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|MUR OCT 13|6 2/5 x 54|coh-hk|$156/10|重量:+1(17.78g)|算出:−1|香味:+1|計0点|
「貰いものの葉巻を吹かすより、霰弾で鳥をばらす方が、よっぽど贅沢じゃないか」
始まりから絶佳、紅茶の高貴な煙が棚引く。端から絶景もおかしいが、突然汽車の旅に出た心境になる。
はや杏仁山やカスタード渓谷が見えてきます。山から風趣豊かな砂糖水が渓谷に流れています。あぁあぁあぁあぁっぁあぁあぁああ線路に小石が目立つようになります。
景色があまり変りません。
煙突から煙が消えてしまいます。走ってみれば汽車が悪く、煙突に物が詰まったような走り方でした。汽車が壊れて、血迷って、目的地に始まり、逆走しているようです。目的地では山が近すぎて全貌がまるでわからなかったのでした。
再着火ついでに最後尾の車両を切り離しました。身軽になるとレールにレモンが転がっています。
ちょっと別の角度から風光明媚な山や渓谷が見えますが、小石やレモンを踏みつけて今にも脱線しそうです。同じ山、同じ渓谷のぐるりを回る汽車です。しゃぶしゃぶ用の鍋の縁を走っているようです。最初は望遠鏡で山を覘いていたのです。
山は夕暮れでもないのに紅茶色。渓谷も水量が多くありません。乾いた土地に、鄙びた花が少し。もっとも雨期には大量の花が咲くでしょう。この地は雨期がほとんどでしょう。危険ですが、車窓から顔を出し、鯉が滝登りをするのを見れば今日でも大量の花が見つかります。
ただどうも、今日は山も線路も荒れて頂上が見えません。乾いているのに晴れもせず、曇です。雨期が近づいているのです。雨後の花はどれほど綺麗か、また来てみたいものです。ああ! あそこに紅茶で燻した革の馬具で鎧ったお馬さんが歩いています。
「貰いものの葉巻を吹かすより、霰弾で鳥をばらす方が、よっぽど贅沢じゃないか」
始まりから絶佳、紅茶の高貴な煙が棚引く。端から絶景もおかしいが、突然汽車の旅に出た心境になる。
はや杏仁山やカスタード渓谷が見えてきます。山から風趣豊かな砂糖水が渓谷に流れています。あぁあぁあぁあぁっぁあぁあぁああ線路に小石が目立つようになります。
景色があまり変りません。
煙突から煙が消えてしまいます。走ってみれば汽車が悪く、煙突に物が詰まったような走り方でした。汽車が壊れて、血迷って、目的地に始まり、逆走しているようです。目的地では山が近すぎて全貌がまるでわからなかったのでした。
再着火ついでに最後尾の車両を切り離しました。身軽になるとレールにレモンが転がっています。
ちょっと別の角度から風光明媚な山や渓谷が見えますが、小石やレモンを踏みつけて今にも脱線しそうです。同じ山、同じ渓谷のぐるりを回る汽車です。しゃぶしゃぶ用の鍋の縁を走っているようです。最初は望遠鏡で山を覘いていたのです。
山は夕暮れでもないのに紅茶色。渓谷も水量が多くありません。乾いた土地に、鄙びた花が少し。もっとも雨期には大量の花が咲くでしょう。この地は雨期がほとんどでしょう。危険ですが、車窓から顔を出し、鯉が滝登りをするのを見れば今日でも大量の花が見つかります。
ただどうも、今日は山も線路も荒れて頂上が見えません。乾いているのに晴れもせず、曇です。雨期が近づいているのです。雨後の花はどれほど綺麗か、また来てみたいものです。ああ! あそこに紅茶で燻した革の馬具で鎧ったお馬さんが歩いています。
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|7" x 48|seriouscigars|$226.95/8|重量:+1(17.21g)|算出:+3|香味:+3|
お月様を眺めながら月と蛇、と思って虫の聞こえるベランダに居ると蛾が飛んできて部屋に逃げる。地球を真っ暗にして梯子さえ掛けてやれば蛾は月まで飛んで行くのではないか。蛾の拘りは地に足の付いた物の上を飛ぶという事で、だから梯子がなければあんまり高い処へは飛べない。というトンデモ理論を昔考えた事を思い出す。
ダビドフにしては吸い込みが硬いのだが、先の方が詰まっていたのか徐々に改善される。基本はダビドフで同じなのだが、その中で突出して、何か、醤油の染みのような、滋味深い味わいが感じられる。松茸や木犀やタピオカやと云う基色の無数の糸が偶々そう見える絡まりを見せているだけだろうけれど、醤油煎餅じみた落着きもあって、一本珍しい糸を足した感じがする。クラシックシリーズに次いで軽いようだし、旨味は煎餅の軽さである。米の旨味もある。大らかさや柔らかさを演出するであろう太さがクラシックに比べると堅さや重さになっているようにも思えてしまうけれど。細いのに軽いというか細いから軽いという印象がクラシックシリーズの特色でもある。
久しぶりに葉巻を堪能した。葉巻が美味しかったというより、これはお月様のお力。
再びベランダに出るとお月様は完全に雲の中に隠れていた。
4本目。残4本。
お月様を眺めながら月と蛇、と思って虫の聞こえるベランダに居ると蛾が飛んできて部屋に逃げる。地球を真っ暗にして梯子さえ掛けてやれば蛾は月まで飛んで行くのではないか。蛾の拘りは地に足の付いた物の上を飛ぶという事で、だから梯子がなければあんまり高い処へは飛べない。というトンデモ理論を昔考えた事を思い出す。
ダビドフにしては吸い込みが硬いのだが、先の方が詰まっていたのか徐々に改善される。基本はダビドフで同じなのだが、その中で突出して、何か、醤油の染みのような、滋味深い味わいが感じられる。松茸や木犀やタピオカやと云う基色の無数の糸が偶々そう見える絡まりを見せているだけだろうけれど、醤油煎餅じみた落着きもあって、一本珍しい糸を足した感じがする。クラシックシリーズに次いで軽いようだし、旨味は煎餅の軽さである。米の旨味もある。大らかさや柔らかさを演出するであろう太さがクラシックに比べると堅さや重さになっているようにも思えてしまうけれど。細いのに軽いというか細いから軽いという印象がクラシックシリーズの特色でもある。
久しぶりに葉巻を堪能した。葉巻が美味しかったというより、これはお月様のお力。
再びベランダに出るとお月様は完全に雲の中に隠れていた。
4本目。残4本。
|SMO JUN 11|4 4/5 x 50|coh-hk|$258.40/25|重量:0(12.50g)|算出:+4|香味:+3|
三年経ったコイーバのロブストとは如何なる物なのか、黄色いような赤いような斑の無い独特なカフェオレ色のようなミルキーな色が恰好良くも見えます。まるで夕焼けを見ているつもりが何も見ていないようです。
三年で枯れるような事もないでしょうけれど、ビオフェルミンをともなう薄口に始まり、もう花やか。ほどなくお約束の、岩を挽き砕いたようなコクが出てきます。
吸い急ぎすぎたのでしょうか、火種はちゃんと点いているのに、剣のつく赤い峠は見なかったはずですが、気づけば溶岩はもう冷えて黒々とした剣のつく峠が葉巻の先っぽに残り、風に風穴が開いたように風景が荒くぼやけます。そこで丁度咽が渇いてきたのでカクテルを作って戻りますと、嶮しい岩に花が咲きます、大量大輪です。岩もがっしりとしました。嶮しい岩です。
甘くなります。まろやかになります。花がミルクに融けてしまったようです。岩もキャラメルみたいに平べったく融けてしまいました。
でぶでぶ 百貫でぶ 車に轢かれて ぺっちゃんこ
こんな唄を思い出します。本当はもっと詩情の豊かな唄を思い出したいふうですが、私の頭には記憶力というものがありません。カラカラと鶏の風車のように未来に尻を向けて回転するばかりです。風の向って来る方が未来でしょうし、そんな風車が何処にあったかはわかりません。比喩なんて空っぽなものではないでしょうか。好んで空っぽな比喩を作っているのでしょうか。
今度は火種が消えて、また点火すると、岩に咲いた花にまた戻ります。記憶しないのに、また戻ると言って、良いのでしょうか。定規のように、棒に時間のメモリが付いているとしたら、曲がった定規です。これでは葉巻のような葉巻というのと変わりありません。定規のような葉巻ではないようですが、私は戻った先の葉巻の味をもう忘れているのに、また戻ると言っているのです。
私はまたカクテルを作って戻りました。と一口、金木犀が咲いたのです。少し、二口三口で金木犀を飲み干してしまいました。カクテルが金木犀の風味だったのでしょうか。葉巻を休める、口と鼻も休めて、口をカクテルの液で爽やかにします、すると本当に少しですが、全く新鮮な秋風の煙が立ちます。カクテルの味は、変わらないレシピで出来ています。
でも、こうして見てみますと、景色に煙っぽさが出たのは、剣のつく峠の時だけでした。風に風穴が開いたようにという比喩がもし奇を衒わずに上手ならば、美味しい時ばかりが美味しいのでもないようです。
記憶にありませんが、百貫といったような、ぺっちゃんこな唄ははっきりと憶えているようです。でも
ぺったんこは煎餅 煎餅は甘い 甘いは煎餅 煎餅は辛い 辛いは……
こんな唄を思い出します。
三年物がどういう事なのか調べるのも忘れて、最初がちょっとビオフェルミンだったのを思い出して、二十五本目がいつの間にか終ってしまいました。
三年経ったコイーバのロブストとは如何なる物なのか、黄色いような赤いような斑の無い独特なカフェオレ色のようなミルキーな色が恰好良くも見えます。まるで夕焼けを見ているつもりが何も見ていないようです。
三年で枯れるような事もないでしょうけれど、ビオフェルミンをともなう薄口に始まり、もう花やか。ほどなくお約束の、岩を挽き砕いたようなコクが出てきます。
吸い急ぎすぎたのでしょうか、火種はちゃんと点いているのに、剣のつく赤い峠は見なかったはずですが、気づけば溶岩はもう冷えて黒々とした剣のつく峠が葉巻の先っぽに残り、風に風穴が開いたように風景が荒くぼやけます。そこで丁度咽が渇いてきたのでカクテルを作って戻りますと、嶮しい岩に花が咲きます、大量大輪です。岩もがっしりとしました。嶮しい岩です。
甘くなります。まろやかになります。花がミルクに融けてしまったようです。岩もキャラメルみたいに平べったく融けてしまいました。
でぶでぶ 百貫でぶ 車に轢かれて ぺっちゃんこ
こんな唄を思い出します。本当はもっと詩情の豊かな唄を思い出したいふうですが、私の頭には記憶力というものがありません。カラカラと鶏の風車のように未来に尻を向けて回転するばかりです。風の向って来る方が未来でしょうし、そんな風車が何処にあったかはわかりません。比喩なんて空っぽなものではないでしょうか。好んで空っぽな比喩を作っているのでしょうか。
今度は火種が消えて、また点火すると、岩に咲いた花にまた戻ります。記憶しないのに、また戻ると言って、良いのでしょうか。定規のように、棒に時間のメモリが付いているとしたら、曲がった定規です。これでは葉巻のような葉巻というのと変わりありません。定規のような葉巻ではないようですが、私は戻った先の葉巻の味をもう忘れているのに、また戻ると言っているのです。
私はまたカクテルを作って戻りました。と一口、金木犀が咲いたのです。少し、二口三口で金木犀を飲み干してしまいました。カクテルが金木犀の風味だったのでしょうか。葉巻を休める、口と鼻も休めて、口をカクテルの液で爽やかにします、すると本当に少しですが、全く新鮮な秋風の煙が立ちます。カクテルの味は、変わらないレシピで出来ています。
でも、こうして見てみますと、景色に煙っぽさが出たのは、剣のつく峠の時だけでした。風に風穴が開いたようにという比喩がもし奇を衒わずに上手ならば、美味しい時ばかりが美味しいのでもないようです。
記憶にありませんが、百貫といったような、ぺっちゃんこな唄ははっきりと憶えているようです。でも
ぺったんこは煎餅 煎餅は甘い 甘いは煎餅 煎餅は辛い 辛いは……
こんな唄を思い出します。
三年物がどういう事なのか調べるのも忘れて、最初がちょっとビオフェルミンだったのを思い出して、二十五本目がいつの間にか終ってしまいました。
|TEB DIC 08|6 2/5 x 54|cigarOne|$218/10|重量:+2(18.22g)|算出:+3|香味:+3|
エキゾチックな匂いがします。熟成の賜物でしょうか、独特のココナッツが変じてか、オーパスⅩのような完熟シナモンが匂い立っています。
終ってみれば、安定して何も突兀とせずに終ります。ずっと山場だったのかもしれません。
あと一本、来年の夏か、再来年の夏か、次に買うならば真っ先に520をと思います。夏のこれの代わりになるでしょうか。私にとってこれは夏の小粋な風物の一つでした。
円安の所為でなく、此処一年は葡萄酒ばかり購入していた為に新しい葉巻を持たず、着々と在庫を減らすのみでした。
一番美味しい物にしか興味がなければ、2009年のボルドー産を細々と買い集めずにはおれません。ロマネコンティを買えればいつだって済む話です。葡萄酒だって葉巻のようにパルタガスルシタニアスで済むのかもしれませんが、やっぱりロマネコンティは美味しそうです。買い集めてみると、どうもボルドー産よりもブルゴーニュ産の方が好きなようです。
エキゾチックな匂いがします。熟成の賜物でしょうか、独特のココナッツが変じてか、オーパスⅩのような完熟シナモンが匂い立っています。
終ってみれば、安定して何も突兀とせずに終ります。ずっと山場だったのかもしれません。
あと一本、来年の夏か、再来年の夏か、次に買うならば真っ先に520をと思います。夏のこれの代わりになるでしょうか。私にとってこれは夏の小粋な風物の一つでした。
円安の所為でなく、此処一年は葡萄酒ばかり購入していた為に新しい葉巻を持たず、着々と在庫を減らすのみでした。
一番美味しい物にしか興味がなければ、2009年のボルドー産を細々と買い集めずにはおれません。ロマネコンティを買えればいつだって済む話です。葡萄酒だって葉巻のようにパルタガスルシタニアスで済むのかもしれませんが、やっぱりロマネコンティは美味しそうです。買い集めてみると、どうもボルドー産よりもブルゴーニュ産の方が好きなようです。
|LOE JUN 12|4 3/8 × 40|coh-hk|$176/25|重量:?(?g)|算出:−7|香味:−5|
二ヶ月も間隔を開けるとブログの更新の手順も忘れる。すぐに思い出せる程度の簡単な作業で助かった。
この憎き箱の最後の一本。一時若干吸い込みの良い物が数本のみ連続して箱としての評価を上げたが、久しぶりの最後の一本で途轍もなく吸い込みの悪い物に当る。棒同断で、埃の香のように微かなしかし美味しい味わいが感じられるも、棒は棒、これならまだ未来の成虫を怖れつつ孑孒を観察していた方が面白い。
昔、三日坊主で辞めた水彩画の、色を溶いた四股のバケツの水に七色の孑孒が生息していた事があった。三日坊主というものはパレットの絵具を洗わずバケツの水を捨てもしない。床はピカピカに毎週磨いているのに。
葉の品質は良く、吸い込みさえ通れば、色の一つとして数えられる。コイーバのマデューロはあからさまにハバナに目立つ新色を添えているから。他の箱がどうだか知らないし、もうあまり知りたくもないのだが、佳い箱が多々だったら、二度と買わない者は今後損をしてしまう。
小さいものはドローのチェックをしないのか。大きいものは手練が巻くのだとしたら、下手が巻く小さいものこそチェックして欲しいような。内実を全く知らない下手な愚痴なのだが。兎に角葉は美味しい。
二ヶ月も間隔を開けるとブログの更新の手順も忘れる。すぐに思い出せる程度の簡単な作業で助かった。
この憎き箱の最後の一本。一時若干吸い込みの良い物が数本のみ連続して箱としての評価を上げたが、久しぶりの最後の一本で途轍もなく吸い込みの悪い物に当る。棒同断で、埃の香のように微かなしかし美味しい味わいが感じられるも、棒は棒、これならまだ未来の成虫を怖れつつ孑孒を観察していた方が面白い。
昔、三日坊主で辞めた水彩画の、色を溶いた四股のバケツの水に七色の孑孒が生息していた事があった。三日坊主というものはパレットの絵具を洗わずバケツの水を捨てもしない。床はピカピカに毎週磨いているのに。
葉の品質は良く、吸い込みさえ通れば、色の一つとして数えられる。コイーバのマデューロはあからさまにハバナに目立つ新色を添えているから。他の箱がどうだか知らないし、もうあまり知りたくもないのだが、佳い箱が多々だったら、二度と買わない者は今後損をしてしまう。
小さいものはドローのチェックをしないのか。大きいものは手練が巻くのだとしたら、下手が巻く小さいものこそチェックして欲しいような。内実を全く知らない下手な愚痴なのだが。兎に角葉は美味しい。
|7" x 48|seriouscigars|$226.95/8|重量:+1(16.52g)|算出:+5|香味:+4|
初めてのダビドフの感動は、葉巻とはこれほどまで軽いものなのかという驚きだった。その飛んで落ちてもふわりの羽に加え蝶を誘う馨しい花畑が煙の向こう側からこちら側にも来て、もう心此処に非ずでうっとりとしてしまったのである。始めから終りまでずっと恍惚状態で終った。
この蛇をくゆりとしていて、なんだか当時を初めて克明に思い出しえた。
今まで思い出そうとして思い出せなかった。兎に角美味しかったという事だけしか思い出せず、どうして美味しかったのかがわからなかった。
葉巻は重くて重くて初心者の手に余る、こういう固定観念がなければならなかった。事前に、初めてのNo.2と同時購入したコイーバのシグロ1やセクレトスや新世界を直前事前に燻らせていたのだから尚である。強い物の良さというのは固定観念どおりの強さゆえ先ずあまり面白くなくわからなかったし、シグロ1が外れたというのもあった。(固定観念などどうでも良いものだが、この観念を間違えるか、ダビドフが外れるかすると、ただの薄いだけの物になってしまう。ダビドフを美味しく感じるには「葉巻は重すぎる」という固定観念を温床とせねばならない。間違えない為には間違えた固定観念を必要とする。のちのちダビドフも意外や重いという事になりはすれども。)
一口目はダビドフだという事しかわからない乾いた味。
二口目から雑味なく非常に軽い。松茸のような丁寧な葉の香。
軽い胡椒の刺激をともない、二センチも進むと花やかに。
蛇はさすがにNo.2ほどの軽さはない。だがこれ自体、ダビドフでも珍しいほどのアタリであるかもしれない。また上品な甘さ。
火がすすむとラッパーがパツンパツンと音を立てて裂ける。吸い込みは上々の為、ラッパーだけがパツンパツンに巻かれているらしい。あるいは何かの因果で中身の膨張率が上がっているのか。ダビドフの限定品でのみ何故か良く起こる不思議な現象。
初めてのダビドフの感動は、葉巻とはこれほどまで軽いものなのかという驚きだった。その飛んで落ちてもふわりの羽に加え蝶を誘う馨しい花畑が煙の向こう側からこちら側にも来て、もう心此処に非ずでうっとりとしてしまったのである。始めから終りまでずっと恍惚状態で終った。
この蛇をくゆりとしていて、なんだか当時を初めて克明に思い出しえた。
今まで思い出そうとして思い出せなかった。兎に角美味しかったという事だけしか思い出せず、どうして美味しかったのかがわからなかった。
葉巻は重くて重くて初心者の手に余る、こういう固定観念がなければならなかった。事前に、初めてのNo.2と同時購入したコイーバのシグロ1やセクレトスや新世界を直前事前に燻らせていたのだから尚である。強い物の良さというのは固定観念どおりの強さゆえ先ずあまり面白くなくわからなかったし、シグロ1が外れたというのもあった。(固定観念などどうでも良いものだが、この観念を間違えるか、ダビドフが外れるかすると、ただの薄いだけの物になってしまう。ダビドフを美味しく感じるには「葉巻は重すぎる」という固定観念を温床とせねばならない。間違えない為には間違えた固定観念を必要とする。のちのちダビドフも意外や重いという事になりはすれども。)
一口目はダビドフだという事しかわからない乾いた味。
二口目から雑味なく非常に軽い。松茸のような丁寧な葉の香。
軽い胡椒の刺激をともない、二センチも進むと花やかに。
蛇はさすがにNo.2ほどの軽さはない。だがこれ自体、ダビドフでも珍しいほどのアタリであるかもしれない。また上品な甘さ。
火がすすむとラッパーがパツンパツンと音を立てて裂ける。吸い込みは上々の為、ラッパーだけがパツンパツンに巻かれているらしい。あるいは何かの因果で中身の膨張率が上がっているのか。ダビドフの限定品でのみ何故か良く起こる不思議な現象。
|MES MAY 11|4.7 x 52|coh-hk|$285/10|重量:0(12.09g)|算出:+5|香味:+4|
雪葉巻。
前回甥っ子が生まれた時にこれを燻らせてはや一年近く経つ。甥っ子はまだ一歳にならんのかと遅く思うが、この葉巻はもう一歳かと早く感じるのはどうしてだろう。
非常に煙たくて柔らかい。煙量豊富、煙量豊富なんていう言葉を久しぶりに書いた。葉巻を始めた頃にしか書かない言葉なのかもしれない。今日は雪に混じってか、煙が柔らかいからか、驚くほど豊富に見える。純な煙と云ったふうの、質朴な煙たい煙で、滑らかで咳き込ませず、純粋な煙が後味に蜂蜜のような風味を残す。次第に花瓶の中の蜂蜜から草花が生えても、安定して純な煙たさがある。序盤完璧、こよなし。
これまでBHK52は金木犀がどぎつくて葉巻が金色の筒に見えるほどだった。今日のこれもそれが素性らしくはあって、火が進行するに連れ金木犀が目目目と目立つ。目目目金金金。
少し酸味が乗って来たか。酸味は要らない。
金木犀の眩しさに隠れても相変わらず煙の質朴さは続いている。金木犀はどぎつくなりすぎずにたおやか止まり。止まれば止まったであまり面白くない、昔なら金の字が七つぐらいいっただろう。二年半の熟成で落ち着いたのかもしれない。
通常のコイーバの岩がごつごつしたのとは大分違う質感は、岩を丁寧に挽き砕いて更級粉さらさら、54だとこれが炭のように感じられるのだと思う。ともするとシート葉巻にも思えてしまう。
段々岩味も濃くなり、替わりに質朴さは薄れ、替わりにややカフェオレ感も出てくるが、酸味が乗っているようでミルクが少し酸っぱい。酸味さえ消えてくれればというところ。ミルク感自体ほとんど無いのだが。豆乳というか、岩カフェオレ。
中盤以降減衰しても根元まで悪くはなく、残2センチで捨ててしまおうとラストスパートの如く急速に吸っていると何故か最後の一口のみ急激に美味に変貌した。
雪葉巻。
前回甥っ子が生まれた時にこれを燻らせてはや一年近く経つ。甥っ子はまだ一歳にならんのかと遅く思うが、この葉巻はもう一歳かと早く感じるのはどうしてだろう。
非常に煙たくて柔らかい。煙量豊富、煙量豊富なんていう言葉を久しぶりに書いた。葉巻を始めた頃にしか書かない言葉なのかもしれない。今日は雪に混じってか、煙が柔らかいからか、驚くほど豊富に見える。純な煙と云ったふうの、質朴な煙たい煙で、滑らかで咳き込ませず、純粋な煙が後味に蜂蜜のような風味を残す。次第に花瓶の中の蜂蜜から草花が生えても、安定して純な煙たさがある。序盤完璧、こよなし。
これまでBHK52は金木犀がどぎつくて葉巻が金色の筒に見えるほどだった。今日のこれもそれが素性らしくはあって、火が進行するに連れ金木犀が目目目と目立つ。目目目金金金。
少し酸味が乗って来たか。酸味は要らない。
金木犀の眩しさに隠れても相変わらず煙の質朴さは続いている。金木犀はどぎつくなりすぎずにたおやか止まり。止まれば止まったであまり面白くない、昔なら金の字が七つぐらいいっただろう。二年半の熟成で落ち着いたのかもしれない。
通常のコイーバの岩がごつごつしたのとは大分違う質感は、岩を丁寧に挽き砕いて更級粉さらさら、54だとこれが炭のように感じられるのだと思う。ともするとシート葉巻にも思えてしまう。
段々岩味も濃くなり、替わりに質朴さは薄れ、替わりにややカフェオレ感も出てくるが、酸味が乗っているようでミルクが少し酸っぱい。酸味さえ消えてくれればというところ。ミルク感自体ほとんど無いのだが。豆乳というか、岩カフェオレ。
中盤以降減衰しても根元まで悪くはなく、残2センチで捨ててしまおうとラストスパートの如く急速に吸っていると何故か最後の一口のみ急激に美味に変貌した。
|TAU JUN 11|166mm x 52|シガーオンライン|$490/10|重量:+1( 16.35g)|算出:+4|香味:+4|
箱の中で六本が濃淡二色に分かれているのだが、黒い方を選ぶ。黒い物二本のうち、細い方。
見た目の細さに相応しく過去四回の記事と比べても最も軽い、吸い込みは丁度良い。
出だしふつう、但し丁寧に運ばれて行くよう。通常のコイーバとはでも違う、違いは特別な魅力に結実したりせず、焦げ目が強く、草も強く、雑味やエグミというのではないものの、何故か風邪を引いた時に似た頭の重さを感じてしまう。しばらく。
中盤、金木犀入り杏仁豆腐にパリリと香ばしいクリームブリュレを合わせたかのようなデザートが供され、風邪がほとんど吹き飛ぶ。これ以降コイーバたるコイーバ感、岩の旨味がこの葉巻の強さにまろやかさを加える。全くもって序盤は単なる布石で、デザートがこれほどテンコと盛られれば不味いはずがないどころか美味しい、なんだか冷静ではあるが美味しすぎる。コイーバ専門カフェでコイーバならではのデザートを戴いたような特別感。無論ただ甘いだけであるはずもなく、約20種類ものヘンテコな、ふつうデザートに使用しないような素材が一纏まりに分ち難くうねりのように盛られている。風に継ぎ目がないように味に継ぎ目がない。その質素ともいえる曼荼羅の中から時々病院の匂いが強く鼻を突いたりする。病院の個室で入院患者が甘いお香を焚いたような。おれはもう退院できない、だから最期にコイーバ1966を、というほどではなく、かえって退院できてしまうような美味しさがある。
コイーバらしい紅茶感でもなく、一方、コイーバらしいカフェオレ感でもなく、でもそれらも混ぜ合わされていそうである。そういうものが終盤にちょろちょろ目立つようになる。
変化悠揚として荒れず乱れない。総じて今日(記事を一日寝かせたので昨日)そっくりの、冬の微かな春日のような趣が、それも非常に弱い春日で、味わいはどことなく冬のつらさを忘れていない。
最終盤でも荒れないまま丁寧にスパイシーになる。どんな葉巻も最終盤まで荒れなければスパイシーになるものだとしても、実に拝みたくなるほど美味しく美味しげなスパイスがピリピリして心地良い。
……一本6500円とすればそれに着火している現状に驚くのである。こんな物を箱で買うのは余程の金持ちか、金持ちが案外火を点けないものだとしたら、余程火事の好きな道楽者だが、私は借金を抱えた茶人のような気持ちです。
思えば不味い飲物では駄目ですが、高い飲物も駄目です、葉巻が美味しいので飲物の美味しさを忘れてしまうかもしれません。不味くない安い飲物がいいと思います。(私はミゲルトーレス・チリの1400円の赤ワインとハーフで2000円以下のクアディー・オレンジマスカット・エッセンシア・カリフォルニアなる甘口白ワインを飲んでいました。ちなみにミゲルトーレスは本家スペインはあまり好きではないのですが、チリの分家は好き。)
毎回同じ話で恐縮ですが、1966は特異さが美味しさには向かっていないようで、あるいはBHKよりも特異かもしれないが、その特異さがコラージュの域を出ない。BHKの特異さは特異ではない要素の研磨にあるような。ただ破壊力はなんだか凄く、コイーバ・パナテラの巨大化という夢が結実している気もする。黒いと言ってもマデューロシリーズなんかにはあまり似ていない。またただ、パナテラのアタリに感じるようなホットココアもない。こうして他のビトラのアタリと比べるとつまらないようで、あまり比べなければ問答無用に凄く、また確実に当るのかもしれない。
今二年半だが、吸い頃は三年前後と見る。というか、これはこれで今日の一本で十分で、堪能するどころか本当の堪能について行けなかったのかもしれず、プレミア感に気圧されたのか、気圧したのか、気圧し気圧され後はゆっくりエスプレンディドスを薫らせたい(未所持)。残5本。
箱の中で六本が濃淡二色に分かれているのだが、黒い方を選ぶ。黒い物二本のうち、細い方。
見た目の細さに相応しく過去四回の記事と比べても最も軽い、吸い込みは丁度良い。
出だしふつう、但し丁寧に運ばれて行くよう。通常のコイーバとはでも違う、違いは特別な魅力に結実したりせず、焦げ目が強く、草も強く、雑味やエグミというのではないものの、何故か風邪を引いた時に似た頭の重さを感じてしまう。しばらく。
中盤、金木犀入り杏仁豆腐にパリリと香ばしいクリームブリュレを合わせたかのようなデザートが供され、風邪がほとんど吹き飛ぶ。これ以降コイーバたるコイーバ感、岩の旨味がこの葉巻の強さにまろやかさを加える。全くもって序盤は単なる布石で、デザートがこれほどテンコと盛られれば不味いはずがないどころか美味しい、なんだか冷静ではあるが美味しすぎる。コイーバ専門カフェでコイーバならではのデザートを戴いたような特別感。無論ただ甘いだけであるはずもなく、約20種類ものヘンテコな、ふつうデザートに使用しないような素材が一纏まりに分ち難くうねりのように盛られている。風に継ぎ目がないように味に継ぎ目がない。その質素ともいえる曼荼羅の中から時々病院の匂いが強く鼻を突いたりする。病院の個室で入院患者が甘いお香を焚いたような。おれはもう退院できない、だから最期にコイーバ1966を、というほどではなく、かえって退院できてしまうような美味しさがある。
コイーバらしい紅茶感でもなく、一方、コイーバらしいカフェオレ感でもなく、でもそれらも混ぜ合わされていそうである。そういうものが終盤にちょろちょろ目立つようになる。
変化悠揚として荒れず乱れない。総じて今日(記事を一日寝かせたので昨日)そっくりの、冬の微かな春日のような趣が、それも非常に弱い春日で、味わいはどことなく冬のつらさを忘れていない。
最終盤でも荒れないまま丁寧にスパイシーになる。どんな葉巻も最終盤まで荒れなければスパイシーになるものだとしても、実に拝みたくなるほど美味しく美味しげなスパイスがピリピリして心地良い。
……一本6500円とすればそれに着火している現状に驚くのである。こんな物を箱で買うのは余程の金持ちか、金持ちが案外火を点けないものだとしたら、余程火事の好きな道楽者だが、私は借金を抱えた茶人のような気持ちです。
思えば不味い飲物では駄目ですが、高い飲物も駄目です、葉巻が美味しいので飲物の美味しさを忘れてしまうかもしれません。不味くない安い飲物がいいと思います。(私はミゲルトーレス・チリの1400円の赤ワインとハーフで2000円以下のクアディー・オレンジマスカット・エッセンシア・カリフォルニアなる甘口白ワインを飲んでいました。ちなみにミゲルトーレスは本家スペインはあまり好きではないのですが、チリの分家は好き。)
毎回同じ話で恐縮ですが、1966は特異さが美味しさには向かっていないようで、あるいはBHKよりも特異かもしれないが、その特異さがコラージュの域を出ない。BHKの特異さは特異ではない要素の研磨にあるような。ただ破壊力はなんだか凄く、コイーバ・パナテラの巨大化という夢が結実している気もする。黒いと言ってもマデューロシリーズなんかにはあまり似ていない。またただ、パナテラのアタリに感じるようなホットココアもない。こうして他のビトラのアタリと比べるとつまらないようで、あまり比べなければ問答無用に凄く、また確実に当るのかもしれない。
今二年半だが、吸い頃は三年前後と見る。というか、これはこれで今日の一本で十分で、堪能するどころか本当の堪能について行けなかったのかもしれず、プレミア感に気圧されたのか、気圧したのか、気圧し気圧され後はゆっくりエスプレンディドスを薫らせたい(未所持)。残5本。
|EMA OCT 07 (19444/20000)|5.5 x 50|coh-hk|$198/10|重量:+1(14.66g)|算出:+5|香味:+4|
昼にあんまり調子が良かったので、夜もロバイナを。しかも限定品最後の一本。何が偉そうに「限定品最後の一本」かとも思う、しかしそう思わねばならない力が何処からか働いているよう。これを美味しく思わせる力でない事は確か。しかし葉巻を持ったり抓ったりして鄭重に弄んでいるとかつて無い感触の弾力の良さ。
着火すると草かロバイナか。今日の昼にあった木とロバイナはなく。草と。すぐさま青い豆。豆の白さが何故か青いので、つまり白い旨味もあるのだろう、草の強さに隠れて。中身の白さに、豆と云うには豆の殻も薫るらしい。しんしんと積らない小雪のような儚げな甘さ。雪の積らないアスファルトの苦味。ちなみに明日は晴。その晴の予報がこの葉巻に今夜雑味を加えているようにも思う。雪よ降れ。
雑な苦味も段々風格を帯びてくる。購入当初は透明感ばかり感じたが、そのヴェールが剥がれて、強くなると同時に枯れてもいるよう。しかし透明由来の優しさも残している。そこに忘れていた金木犀。花を忘れるほど質朴な序盤の玄妙があったのだろう。
金木犀はモンテクリストでこそ完璧な金木犀で、他銘柄では別の花に喩えたいが、花の香を知悉せず、恥ずかしながら金木犀の亜種のようにしか思えない。たまに草が強いと菊などが浮かぶが、しかし大体実際にそのような亜種のようである。これも割と菊に近いが、何故か菊感がない。チョコの所為だろう。昼に比べてチョコ自体が安っぽくなくて高級カカオのようだが、深いより先に薄いものではある。昼の安っぽさにしても、合成にすら思える甘味がそうさせているに過ぎなかったのではある。とはいえこれが甘味に乏しい事もない。安っぽさも葉巻から出て来れば思いがけない美味しさで、甲乙はつけ難い。
これも草が強いものの木は潜んで、落葉の土に混じる最期の一瞬がほとんど常に落着いて閃いて、より苦味が強い為に美味しい土のコクのよう。煙の苦味の粒子と土の苦味の粒子はどちらが細やかかな、廃れてこそ活きたミネラルを感じる。全く廃れた家屋などはなく、自然が白粉を塗ったような。としたらそれこそ幽霊みたい。そんな幽霊、此処には居まい、此処にしか居なくとも、だからこそ幽霊は此処にしか居まい。
と無理矢理幽霊化してみるほどの明るさがこの翳りの土と火種にはあるのであった。夕方は泉鏡花「草迷宮」の終盤を読んで居て、これは家に人が居ない一人の時には読めないと怖れをなした経緯もある。「高野聖」などとは違う、本物の幽霊譚らしい幽霊譚であるのに怖れをなした。夜に人が居る時よりも、昼に人が居ない時の方が夜伽は恐い。と云って昼に怖くて外に退散するでなく、夜に散歩に行けば、この身こそ幽霊かとも思う。というほど、中盤以降安寧に安定して進み、幽霊は何も怖れず、何も無く美味しく終りを迎える。味が変わって怖いというのも恐ろしいほどありえない話だが、こういう余裕の身にこそ幽霊は来るべきなのだろう。
もう一箱買う物でなく、十本で丁度満足を覚えたのはどういう完璧さだろう。これを想い出にしたいと云う、撮った写真のような、しかも傑作写真のようなものか。しかも映像に残らないのだから、見るともなく憶え切った写真なのだろうか。
昼にあんまり調子が良かったので、夜もロバイナを。しかも限定品最後の一本。何が偉そうに「限定品最後の一本」かとも思う、しかしそう思わねばならない力が何処からか働いているよう。これを美味しく思わせる力でない事は確か。しかし葉巻を持ったり抓ったりして鄭重に弄んでいるとかつて無い感触の弾力の良さ。
着火すると草かロバイナか。今日の昼にあった木とロバイナはなく。草と。すぐさま青い豆。豆の白さが何故か青いので、つまり白い旨味もあるのだろう、草の強さに隠れて。中身の白さに、豆と云うには豆の殻も薫るらしい。しんしんと積らない小雪のような儚げな甘さ。雪の積らないアスファルトの苦味。ちなみに明日は晴。その晴の予報がこの葉巻に今夜雑味を加えているようにも思う。雪よ降れ。
雑な苦味も段々風格を帯びてくる。購入当初は透明感ばかり感じたが、そのヴェールが剥がれて、強くなると同時に枯れてもいるよう。しかし透明由来の優しさも残している。そこに忘れていた金木犀。花を忘れるほど質朴な序盤の玄妙があったのだろう。
金木犀はモンテクリストでこそ完璧な金木犀で、他銘柄では別の花に喩えたいが、花の香を知悉せず、恥ずかしながら金木犀の亜種のようにしか思えない。たまに草が強いと菊などが浮かぶが、しかし大体実際にそのような亜種のようである。これも割と菊に近いが、何故か菊感がない。チョコの所為だろう。昼に比べてチョコ自体が安っぽくなくて高級カカオのようだが、深いより先に薄いものではある。昼の安っぽさにしても、合成にすら思える甘味がそうさせているに過ぎなかったのではある。とはいえこれが甘味に乏しい事もない。安っぽさも葉巻から出て来れば思いがけない美味しさで、甲乙はつけ難い。
これも草が強いものの木は潜んで、落葉の土に混じる最期の一瞬がほとんど常に落着いて閃いて、より苦味が強い為に美味しい土のコクのよう。煙の苦味の粒子と土の苦味の粒子はどちらが細やかかな、廃れてこそ活きたミネラルを感じる。全く廃れた家屋などはなく、自然が白粉を塗ったような。としたらそれこそ幽霊みたい。そんな幽霊、此処には居まい、此処にしか居なくとも、だからこそ幽霊は此処にしか居まい。
と無理矢理幽霊化してみるほどの明るさがこの翳りの土と火種にはあるのであった。夕方は泉鏡花「草迷宮」の終盤を読んで居て、これは家に人が居ない一人の時には読めないと怖れをなした経緯もある。「高野聖」などとは違う、本物の幽霊譚らしい幽霊譚であるのに怖れをなした。夜に人が居る時よりも、昼に人が居ない時の方が夜伽は恐い。と云って昼に怖くて外に退散するでなく、夜に散歩に行けば、この身こそ幽霊かとも思う。というほど、中盤以降安寧に安定して進み、幽霊は何も怖れず、何も無く美味しく終りを迎える。味が変わって怖いというのも恐ろしいほどありえない話だが、こういう余裕の身にこそ幽霊は来るべきなのだろう。
もう一箱買う物でなく、十本で丁度満足を覚えたのはどういう完璧さだろう。これを想い出にしたいと云う、撮った写真のような、しかも傑作写真のようなものか。しかも映像に残らないのだから、見るともなく憶え切った写真なのだろうか。
|BRU SEP 10|6 2/5 x 42|coh-hk|$184.50/25|重量:未軽量|算出:+6|香味:+4|
今日は二十四節気の大寒に春のような心地がして、何故かこれを吸いたくなった。とくに春先に合う味と思った事はなかったが、感覚は正直というか、馬鹿正直で、そういえば雪解に合う味かもとも思うのであった。残雪あるも暖かく、雪ノ下から萌えいずる鮮やかな緑と半ば不似合いな温気のまろやかさ、しかしどちらかといえばこの葉巻には夜の難破船のような暗いイメージがある。
三年熟成の効果か知らないが、ともすると木のえぐみが際立つのに、木は木でも巧く潜んで、綿のチョコのような風味風合に、その飴のような甘味。「どの葉巻が甘いか」という事には応えられないけれど、この葉巻もそうそう甘くないけれど、これは異常な甘味がした。とろりというより、飴玉を舐めたようにどっかりと。着香のような、着香以上の甘強い感覚で、それこそチョコ風味の安っぽい飴玉にそっくり。それでいてえぐくない木の軽さがあり、綿のようにも思う。
毎回これぐらいだと終売を残念に思うし、もう一箱早急に買わねばと焦る。終売焦るといえど限定物にはない落着きや安心もある。落着かねば、饒舌必至でペラペラと書いてしまう。尤もべガス・ロバイナの葉の風味には薄らチョコとは別に落葉が土と混じる瞬間の落着きもある。落着きが常に閃いている。ああ、きっと我知らず、落着きの落と落葉の落が落ちで掛かっているらしい。饒舌に終るのも勝手に筆がペラペラと進むので。
今日は二十四節気の大寒に春のような心地がして、何故かこれを吸いたくなった。とくに春先に合う味と思った事はなかったが、感覚は正直というか、馬鹿正直で、そういえば雪解に合う味かもとも思うのであった。残雪あるも暖かく、雪ノ下から萌えいずる鮮やかな緑と半ば不似合いな温気のまろやかさ、しかしどちらかといえばこの葉巻には夜の難破船のような暗いイメージがある。
三年熟成の効果か知らないが、ともすると木のえぐみが際立つのに、木は木でも巧く潜んで、綿のチョコのような風味風合に、その飴のような甘味。「どの葉巻が甘いか」という事には応えられないけれど、この葉巻もそうそう甘くないけれど、これは異常な甘味がした。とろりというより、飴玉を舐めたようにどっかりと。着香のような、着香以上の甘強い感覚で、それこそチョコ風味の安っぽい飴玉にそっくり。それでいてえぐくない木の軽さがあり、綿のようにも思う。
毎回これぐらいだと終売を残念に思うし、もう一箱早急に買わねばと焦る。終売焦るといえど限定物にはない落着きや安心もある。落着かねば、饒舌必至でペラペラと書いてしまう。尤もべガス・ロバイナの葉の風味には薄らチョコとは別に落葉が土と混じる瞬間の落着きもある。落着きが常に閃いている。ああ、きっと我知らず、落着きの落と落葉の落が落ちで掛かっているらしい。饒舌に終るのも勝手に筆がペラペラと進むので。
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