局カスタードクリームのようになってしまいかねない。大体葉巻が金木犀に似ている所為で外で金木犀が咲いても毎年この時期があまり懐かしくなくなってしまったのである。
実際にそのようなものが濃くなりつつあるのだが、此処で丸刈りのスパイスが功を奏するのである。「元気でいてね」と別れて、十年後に会った友が何ら変わっていなかった、そういう感動に近い。現実にそんな感動を得た事はないが。友は確かに凛々しく変わっているのだ、だが未だに丸刈りを持しているのである。というにはあまりにもネガとポジのように(?)反転している。もはや丸刈りではないのだ、だが丸刈りなのである。
後半減衰。
優しかった人が皺苦茶になり青い歯茎を現す。
|UGA MAY 09|194mm x 49|Cigars of Cuba|$106/10|重量:+1(14.71g)|算出:+4|香味:+3|
購入後約22ヶ月で最後の10本目に着火。3年5ヶ月の物。重量の軽さに気が抜けたが吸い込みの心配はない。
葉の香味は適当な感じで、甘さだけが目立っている。砂糖でも塗っているような甘さで、何故か空吸いしていても甘さを感じた。それにしても葉の香味は適当な感じである。普通に美味しく、中級の米を食しているような感覚である。
ハズレた荒さに至るかと思いきやパルタガスにあるまじきカスタード風味に調えられていく。と感じた次の一服で突然パルタガスらしさが来た。こんなのパルタガスじゃない、と書こうと思った直後にである。突如甘さが鎮まり芋のような風味ある自然な甘味に代わり、辛くなる。あまりの入れ替わりの激しさに消滅したかに見えたが、カスタードは消えるものでなく、徐々に溶明してスイートポテトになってくる。すると今度は緑色の風趣が加わりだすのである、此処まで緑色は見えなかった。
手元にあった約二年の間にどのような変化があったのかはまるでわからなかった。初期に書いた文章と比べると今日の文章は違うが、この違いを熟成に因る違いと思って良いほど正確な文章でもなければ葉巻自体単純でもない。わかっているのはたった1本だけとんでもなく美味しくて驚いたという事のみ。今日のこれもこれはこれで相当美味しいもののはずだけれど、あまりパルタガスっぽくないし、むしろ直近のディプロマティコスNo.2に似ていて、あまり好きではないカスタードであり、終盤では再度カスタード臭さが鎮まるが、燠に木と風をくべるようにまた起こり、相性が悪いタイプとしか言い様がない。一本目の窮屈な感じのほうがまだ面白かった。
嗜好品の域に留まっている。
購入後約22ヶ月で最後の10本目に着火。3年5ヶ月の物。重量の軽さに気が抜けたが吸い込みの心配はない。
葉の香味は適当な感じで、甘さだけが目立っている。砂糖でも塗っているような甘さで、何故か空吸いしていても甘さを感じた。それにしても葉の香味は適当な感じである。普通に美味しく、中級の米を食しているような感覚である。
ハズレた荒さに至るかと思いきやパルタガスにあるまじきカスタード風味に調えられていく。と感じた次の一服で突然パルタガスらしさが来た。こんなのパルタガスじゃない、と書こうと思った直後にである。突如甘さが鎮まり芋のような風味ある自然な甘味に代わり、辛くなる。あまりの入れ替わりの激しさに消滅したかに見えたが、カスタードは消えるものでなく、徐々に溶明してスイートポテトになってくる。すると今度は緑色の風趣が加わりだすのである、此処まで緑色は見えなかった。
手元にあった約二年の間にどのような変化があったのかはまるでわからなかった。初期に書いた文章と比べると今日の文章は違うが、この違いを熟成に因る違いと思って良いほど正確な文章でもなければ葉巻自体単純でもない。わかっているのはたった1本だけとんでもなく美味しくて驚いたという事のみ。今日のこれもこれはこれで相当美味しいもののはずだけれど、あまりパルタガスっぽくないし、むしろ直近のディプロマティコスNo.2に似ていて、あまり好きではないカスタードであり、終盤では再度カスタード臭さが鎮まるが、燠に木と風をくべるようにまた起こり、相性が悪いタイプとしか言い様がない。一本目の窮屈な感じのほうがまだ面白かった。
嗜好品の域に留まっている。
|EMA OCT 07 (19444/20000)|5.5 x 50|coh-hk|$198/10|重量:+1(14.84g)|算出:+5|香味:+4|
丁度五年物。
静かな荒野感。
薄くとろけるような透明な甘味。
ミルクチョコの香。
ムスク(?)。
非常に複雑な感じがして、特に荒野感が複雑さを高めているらしい。グロリアクバーナやラファエルゴンサレスやレイデルムンドに感じ、べガスロバイナにはあまり感じない荒さであり、その荒い風味が何故か丁寧である。前回もこのような事を書いている。そこに一本目のとろけるような甘味が戻ってきていて、なおもべガスロバイナの味を感じさせるので嘗てなく突出した要素が絡み合っている。普通というか慣例というか、突出していない要素がいくら絡み合っても「複雑」という言葉は出てこないと思う。わかりやすい複雑さなのである。
2センチ進むと突如強くなる。刺激的で心地よい辛味が立ち、甘い草をちゅーっと吸っているような味の濃さ。甘さや草が色濃いのに、ハバナ葉らしい茶色い味がまったく隠されない。むしろ草が消える。
中身の詰まった吸い込みのかたさも凝縮感に繋がっている。手頃な大きさで、なかなか燃え進まず、有り難い。
何だろう、この品の良いフルボディは。凹凸が豊富なようでいて丸い。
筆者は葉巻というものは五年で熟成のピーク頃となり後は枯れ始めるという根拠のない考えを持っており、それならばと思って着火したら、単に美味しさのピークを感じるばかりだった。唖然とするほどの美味に気圧される事はなかったが、一つも欠点がなく美味ばかりが押し寄せた。ブルックナーの交響曲七番のように、前半の二楽章で盛り上がり、後半の二楽章は悪くもない。
赤ワインの古酒のような美味でもありながら、赤ワインの古酒は合わない。夜中でも紅茶が良い。思えば酔わせない類の葉巻でもあった。残三本。
丁度五年物。
静かな荒野感。
薄くとろけるような透明な甘味。
ミルクチョコの香。
ムスク(?)。
非常に複雑な感じがして、特に荒野感が複雑さを高めているらしい。グロリアクバーナやラファエルゴンサレスやレイデルムンドに感じ、べガスロバイナにはあまり感じない荒さであり、その荒い風味が何故か丁寧である。前回もこのような事を書いている。そこに一本目のとろけるような甘味が戻ってきていて、なおもべガスロバイナの味を感じさせるので嘗てなく突出した要素が絡み合っている。普通というか慣例というか、突出していない要素がいくら絡み合っても「複雑」という言葉は出てこないと思う。わかりやすい複雑さなのである。
2センチ進むと突如強くなる。刺激的で心地よい辛味が立ち、甘い草をちゅーっと吸っているような味の濃さ。甘さや草が色濃いのに、ハバナ葉らしい茶色い味がまったく隠されない。むしろ草が消える。
中身の詰まった吸い込みのかたさも凝縮感に繋がっている。手頃な大きさで、なかなか燃え進まず、有り難い。
何だろう、この品の良いフルボディは。凹凸が豊富なようでいて丸い。
筆者は葉巻というものは五年で熟成のピーク頃となり後は枯れ始めるという根拠のない考えを持っており、それならばと思って着火したら、単に美味しさのピークを感じるばかりだった。唖然とするほどの美味に気圧される事はなかったが、一つも欠点がなく美味ばかりが押し寄せた。ブルックナーの交響曲七番のように、前半の二楽章で盛り上がり、後半の二楽章は悪くもない。
赤ワインの古酒のような美味でもありながら、赤ワインの古酒は合わない。夜中でも紅茶が良い。思えば酔わせない類の葉巻でもあった。残三本。
|7 1/2 x 38|NextCigar|$168/10|重量:−1+1=0(9.70g)|算出:+7|香味:+5|
ダビドフを計量するのはこれで二品目目。一品目目(LE2008)で超重量級だった為、全体的にダビドフは重いのかと思ったが、そうではなかった。
この葉巻、二口目以降から「初めてのダビドフ」を彷彿とさせる恍惚への準備段階に入っている。よくわからないが「緑色の豆」が近くもなく遠くもない香のように味わわれ、花を乗せた風がうねるように静かに混ざってくる。三口目でもはや「これは葉っぱじゃないな」という感じがする。「これは夢じゃないな」という感覚であり、「これは夢だな」というのとは反対にして夢のような感覚である。
葉の香が戻り、ダビドフ流の松茸を匂わせる素晴らしいものだが、一口目の辛味も戻ってくる。
緑色の豆は、やはり小学生の口臭にも似ている。
いずれにしても此処数日初秋の風が沁みて、そこに巧い具合に滲んでくれる。金木犀などが立ってしまうとはや晩秋の感覚になってしまうのである。また此処数日で南側の部屋にて煙が南の窓に自然に抜けてくれるようになった。夏は煙が篭っていけない。
中盤、花の甘さが濃くなる。ダビドフ葉のお陰か、木犀のようでありながら木犀ではない。やはり、おそらく、初めてのプレミアムシガーでこれに当れば恍惚とする気がする。その時には順当にドライシガーばかり吸っていて辛味馴れしているだろうから、若干の辛味など気にかからず、辛味どころか葉の軽やかさや柔らかさばかりが引き立ってくれる。かてて加えてこの花薫である。驚きの他はなく、残量を気にしながらもスパスパと燻らせ、鼻に抜ける甘味に目から鱗を迸らせながら煙を肺に入れすぎて終局で気持ち悪くなるのである。
今ではなかなか恍惚とはしないが、実にしみじみと味わいうる。明るくも暗くもなく。どうしてだろう。ショパンのワルツを聴いていた所為もあるかもしれない。
限りなく5に近い4。記憶の所為だろう。(音楽などに点数を付けるのは憚られるが、葉巻には平気で点数を付けている。こんな注釈を入れるほど優しく愚かな気持ちになった。)
しかしますます甘く濃くなる。辛味は衰えないが、もはや絶妙な刺激と化した。スパイスというよりも、純粋な刺激である。にもかかわらずスパイスが加わらないではなく、緑色の豆に足りなかったものが加わっているのである。一服毎の余韻の長さも長々と特筆すべきであったかもしれない。余韻蕭々どころか、余韻にてますます膨らむ風情である。こうしてスパスパとやらずに余韻に浸る余裕が恍惚感を消すのかもしれないのに、とうとう恍惚としてきた。
ダビドフの葉の特徴を松茸とは言うが、松茸が胡麻を擂鉢で擂っているような香立ちと同時に擂れば擂るほど練りとろけるような微醺を帯びる。
残8センチでピークを迎え、後は雑味が加わってきたが、残8センチにしてもうこれが最終盤でも構わないと言うほかない変化が、もう何も望まないというところまで来たのである。
それから雑味が乗りすぎる事もなく、美味しいまま実際の最終盤を経過した。つまり最終盤が二度来る。
結局、どちらかといえば5なのである。
ダビドフを計量するのはこれで二品目目。一品目目(LE2008)で超重量級だった為、全体的にダビドフは重いのかと思ったが、そうではなかった。
この葉巻、二口目以降から「初めてのダビドフ」を彷彿とさせる恍惚への準備段階に入っている。よくわからないが「緑色の豆」が近くもなく遠くもない香のように味わわれ、花を乗せた風がうねるように静かに混ざってくる。三口目でもはや「これは葉っぱじゃないな」という感じがする。「これは夢じゃないな」という感覚であり、「これは夢だな」というのとは反対にして夢のような感覚である。
葉の香が戻り、ダビドフ流の松茸を匂わせる素晴らしいものだが、一口目の辛味も戻ってくる。
緑色の豆は、やはり小学生の口臭にも似ている。
いずれにしても此処数日初秋の風が沁みて、そこに巧い具合に滲んでくれる。金木犀などが立ってしまうとはや晩秋の感覚になってしまうのである。また此処数日で南側の部屋にて煙が南の窓に自然に抜けてくれるようになった。夏は煙が篭っていけない。
中盤、花の甘さが濃くなる。ダビドフ葉のお陰か、木犀のようでありながら木犀ではない。やはり、おそらく、初めてのプレミアムシガーでこれに当れば恍惚とする気がする。その時には順当にドライシガーばかり吸っていて辛味馴れしているだろうから、若干の辛味など気にかからず、辛味どころか葉の軽やかさや柔らかさばかりが引き立ってくれる。かてて加えてこの花薫である。驚きの他はなく、残量を気にしながらもスパスパと燻らせ、鼻に抜ける甘味に目から鱗を迸らせながら煙を肺に入れすぎて終局で気持ち悪くなるのである。
今ではなかなか恍惚とはしないが、実にしみじみと味わいうる。明るくも暗くもなく。どうしてだろう。ショパンのワルツを聴いていた所為もあるかもしれない。
限りなく5に近い4。記憶の所為だろう。(音楽などに点数を付けるのは憚られるが、葉巻には平気で点数を付けている。こんな注釈を入れるほど優しく愚かな気持ちになった。)
しかしますます甘く濃くなる。辛味は衰えないが、もはや絶妙な刺激と化した。スパイスというよりも、純粋な刺激である。にもかかわらずスパイスが加わらないではなく、緑色の豆に足りなかったものが加わっているのである。一服毎の余韻の長さも長々と特筆すべきであったかもしれない。余韻蕭々どころか、余韻にてますます膨らむ風情である。こうしてスパスパとやらずに余韻に浸る余裕が恍惚感を消すのかもしれないのに、とうとう恍惚としてきた。
ダビドフの葉の特徴を松茸とは言うが、松茸が胡麻を擂鉢で擂っているような香立ちと同時に擂れば擂るほど練りとろけるような微醺を帯びる。
残8センチでピークを迎え、後は雑味が加わってきたが、残8センチにしてもうこれが最終盤でも構わないと言うほかない変化が、もう何も望まないというところまで来たのである。
それから雑味が乗りすぎる事もなく、美味しいまま実際の最終盤を経過した。つまり最終盤が二度来る。
結局、どちらかといえば5なのである。
|MLO DIC 11 (2022/4000)|7 1/5 (182mm) x 50|cigarOne|$247/10|重量:+2( 18.43g)|算出:+3|香味:+3|
むっしりしてソフトな、完璧な吸い込み。吸い込みの感覚はこれまでの葉巻で一番良い。
パンチといえばクリーニング屋を思わせる香に始まる。クリーニング屋が料理屋のように美味しく匂う。そこに柔らかいスパイスと甘やかさを伴う旨味が乗ってくる。パンチのスパイスは兎に角柔らかいが、なんと言って良いのかいつもわからない。ウサギのツノのように柔らかい。クラシコスなので輪を掛けて柔らかい。
エリック・ボルドレのシードルを開封。コルクを焦がしているのか、アンティーク調で恰好好いコルク。発泡が弱く、少しキレが悪く、林檎が拗ねたような、苦くて深い感じ。林檎が老ねて、苦味が拗ねているか。試飲した瞬間葉巻に合いそうと思ったので葉巻を合わせても、淡い葉巻より濃い葉巻のほうが合いそう。これは淡い葉巻なので、合うという感じはないが、互いに邪魔もしない。こういう時は実は合っているのかもしれない。
花はしばらく無かったが、花もが淡く乗ってくる。その後はなかなか扁平である。扁平であるが荒野ではない、まったく、家の近所に地平線があったとでもいうような感じである。そうやって扁平な近所を散歩していると、時々見慣れない植物、というか無視していた見慣れた植物に気付く。すると突然地平線へ向けて草が一瞬にして真夏となって生き出すのである。この草原には見慣れない花がいくつも生えているだろう。だがそれをこの広大な草にどう探せば良いのか。有無、花のほうからこちらに寄って来る。此処は草も見えない花盛りだ。なんと蜜臭い事か。しかもその蜜がパンに塗ったように柔らかい。そのうち蜜蜂の羽音にびびるのではないかな。蜂もなく花に囲まれるなどありえない。
いやそもそも、知らぬ間に大量の蜂に刺されていたのである。蜜蜂の針が私に蓄積され、私は薔薇か仙人掌になった。しかも針が逆向きで、人に優しいそれになったのである。
むっしりしてソフトな、完璧な吸い込み。吸い込みの感覚はこれまでの葉巻で一番良い。
パンチといえばクリーニング屋を思わせる香に始まる。クリーニング屋が料理屋のように美味しく匂う。そこに柔らかいスパイスと甘やかさを伴う旨味が乗ってくる。パンチのスパイスは兎に角柔らかいが、なんと言って良いのかいつもわからない。ウサギのツノのように柔らかい。クラシコスなので輪を掛けて柔らかい。
エリック・ボルドレのシードルを開封。コルクを焦がしているのか、アンティーク調で恰好好いコルク。発泡が弱く、少しキレが悪く、林檎が拗ねたような、苦くて深い感じ。林檎が老ねて、苦味が拗ねているか。試飲した瞬間葉巻に合いそうと思ったので葉巻を合わせても、淡い葉巻より濃い葉巻のほうが合いそう。これは淡い葉巻なので、合うという感じはないが、互いに邪魔もしない。こういう時は実は合っているのかもしれない。
花はしばらく無かったが、花もが淡く乗ってくる。その後はなかなか扁平である。扁平であるが荒野ではない、まったく、家の近所に地平線があったとでもいうような感じである。そうやって扁平な近所を散歩していると、時々見慣れない植物、というか無視していた見慣れた植物に気付く。すると突然地平線へ向けて草が一瞬にして真夏となって生き出すのである。この草原には見慣れない花がいくつも生えているだろう。だがそれをこの広大な草にどう探せば良いのか。有無、花のほうからこちらに寄って来る。此処は草も見えない花盛りだ。なんと蜜臭い事か。しかもその蜜がパンに塗ったように柔らかい。そのうち蜜蜂の羽音にびびるのではないかな。蜂もなく花に囲まれるなどありえない。
いやそもそも、知らぬ間に大量の蜂に刺されていたのである。蜜蜂の針が私に蓄積され、私は薔薇か仙人掌になった。しかも針が逆向きで、人に優しいそれになったのである。
|SAR MAR 12|5 1/2 x 54|cigarOne|$76/5|重量:+1(16.17g)|算出:+3|香味:+3|
初っ端から何かほかほかな芋のような味わいが薄らと口の中で膨らむ。その口の中に少しずつ花弁を入れられて、砂糖の粒も一粒ずつ入れられて、なんだか口をぽかんと開けているだけで味が増えていくような自動的な心地よさである。葉巻が太いというのがその原因かもしれない。久しぶりにパルタガスのパルタガの字まで感じる、それも一等穏やかに。
序盤をすぎるとパルタガだった味わいがパルぐらいに短くなった。
「何やってんの?」
「パルッテル」。
「蛍光灯がクルッテル?」。
「そうなんだ、ああ唄い出したくなるようなんだよ」。
「口にサイレンサーでも付けておいたほうがいいよ」。
私は漸くの思いでサイレンサーを取り外した。雑味の喧しいトンネルを抜けるとそこはパルタだった。そのデルタ地帯には花のような香のワインがワルツのように流れ、私は鶴羽(ツルワ)を畳んだ鶴の気分で三角関係を感じたのだった。四から二へ、二から三へ満つる三角関係であった。それにしても三角の何処が魅力なのだろう。デジタル臭い四角四面のほうがまだ心地よい気がしなくなかった。
初っ端から何かほかほかな芋のような味わいが薄らと口の中で膨らむ。その口の中に少しずつ花弁を入れられて、砂糖の粒も一粒ずつ入れられて、なんだか口をぽかんと開けているだけで味が増えていくような自動的な心地よさである。葉巻が太いというのがその原因かもしれない。久しぶりにパルタガスのパルタガの字まで感じる、それも一等穏やかに。
序盤をすぎるとパルタガだった味わいがパルぐらいに短くなった。
「何やってんの?」
「パルッテル」。
「蛍光灯がクルッテル?」。
「そうなんだ、ああ唄い出したくなるようなんだよ」。
「口にサイレンサーでも付けておいたほうがいいよ」。
私は漸くの思いでサイレンサーを取り外した。雑味の喧しいトンネルを抜けるとそこはパルタだった。そのデルタ地帯には花のような香のワインがワルツのように流れ、私は鶴羽(ツルワ)を畳んだ鶴の気分で三角関係を感じたのだった。四から二へ、二から三へ満つる三角関係であった。それにしても三角の何処が魅力なのだろう。デジタル臭い四角四面のほうがまだ心地よい気がしなくなかった。
|MES MAY 11|4.7 x 52|coh-hk|$285/10|重量:0(11.92g)|算出:+5|香味:+4|
三本目。
保管湿度とは関係がないと思しき乾いた辛い味。淡さというより薄さが立つ。それでも不味くはなく、葉巻の葉の字の味がする。中盤までこの調子で、BHKにしてハズレたようだった。
だが中盤過ぎから木犀がかなりの甘さをもって噴出するのである。初回並みの強烈な木犀が破裂した水道管の映像を見るかの如くしかし金色黄色に輝いて見える。
豆豆しき味、山椒のようなスパイスが微かに散っている。
貯水が尽きるのか、深く煎った、しかし明るいナッツの、太いコイーバの味に落ち着く。けっしてマデューロっぽくなく、明るさが太く重い。のどごしは一瞬にしてフルボディに変貌してしまったが、どことなく軽い明るさなのである。水浸しの周囲がちろちろと輝いて、その光が匂っている。
全体的には一本目よりも駄目な気もするが、前半駄目だったからこそ変化の妙が際立ち、底力を感じる。
最終盤は密やかな香に衰えてほぼ苦くて辛いばかり。葉巻の密やかさには特別精妙なものを感じないのである。
11.92gの鎌倉幕府みたいだが、今日たまたま源実朝の和歌を読んでいた。
三本目。
保管湿度とは関係がないと思しき乾いた辛い味。淡さというより薄さが立つ。それでも不味くはなく、葉巻の葉の字の味がする。中盤までこの調子で、BHKにしてハズレたようだった。
だが中盤過ぎから木犀がかなりの甘さをもって噴出するのである。初回並みの強烈な木犀が破裂した水道管の映像を見るかの如くしかし金色黄色に輝いて見える。
豆豆しき味、山椒のようなスパイスが微かに散っている。
貯水が尽きるのか、深く煎った、しかし明るいナッツの、太いコイーバの味に落ち着く。けっしてマデューロっぽくなく、明るさが太く重い。のどごしは一瞬にしてフルボディに変貌してしまったが、どことなく軽い明るさなのである。水浸しの周囲がちろちろと輝いて、その光が匂っている。
全体的には一本目よりも駄目な気もするが、前半駄目だったからこそ変化の妙が際立ち、底力を感じる。
最終盤は密やかな香に衰えてほぼ苦くて辛いばかり。葉巻の密やかさには特別精妙なものを感じないのである。
11.92gの鎌倉幕府みたいだが、今日たまたま源実朝の和歌を読んでいた。
|3 7/8 x 24|近所の煙草屋|¥1600/10|重量:−2|算出:+5|香味:+3|
前回コイーバクラブを書いてから四ヶ月経つ。すっかり忘れていて4ヶ月半寝ていた。これが葉巻の「葉」の字どころか「葉巻」の字であり、岩をもどかす嵐に戦ぐ木々の葉のように黒々深々とした風圧にパンケーキやカスタードや木犀が所狭しほんわかと犇めいている。
何がいいたいのかというと、何本プレミアムシガーを眺めるのみならず灰にしてしまっても、味自体はクラブでも劣らないということらしい。
辛味はあるが雑味とは感じない。むしろ細さによって辛味が得られると捉えたほうが良いのかもしれない。すると初心者がシガリロから入るというのは、玄人に有無をいわせない玄人になる。
前回コイーバクラブを書いてから四ヶ月経つ。すっかり忘れていて4ヶ月半寝ていた。これが葉巻の「葉」の字どころか「葉巻」の字であり、岩をもどかす嵐に戦ぐ木々の葉のように黒々深々とした風圧にパンケーキやカスタードや木犀が所狭しほんわかと犇めいている。
何がいいたいのかというと、何本プレミアムシガーを眺めるのみならず灰にしてしまっても、味自体はクラブでも劣らないということらしい。
辛味はあるが雑味とは感じない。むしろ細さによって辛味が得られると捉えたほうが良いのかもしれない。すると初心者がシガリロから入るというのは、玄人に有無をいわせない玄人になる。
|SUA JUN 01|235㎜ x 47|COC|($125/5)|重量:+2(20.77g)|算出:−3|香味:0|
COCでAサイズ5本組みで買ったもの。送られてきた物は裸だったが、A5本入りの空箱(1本入りキャビネ×5)に移してビニールに包んでおいた為か、まだ濃厚なりし日の匂いを立てている。しかし嚔を誘発するほどではない。
Aでドローが悪い場合、絶望しかありません。修正方法も墨田区の工場にでも行くしかないような。長くて細い注射針を刺してもらうのです。ですが着火するとそう悪すぎはせず、なんだか許せちゃうような、チョイ悪というもっとも唾棄すべき状態なのでありました。大体根元の方が詰まっている事が多いので、回復に期待も持てません。
白ワインの後味を必要以上に苦くするような葉巻の味わいで、ボディも弱い為、マイナスとマイナスが重なり、淡さを美化する事もできませんし、
これにてヴィンテージモノのモンテAの二本を終ってしまいました。先日同じAサイズのサンチョスのAサイズのサインチョスのAサイズの醍醐味を吸引したばかりなのに、それでAサイズばかりを買う算段だってつかせぬではなかったのに、結局は希望的な葉巻でありそれだけにもっとも絶望しやすい葉巻でもあったのです。微かな淡さにパンチ・クラシコスとの近似がありますし、ERでAが出れば良さそうです。
なんてむしゃくしゃする文章を書く女だろう!
人を食べログ女にするような葉巻なのです。しかも男のように一人でレストランに行くような女。
気の合う男と女のように巧くいかないもの、それが葉巻です。こうしてとうとう凡庸を極めたのである。
まったく目茶苦茶です、目茶苦茶なのに滅茶苦茶ではないドストエフスキーでも読むしかありますまい。
それにしてもむかつくのはこの葉巻じゃないかしらではないかですわでどす。結局最初から最後までまったく同じでした。まったく、こんなに長いのに此処まで安定しているものは見た事がありませんわだ。こんなにゼロに近いものがあるかしら。こんなに長いのに、まるで空気のように終った。少し美味しいような、少し吸い込み難くて息苦しい空気だった。
残7センチのところで、漸くピンセットで図太い葉脈を一本抜く事ができた。フィラーの葉脈に比べればラッパーの葉脈なんてどうでもいいのです。抜いたあと、少しモンテクリストの味がした。
モンテクリストの味か否かどころではずっとなかったのである。小粋な辛味も加わり、まるでホイタスを吸っているような気分になった。フィラーの葉脈一本でここまで違うとは。Aは手練が巻くはずなのに、もっとちゃんと巻いてもらいたい。手練というのはキューバにあってはお調子者にすぎぬのでしょうか。
11年経っても健在という事はわかった。11歳なんて、わしに比べれば大した歳じゃないがね。蝉ほどではないが、儚い葉巻じゃ。毎年繰り返す悠久でもあるまい。
なんだか色々な意味で複雑でどうでも良くなってしまう。葉巻というのは美味しすぎる時にのみ目茶苦茶になるというよりは、少し不味い時に目茶苦茶になるようである。つまり美味しい葉巻はあまり煙たくはないのである。もう何がなんだかわからない。癇癪も中途半端に終る。
COCでAサイズ5本組みで買ったもの。送られてきた物は裸だったが、A5本入りの空箱(1本入りキャビネ×5)に移してビニールに包んでおいた為か、まだ濃厚なりし日の匂いを立てている。しかし嚔を誘発するほどではない。
Aでドローが悪い場合、絶望しかありません。修正方法も墨田区の工場にでも行くしかないような。長くて細い注射針を刺してもらうのです。ですが着火するとそう悪すぎはせず、なんだか許せちゃうような、チョイ悪というもっとも唾棄すべき状態なのでありました。大体根元の方が詰まっている事が多いので、回復に期待も持てません。
白ワインの後味を必要以上に苦くするような葉巻の味わいで、ボディも弱い為、マイナスとマイナスが重なり、淡さを美化する事もできませんし、
これにてヴィンテージモノのモンテAの二本を終ってしまいました。先日同じAサイズのサンチョスのAサイズのサインチョスのAサイズの醍醐味を吸引したばかりなのに、それでAサイズばかりを買う算段だってつかせぬではなかったのに、結局は希望的な葉巻でありそれだけにもっとも絶望しやすい葉巻でもあったのです。微かな淡さにパンチ・クラシコスとの近似がありますし、ERでAが出れば良さそうです。
なんてむしゃくしゃする文章を書く女だろう!
人を食べログ女にするような葉巻なのです。しかも男のように一人でレストランに行くような女。
気の合う男と女のように巧くいかないもの、それが葉巻です。こうしてとうとう凡庸を極めたのである。
まったく目茶苦茶です、目茶苦茶なのに滅茶苦茶ではないドストエフスキーでも読むしかありますまい。
それにしてもむかつくのはこの葉巻じゃないかしらではないかですわでどす。結局最初から最後までまったく同じでした。まったく、こんなに長いのに此処まで安定しているものは見た事がありませんわだ。こんなにゼロに近いものがあるかしら。こんなに長いのに、まるで空気のように終った。少し美味しいような、少し吸い込み難くて息苦しい空気だった。
残7センチのところで、漸くピンセットで図太い葉脈を一本抜く事ができた。フィラーの葉脈に比べればラッパーの葉脈なんてどうでもいいのです。抜いたあと、少しモンテクリストの味がした。
モンテクリストの味か否かどころではずっとなかったのである。小粋な辛味も加わり、まるでホイタスを吸っているような気分になった。フィラーの葉脈一本でここまで違うとは。Aは手練が巻くはずなのに、もっとちゃんと巻いてもらいたい。手練というのはキューバにあってはお調子者にすぎぬのでしょうか。
11年経っても健在という事はわかった。11歳なんて、わしに比べれば大した歳じゃないがね。蝉ほどではないが、儚い葉巻じゃ。毎年繰り返す悠久でもあるまい。
なんだか色々な意味で複雑でどうでも良くなってしまう。葉巻というのは美味しすぎる時にのみ目茶苦茶になるというよりは、少し不味い時に目茶苦茶になるようである。つまり美味しい葉巻はあまり煙たくはないのである。もう何がなんだかわからない。癇癪も中途半端に終る。
銘
囹
月