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「パルタガス・ルシタニアス・グランレゼルバ」の入荷速報が各地から届く。非常に美味しそう。コイーバ、モンテ、パルタガス、各々一本でいいから購入したいのに、速報地は散売りしていない。モンテとパルタガスは日本のシガーバーを彷徨えば一本ずつ買えそうだが、コイーバはもう無いのかもしれない。もし買ったとしたら、各々丁度五年熟成の時点で火を点けたいと思う。元々五年熟成の葉と云うから、十年になってしまう。枯れないのだろうか。枯れないとしたら、どういう五年の仕組なのだろう。門外不出の製造元にて十年熟成させた物を嗅いだらどんなに美味しいのだろう。グランレゼルバには兎に角こういう夢があるような。まさしくこの夢を巻いたに違いない。巻かれてたまるものか、とも思わない。
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|SUB AGO 11|6.1 x 52|coh-hk|($99/6=$16.5)|重量:+1(14.21g)|算出:+5|香味:+4|
ラッパーの斑に見えるように、けっこう強い。強いのに、他四銘柄と比べると軽いような白味がある。この白さは何なのだろう。軽いというのとも違う、幽霊とも違うような。豆は豆でピスタチオのよう。それでもアーモンドの渋皮のような香ばしさがないでもない。全体ホワイトシチューの晩餐の後には合うのだろう。思えばふとホワイトシチューの香味がよぎりもする、そうかもしれない。ふと懐かしい感じが一口して、捉えきれないで去ってしまっていたが、ホワイトシチューの中の人参という具合の去り方だった。
全体に塩気がある。
この葉巻は時々ふと覚え有る味わいの妙な一口がよぎり去る。ホワイトシチューの人参というのは手前味噌にして味噌味もせず言い得て妙だが、妙でなく長閑な甘やかさがふとシンナーに変わったり。
終盤金木犀が濃くなるとあまり昨夜のモンテクリストとの相違を覚えず。しかし昨夜のモンテクリストの金木犀は違う。何故かこれは、此処で非常なる甘味が鼻に来て、それは大した事ではない大した事なのだが、パルタガスの旨味をも凌ぐ、それでいて芋の旨味ではない非常なる旨味が来る。ポポーの再来かもしれない。それもふと三口の出来事で、ビオフェルミンに収束するようであった。尤も残り香が凄い。
衰えずに甘やかな金木犀の香が白く優しく金成らずにずっと続くのであった。
終盤はロメオが一番良い。
昨年のロメオ・セレクション・ロブストには及ばなかったが、セレクションは箱としては+5だと思う。品質は安心以上で、バラ買いする初期の愉しさも一々蘇る。五銘柄各二本で十本入のセレクション・プチ・ロブストスもあるようだが、どうしよう、プチ葉巻にはあまり興味がない。プチなら精選ではない小さい細い物の方が可愛い。たとえばコイーバのパナテラとかモンテのホイタスとか。しかしロブストとピラミデはCOHで売切れた模様、これほど憎い模様も珍しい。
ラッパーの斑に見えるように、けっこう強い。強いのに、他四銘柄と比べると軽いような白味がある。この白さは何なのだろう。軽いというのとも違う、幽霊とも違うような。豆は豆でピスタチオのよう。それでもアーモンドの渋皮のような香ばしさがないでもない。全体ホワイトシチューの晩餐の後には合うのだろう。思えばふとホワイトシチューの香味がよぎりもする、そうかもしれない。ふと懐かしい感じが一口して、捉えきれないで去ってしまっていたが、ホワイトシチューの中の人参という具合の去り方だった。
全体に塩気がある。
この葉巻は時々ふと覚え有る味わいの妙な一口がよぎり去る。ホワイトシチューの人参というのは手前味噌にして味噌味もせず言い得て妙だが、妙でなく長閑な甘やかさがふとシンナーに変わったり。
終盤金木犀が濃くなるとあまり昨夜のモンテクリストとの相違を覚えず。しかし昨夜のモンテクリストの金木犀は違う。何故かこれは、此処で非常なる甘味が鼻に来て、それは大した事ではない大した事なのだが、パルタガスの旨味をも凌ぐ、それでいて芋の旨味ではない非常なる旨味が来る。ポポーの再来かもしれない。それもふと三口の出来事で、ビオフェルミンに収束するようであった。尤も残り香が凄い。
衰えずに甘やかな金木犀の香が白く優しく金成らずにずっと続くのであった。
終盤はロメオが一番良い。
昨年のロメオ・セレクション・ロブストには及ばなかったが、セレクションは箱としては+5だと思う。品質は安心以上で、バラ買いする初期の愉しさも一々蘇る。五銘柄各二本で十本入のセレクション・プチ・ロブストスもあるようだが、どうしよう、プチ葉巻にはあまり興味がない。プチなら精選ではない小さい細い物の方が可愛い。たとえばコイーバのパナテラとかモンテのホイタスとか。しかしロブストとピラミデはCOHで売切れた模様、これほど憎い模様も珍しい。
|SUB AGO 11|6.1 x 52|coh-hk|($99/6=$16.5)|重量:0(12.01g)|算出:+5|香味:+4|
ああ懐かしい、そうだこれがモンテクリストだ、四種五種それぞれに懐かしいが、モンテクリストの懐かしさばかりはモンテクリストの懐かしさだとわかる。藁や土に紛れても初めから緑青が栄えている。
これもグランレゼルバ級に美味しい気が。グランレゼルバはもっと薄口で丁寧なイメージではある。セレクションは銘柄それぞれの銘銘とした味がし、野放図な野性味を失わず、おとなしすぎない強さと濃さがあり、それを若干ビオフェルミンが押え、只管レギュラー品の当りを引いたような美味しさ。
少し藁の乾きがするが、青緑が清流となって潤している。下手を打つと青緑は大嫌いな胡瓜と瓜二つになってしまう香でも、カスタードの甘さが黄色を帯びて色を変えている。川底のカスタードが迫り上がると清流は空に混じり、花が散る。黄色の正体は半分花。要するに乾いた藁を青緑が潤し青緑に黄色が混じってモンテクリストの三角マークとなっている。で、全体キャラメルにも通じるハバナ葉の味わいも濃い、いつものモンテクリスト、基本に忠実完璧なモンテクリスト。
どの葉巻でも花といって金木犀が咲くけれど、やはりモンテの金木犀は全然違う。本当に屋外から金木犀がそよそよと雪崩れ込むような不思議な錯覚を催す。室内を屋外に変じさせる室内の為の葉巻か。おそらく金木犀だけでなく同時に屋外の色々な香も混じって薫っているのだろうと思う。完全に日本の秋の話だが。日本の空、日本の木、日本の土の香がするのだと思う。それでいて確かなキューバンぽさと胡瓜の危うい色気。日本とキューバとの間の海に何か孤島でもあるのではないか。明日は東京でも雪が降るかもしれないという夜の頃。
金木犀の特異さ、腑に染みとりとめなく涙と流れ出て自分の物ではなくなる感覚は評判の悪いオープンシリーズでも同じと覚えるが、この香味がオープンはもとよりNo.2よりもずっと濃い。ただ少し藁が目立つ欠点があるものの、あとは有るべき要素が有り濃くあるべき要素がひたすら濃い。しかも吸い疲れず、無限に誘う。突如、空からカスタードがマシュマロの形をして降ってくる。マシュマロの触感を煙で与えるという至難の業を体現している、しかもモンテクリストならではで、空から降ってくる。すると薄荷のような風が吹き、マシュマロの軽さの上にもまた甘ったるくさせないのであった。マシュマロを含んだ口が空を飛んでいるよう。まったく夢物語でもなく、眉間に皺を寄せながら、だから確かに飛んでいる。マシュマロは金木犀味である。寒くて黒い空飛ぶ夜に、落葉味の湯葉も薫る。適当に書いているが、屹度精確に書けば書くほど屋内と屋外が共存してしまうだろう。
12.01gのお陰か、リカットせずに終える。14gを超えた前三本は吸い込み難も無いけれどリカットせねばならなかった。しかしこれも残6センチでリカット。
この箱で残7センチ以下まで美味しいのは未着火のロメオを除きモンテクリストのみ。それでも残5センチで酒の味がまったくわからなくなるほど荒くはなる。
愛嬌か、コイーバを除く三本は片燃えした。巻きは美しいが、内部に偏りが有るのだろうか。それでも、葉巻の内臓を熟知した外科医がなんとしよう。
これも限りなく+5に近い。
ああ懐かしい、そうだこれがモンテクリストだ、四種五種それぞれに懐かしいが、モンテクリストの懐かしさばかりはモンテクリストの懐かしさだとわかる。藁や土に紛れても初めから緑青が栄えている。
これもグランレゼルバ級に美味しい気が。グランレゼルバはもっと薄口で丁寧なイメージではある。セレクションは銘柄それぞれの銘銘とした味がし、野放図な野性味を失わず、おとなしすぎない強さと濃さがあり、それを若干ビオフェルミンが押え、只管レギュラー品の当りを引いたような美味しさ。
少し藁の乾きがするが、青緑が清流となって潤している。下手を打つと青緑は大嫌いな胡瓜と瓜二つになってしまう香でも、カスタードの甘さが黄色を帯びて色を変えている。川底のカスタードが迫り上がると清流は空に混じり、花が散る。黄色の正体は半分花。要するに乾いた藁を青緑が潤し青緑に黄色が混じってモンテクリストの三角マークとなっている。で、全体キャラメルにも通じるハバナ葉の味わいも濃い、いつものモンテクリスト、基本に忠実完璧なモンテクリスト。
どの葉巻でも花といって金木犀が咲くけれど、やはりモンテの金木犀は全然違う。本当に屋外から金木犀がそよそよと雪崩れ込むような不思議な錯覚を催す。室内を屋外に変じさせる室内の為の葉巻か。おそらく金木犀だけでなく同時に屋外の色々な香も混じって薫っているのだろうと思う。完全に日本の秋の話だが。日本の空、日本の木、日本の土の香がするのだと思う。それでいて確かなキューバンぽさと胡瓜の危うい色気。日本とキューバとの間の海に何か孤島でもあるのではないか。明日は東京でも雪が降るかもしれないという夜の頃。
金木犀の特異さ、腑に染みとりとめなく涙と流れ出て自分の物ではなくなる感覚は評判の悪いオープンシリーズでも同じと覚えるが、この香味がオープンはもとよりNo.2よりもずっと濃い。ただ少し藁が目立つ欠点があるものの、あとは有るべき要素が有り濃くあるべき要素がひたすら濃い。しかも吸い疲れず、無限に誘う。突如、空からカスタードがマシュマロの形をして降ってくる。マシュマロの触感を煙で与えるという至難の業を体現している、しかもモンテクリストならではで、空から降ってくる。すると薄荷のような風が吹き、マシュマロの軽さの上にもまた甘ったるくさせないのであった。マシュマロを含んだ口が空を飛んでいるよう。まったく夢物語でもなく、眉間に皺を寄せながら、だから確かに飛んでいる。マシュマロは金木犀味である。寒くて黒い空飛ぶ夜に、落葉味の湯葉も薫る。適当に書いているが、屹度精確に書けば書くほど屋内と屋外が共存してしまうだろう。
12.01gのお陰か、リカットせずに終える。14gを超えた前三本は吸い込み難も無いけれどリカットせねばならなかった。しかしこれも残6センチでリカット。
この箱で残7センチ以下まで美味しいのは未着火のロメオを除きモンテクリストのみ。それでも残5センチで酒の味がまったくわからなくなるほど荒くはなる。
愛嬌か、コイーバを除く三本は片燃えした。巻きは美しいが、内部に偏りが有るのだろうか。それでも、葉巻の内臓を熟知した外科医がなんとしよう。
これも限りなく+5に近い。
|SUB AGO 11|6.1 x 52|coh-hk|($99/6×2=$33)|重量:+1(14.05g)|算出:+6|香味:+5|
一口懐かしい。コイーバ風味の懐かしさかといえば釈然としないが懐かしい。藁束の布に寝転んだような。ともすると汗臭さが立ちそうになりそうなところ、転じて転げて新緑のいきれがふっと吹き消したように香る。とともに質の良い甘さ。葉の濃さ。茶色も濃いが、緑色も濃い。花も盛りを迎えそう。
ビオフェルミンの匂いやかさがセレクションに総じて有るようなのは、コイーバにコイーバの葉を入れるように、セレクションにはどれも同じセレクションの葉を混ぜるのだろうか。
見たことが無いほど美しい色の金木犀が咲く。一瞬、なんだか底知れぬ葉巻である。
栗を灰でまぶしたような、其処に強烈な花。
葉巻の概念も、コイーバの概念も覆す、或いはこれこそ葉巻の概念そのもののような強烈な強さと香高さ。
シグロⅥの円いカフェオレとは対極の、或る一本のエスプレンディドスを偲ばせる、高名な農園の、鮮明なダージリン茶の香と苦みばしった渋味。其処にほくほくと温かくて美味しい、微かに酸味づいた毬栗が。その毬栗の棘棘が、何故か丸い。その丸さが、丸でなく、丸に無数の細かい棘の優しさ。
グランレゼルバでもいつもこれ以上とはなるまいと思う依怙贔屓のような味がする。葉巻の裏切り易さを知れば、この真正の一本で一万円の価値はあるような。セレクションというものは思っていた以上に凄い物らしい。コイーバだから歴然として貫禄があるが、昨年のロメオも凄い物を作ろうとして作られた凄い物だったのだろう。
甘さ、清香、沈香、渋味、コク、全てがアンバランスなほど極大に膨れ上がって突出している。各要素を各要素に隠し、土竜叩きのように忙しい曇り空。
小揺るぎもせず、常に揺らいだ風味が段々濃くもなる。何処がどう濃くなるのか知れず、ただ花が毒々しいほど鮮明に目立ってくる。毒は回るとまさに人を酔わせ倒れさせるニコチンの毒になりつつある。死ぬ時に一番濃い花を見ることができるのだろう。だったら此処で本当に死んでしまってもいいのではないかな。そんな覚悟のある葉巻吸いが居るか。さにあらず、死をも包むが葉巻の煙である。其処に飄々として夏の萱越しの涼しい風のビオフェルミンが効いている。恰も淡白な。
久しぶりに葉巻だけに集中させられ、そんな時は後々恥と思うような浮ついた言葉も控え目に、文豪に目を向けて、文学に於ける葉巻の道具としての使い方を考えてみようとも思う。此処で考えるわけではないのだが。
最近泉鏡花(明治6年(1873)~昭和14年(1939))ばかり読んでいて、鏡花作品にも「葉巻」の文字がけっこう出て来る。「泉鏡花 葉巻」でたった今検索するとざっと五作(『海城発電』『春昼』『政談十二社』『取舵』『古狢』)出てくる。往時の葉巻の味わいとはどのようなものだったのだろう(次いで約二十歳若い芥川龍之介(明治25年(1892)~昭和2年(1927))もけっこう「葉巻」と書いている)。ちなみに散漫にパルタガスのみを調べると1845〜現在とある。コイーバは無論その頃には製造されない。鏡花の場合、明治時代の初期作品に「葉巻」の字が出て来て、晩年につれ文体が江戸っぽくなる為、江戸時代に葉巻があったかと思えてしまう時代錯誤に陥る。事実明治とはいえ、キューバンダビドフという以上の興味が湧く。
残6センチで明らかに衰える。それでも限りなく+5に近い+4で四捨五入してしまう。葉巻葉巻している為、昨年のロメオにあった葉巻らしからぬポポーの衝撃は無く、葉巻が好きならこちらの方が好きなのだが、どちらが好きなのかわからない。
参照:◉
一口懐かしい。コイーバ風味の懐かしさかといえば釈然としないが懐かしい。藁束の布に寝転んだような。ともすると汗臭さが立ちそうになりそうなところ、転じて転げて新緑のいきれがふっと吹き消したように香る。とともに質の良い甘さ。葉の濃さ。茶色も濃いが、緑色も濃い。花も盛りを迎えそう。
ビオフェルミンの匂いやかさがセレクションに総じて有るようなのは、コイーバにコイーバの葉を入れるように、セレクションにはどれも同じセレクションの葉を混ぜるのだろうか。
見たことが無いほど美しい色の金木犀が咲く。一瞬、なんだか底知れぬ葉巻である。
栗を灰でまぶしたような、其処に強烈な花。
葉巻の概念も、コイーバの概念も覆す、或いはこれこそ葉巻の概念そのもののような強烈な強さと香高さ。
シグロⅥの円いカフェオレとは対極の、或る一本のエスプレンディドスを偲ばせる、高名な農園の、鮮明なダージリン茶の香と苦みばしった渋味。其処にほくほくと温かくて美味しい、微かに酸味づいた毬栗が。その毬栗の棘棘が、何故か丸い。その丸さが、丸でなく、丸に無数の細かい棘の優しさ。
グランレゼルバでもいつもこれ以上とはなるまいと思う依怙贔屓のような味がする。葉巻の裏切り易さを知れば、この真正の一本で一万円の価値はあるような。セレクションというものは思っていた以上に凄い物らしい。コイーバだから歴然として貫禄があるが、昨年のロメオも凄い物を作ろうとして作られた凄い物だったのだろう。
甘さ、清香、沈香、渋味、コク、全てがアンバランスなほど極大に膨れ上がって突出している。各要素を各要素に隠し、土竜叩きのように忙しい曇り空。
小揺るぎもせず、常に揺らいだ風味が段々濃くもなる。何処がどう濃くなるのか知れず、ただ花が毒々しいほど鮮明に目立ってくる。毒は回るとまさに人を酔わせ倒れさせるニコチンの毒になりつつある。死ぬ時に一番濃い花を見ることができるのだろう。だったら此処で本当に死んでしまってもいいのではないかな。そんな覚悟のある葉巻吸いが居るか。さにあらず、死をも包むが葉巻の煙である。其処に飄々として夏の萱越しの涼しい風のビオフェルミンが効いている。恰も淡白な。
久しぶりに葉巻だけに集中させられ、そんな時は後々恥と思うような浮ついた言葉も控え目に、文豪に目を向けて、文学に於ける葉巻の道具としての使い方を考えてみようとも思う。此処で考えるわけではないのだが。
最近泉鏡花(明治6年(1873)~昭和14年(1939))ばかり読んでいて、鏡花作品にも「葉巻」の文字がけっこう出て来る。「泉鏡花 葉巻」でたった今検索するとざっと五作(『海城発電』『春昼』『政談十二社』『取舵』『古狢』)出てくる。往時の葉巻の味わいとはどのようなものだったのだろう(次いで約二十歳若い芥川龍之介(明治25年(1892)~昭和2年(1927))もけっこう「葉巻」と書いている)。ちなみに散漫にパルタガスのみを調べると1845〜現在とある。コイーバは無論その頃には製造されない。鏡花の場合、明治時代の初期作品に「葉巻」の字が出て来て、晩年につれ文体が江戸っぽくなる為、江戸時代に葉巻があったかと思えてしまう時代錯誤に陥る。事実明治とはいえ、キューバンダビドフという以上の興味が湧く。
残6センチで明らかに衰える。それでも限りなく+5に近い+4で四捨五入してしまう。葉巻葉巻している為、昨年のロメオにあった葉巻らしからぬポポーの衝撃は無く、葉巻が好きならこちらの方が好きなのだが、どちらが好きなのかわからない。
参照:◉
|SUB AGO 11|6.1 x 52|coh-hk|($99/6=$16.5)|重量:+1(14.44g)|算出:+5|香味:+4|
昨日封緘を解いたからか、匂いがあまりせず。
さすがに昨日のオヨに比べ旨味強く、ほっこり落ち着く芋がある。通常のP2とどう違うのだろうかわからず、モンテクリストはNo.2を所持していたため外観を比べみるだに巻きもラッパーもセレクションの方が格段に綺麗だった。が、このパルタガスのラッパーは斑黒くあまり綺麗とはいえない、しかし巻きは美しい。
とにかく芋がおいしく、5ミリも進むと截然と甘味と花が斉しく滲み出す。それがはや強烈な残り香になり、香のトンネルを潜った芋に再びまみえる。芋は依然消えず、潜り抜け、芋の方が明るいという逆転が起こっている。この芋機関車は華やかな香を後ろに棚引かせつつ捨てている。まさに後ろ髪を引かれる形の、それでいていさぎよい香。花は萎れるを俟たずに捨て、甘味は里芋を薩摩に、薩摩を次第に安納芋に変えていく。花は続々吹いては焼けもして香ばしく、また捨てられ、残り香強く、焼け続けて落葉になり新緑になる。新緑も焼け、この汽車は冬を通らない。豆を炒った風味か、それよりも何処と無くもはっきりと石炭のよう。植物は窓風、窓の景色は刻々と変わる。安納芋とて一瞬で終る。しかし素朴で美味しい原風景がずっと続き、芋の根は人類が芋から派生したと思えるほどに根深い。そんな馬鹿な事を思わせるほどこの葉巻がおもしろいという事か、美味しい物ではある。大体この葉巻よりも私の方がおもしろくなくては困る。文章で稼がなければならないとしたら。しかし葉巻とかく敵対する人物の書が万が一にもおもしろい因果はあるか。そのうえ文章を書くのに葉巻の力を借りている人物の。一体全体文筆家は葉巻を吸ってはならない、就中葉巻を書いてはならない。どんなに酔ったように筆が辷るとしても。
いずれにしてもこれが美味しい。これが美味しいのに、明らかにパルタガスの味である為、パルタガス全部が美味しい気がして来る。芋を基調とする完璧なバランスと変化があり、ただ絶頂が無いのみ。むしろ常に絶頂だったといって良いかも。常に絶頂ならば、絶頂は無く、無い物は無く、評価も一つ下がるのである。それにしても絶頂は無い。屹度、あるはずの絶頂が無いのではなく、トンネルを抜けたら其処はトンネルだったというような、そのトンネルの壁円筒に車窓の景色が写実的に描かれているのである。
昨日の後半の事、及び今日の残5センチの事、後半が味気無くなる因果には、吸っている途中の乾燥という大敵がいないだろうか。乾燥したって美味しい物は美味しいと思うのだが、今夜はあからさまに乾燥し切った日本の冬だし、しかし冷たい空気の方が葉巻を美味しくするとも思うのだが、何か吸っている最中に葉巻を加湿する良い方法はないものだろうか。珈琲碗から立ちのぼる湯気など、珈琲碗を灰皿のようにしてその淵に葉巻を横たえても、あまりにも湯気の気は短い。
昨日封緘を解いたからか、匂いがあまりせず。
さすがに昨日のオヨに比べ旨味強く、ほっこり落ち着く芋がある。通常のP2とどう違うのだろうかわからず、モンテクリストはNo.2を所持していたため外観を比べみるだに巻きもラッパーもセレクションの方が格段に綺麗だった。が、このパルタガスのラッパーは斑黒くあまり綺麗とはいえない、しかし巻きは美しい。
とにかく芋がおいしく、5ミリも進むと截然と甘味と花が斉しく滲み出す。それがはや強烈な残り香になり、香のトンネルを潜った芋に再びまみえる。芋は依然消えず、潜り抜け、芋の方が明るいという逆転が起こっている。この芋機関車は華やかな香を後ろに棚引かせつつ捨てている。まさに後ろ髪を引かれる形の、それでいていさぎよい香。花は萎れるを俟たずに捨て、甘味は里芋を薩摩に、薩摩を次第に安納芋に変えていく。花は続々吹いては焼けもして香ばしく、また捨てられ、残り香強く、焼け続けて落葉になり新緑になる。新緑も焼け、この汽車は冬を通らない。豆を炒った風味か、それよりも何処と無くもはっきりと石炭のよう。植物は窓風、窓の景色は刻々と変わる。安納芋とて一瞬で終る。しかし素朴で美味しい原風景がずっと続き、芋の根は人類が芋から派生したと思えるほどに根深い。そんな馬鹿な事を思わせるほどこの葉巻がおもしろいという事か、美味しい物ではある。大体この葉巻よりも私の方がおもしろくなくては困る。文章で稼がなければならないとしたら。しかし葉巻とかく敵対する人物の書が万が一にもおもしろい因果はあるか。そのうえ文章を書くのに葉巻の力を借りている人物の。一体全体文筆家は葉巻を吸ってはならない、就中葉巻を書いてはならない。どんなに酔ったように筆が辷るとしても。
いずれにしてもこれが美味しい。これが美味しいのに、明らかにパルタガスの味である為、パルタガス全部が美味しい気がして来る。芋を基調とする完璧なバランスと変化があり、ただ絶頂が無いのみ。むしろ常に絶頂だったといって良いかも。常に絶頂ならば、絶頂は無く、無い物は無く、評価も一つ下がるのである。それにしても絶頂は無い。屹度、あるはずの絶頂が無いのではなく、トンネルを抜けたら其処はトンネルだったというような、そのトンネルの壁円筒に車窓の景色が写実的に描かれているのである。
昨日の後半の事、及び今日の残5センチの事、後半が味気無くなる因果には、吸っている途中の乾燥という大敵がいないだろうか。乾燥したって美味しい物は美味しいと思うのだが、今夜はあからさまに乾燥し切った日本の冬だし、しかし冷たい空気の方が葉巻を美味しくするとも思うのだが、何か吸っている最中に葉巻を加湿する良い方法はないものだろうか。珈琲碗から立ちのぼる湯気など、珈琲碗を灰皿のようにしてその淵に葉巻を横たえても、あまりにも湯気の気は短い。
|SUB AGO 11|6.1 x 52|coh-hk|($99/6=$16.5)|重量:+1(15.54g)|算出:+1|香味:+2|
ホヨーの通常品にはピラミデがない為、これこそまさにセレクションっぽい。モンテクリストなどはやろうと思えばただのNo.2を忍ばせられる。
薬箱の匂いがするのはホヨー=赤十字の記憶か、昨年のセレクションロブストスの記憶か、薬箱の香はしかしやや重く湿っていて軽く甘いのが枯れず美味しそうである。
ふわついた感触の出だしはラムネ菓子かビオフェルミンに草が生えたよう。爽やかな甘さも既にあり、薬箱っぽい為にハバナらしさは土や革ではなく木。草がしんしんと足指に積もる雪のように冷たい香を増して来る。脳髄に染みる草。それが急にぽかんと花咲き……なんでもない。
何はともあれオヨは「好きだ」と思った事が一度もない珍しい銘柄だけれど、これもその線だと思う。通常よりは葉の骨格ががっしりしている気はする。軽やかでもあるけれど、花やフルーツなどで飾らない葉の香ばしさがずっしりとして、また丁寧。
どうあっても心此処に非ず、全く関係ない事を煙から逸れて考えていたら、いつの間にか、気付けば後半ずっと、起床から二十四時間後の眠るべき人の疲れを見るようだった。彼は起床から十八時間あまりで疲れ切っていたのである。彼は私ではない。疲れている人を見るのはいいが、自分が疲れてもらっては困る。しかし彼が葉巻であってみれば、私が少し困る。
薬箱っぽい点で昨年正月に味わった04年のロブストスに近い味わいを感じはした、それで若いというより物が少し悪いらしい。只管ハーシュノイズの如き味気ない後半がいずれ円熟するとも思われない。薬箱というのは熟成の特質ではなくセレクションの特質なのかもしれない。
※コイーバのみ倍額で算出するため$99を6で割っている。
ホヨーの通常品にはピラミデがない為、これこそまさにセレクションっぽい。モンテクリストなどはやろうと思えばただのNo.2を忍ばせられる。
薬箱の匂いがするのはホヨー=赤十字の記憶か、昨年のセレクションロブストスの記憶か、薬箱の香はしかしやや重く湿っていて軽く甘いのが枯れず美味しそうである。
ふわついた感触の出だしはラムネ菓子かビオフェルミンに草が生えたよう。爽やかな甘さも既にあり、薬箱っぽい為にハバナらしさは土や革ではなく木。草がしんしんと足指に積もる雪のように冷たい香を増して来る。脳髄に染みる草。それが急にぽかんと花咲き……なんでもない。
何はともあれオヨは「好きだ」と思った事が一度もない珍しい銘柄だけれど、これもその線だと思う。通常よりは葉の骨格ががっしりしている気はする。軽やかでもあるけれど、花やフルーツなどで飾らない葉の香ばしさがずっしりとして、また丁寧。
どうあっても心此処に非ず、全く関係ない事を煙から逸れて考えていたら、いつの間にか、気付けば後半ずっと、起床から二十四時間後の眠るべき人の疲れを見るようだった。彼は起床から十八時間あまりで疲れ切っていたのである。彼は私ではない。疲れている人を見るのはいいが、自分が疲れてもらっては困る。しかし彼が葉巻であってみれば、私が少し困る。
薬箱っぽい点で昨年正月に味わった04年のロブストスに近い味わいを感じはした、それで若いというより物が少し悪いらしい。只管ハーシュノイズの如き味気ない後半がいずれ円熟するとも思われない。薬箱というのは熟成の特質ではなくセレクションの特質なのかもしれない。
※コイーバのみ倍額で算出するため$99を6で割っている。
|6 1/4 x 50|seriouscigars|$71.95/4|重量:+1(17.34g)|算出:+3|香味:+3|
一年寝かせたからか、大分色が変わって(気の所為かたったの一年で当初よりラッパーの色が大分薄まって)、匂いも甘さや黒さやスパイスが消えてただの枯芝のようになっている。着火しても大分クラシック寄りに変わって、ただ辛い底強さがある。
一度灰を落とそうかという頃にはフワフワと軽く柔らかくなって、当初の特徴の濃く湿ったようなシナモンもあまり感じられないまま、気持ちが蝶々に似てくる。もう私は人ではなく、花畑を飛んでいる。さようなら人間、蝶々を摘まないでほしい、蝶々も蜜蜂も。もう蜜蜂になった。この花は蜜が薄い、薄いぶん花がいっぱいある。ちゃんと花弁の、茎っぽい香りもある。なんだか畑の真ん中に大きい木が一本生えて、乾いた香りが花畑の遠くまで飛んで来る。木が小さくなりつつ近づいて、だから気付かれぬよう近づかれ、とうとう目の前に金木犀の小さい木が現れると、私は人間に戻り、花畑も消えてしまう。
白馬のような白胡椒の風に乗って嘶く辛味が戻り、嚔が出ないのが変哲か。
思えばカスタードとシナモンがそっと優しくこっそりとずっと包んでいてくれたような。それは母が掛けてくれた毛布などではなく、気付いた時には隣のパン屋さんの憂鬱である。
これも前半まで。後半はのんべんだらりんとしていて味もない。
一年寝かせたからか、大分色が変わって(気の所為かたったの一年で当初よりラッパーの色が大分薄まって)、匂いも甘さや黒さやスパイスが消えてただの枯芝のようになっている。着火しても大分クラシック寄りに変わって、ただ辛い底強さがある。
一度灰を落とそうかという頃にはフワフワと軽く柔らかくなって、当初の特徴の濃く湿ったようなシナモンもあまり感じられないまま、気持ちが蝶々に似てくる。もう私は人ではなく、花畑を飛んでいる。さようなら人間、蝶々を摘まないでほしい、蝶々も蜜蜂も。もう蜜蜂になった。この花は蜜が薄い、薄いぶん花がいっぱいある。ちゃんと花弁の、茎っぽい香りもある。なんだか畑の真ん中に大きい木が一本生えて、乾いた香りが花畑の遠くまで飛んで来る。木が小さくなりつつ近づいて、だから気付かれぬよう近づかれ、とうとう目の前に金木犀の小さい木が現れると、私は人間に戻り、花畑も消えてしまう。
白馬のような白胡椒の風に乗って嘶く辛味が戻り、嚔が出ないのが変哲か。
思えばカスタードとシナモンがそっと優しくこっそりとずっと包んでいてくれたような。それは母が掛けてくれた毛布などではなく、気付いた時には隣のパン屋さんの憂鬱である。
これも前半まで。後半はのんべんだらりんとしていて味もない。
間もなく正月で、今年の明日の正月に思えてしまうけれど、今年の昨日の正月にSelección Robustosの2004年製造品を五日にわたって堪能した想い出に引きずられ、Seleccion Piramidesを愉しく購入したら2011年製造品が送られて来た。Selecciónは2004年にのみ製造されていたと思って熟成物が届くと思っていたのが間違いで。昨日の正月はなにしろロメオの九年物が美味しかったのだが、明日の正月は二年半の物を堪能してみるしかない。同じような勘違いをしている人がいるとも思われないけれど。
|LOE JUN 12|4 3/8 × 40|coh-hk|$176/25|重量:-1(--g)|算出:+6|香味:+4|
やはり吸い込みが限界だが、香味は滅茶滅茶美味。花が徐々に滲み出して来る。マデューロである為ますます濃く滲み出す心地がする。吸い込み難さのお陰なのだろうか。一人中国茶を嗜んでいるような心地になる。しかも逆巻きで、出涸らしから段々と一煎目に近づいていく。凍頂金萱茶の、緑色の爽やかな、乳香のまろやかな香に、岩茶の茶色い茶葉の味わいを足したような。
冷たい空気のお陰か、最近この箱は調子が良い。
やはり吸い込みが限界だが、香味は滅茶滅茶美味。花が徐々に滲み出して来る。マデューロである為ますます濃く滲み出す心地がする。吸い込み難さのお陰なのだろうか。一人中国茶を嗜んでいるような心地になる。しかも逆巻きで、出涸らしから段々と一煎目に近づいていく。凍頂金萱茶の、緑色の爽やかな、乳香のまろやかな香に、岩茶の茶色い茶葉の味わいを足したような。
冷たい空気のお陰か、最近この箱は調子が良い。
|LOE JUN 12|4 3/8 × 40|coh-hk|$176/25|重量:-1(8.96g)|算出:+6|香味:+4|
味は悪くないものの、吸い込みは限界に達している。狭隘なる甘美の世界が繰り広げられたとしても、やっぱり7g前後が良いと思う。
マデューロシリーズは概ねそうなのかもしれないけれど、コイーバらしくない白い灰がほんの少し輝かしい。
吸い込みに関しては大ハズレの箱だが、葉っぱの品質はどれも安定して美味しい気がする。巻きさえ良ければ外れ難い銘柄の筆頭に挙げて良い気がする。コイーバは元々行程が多いそう(?)なので品質が安定しやすいのかもしれない。シグロシリーズではほとんど当った事がないけれど、マデューロは更に行程が増えるだろうから。
香味が安定しているので、特に付け足す語彙の豊富さも持ち合わせない。環境や気分を変えるぐらいしかないというところに至っている。
初めての時はマデューロはコイーバっぽくないとも思ったけれど、非ハバナのマデューロに比べれば歴然としてコイーバの味がする。
それにしても、吸い込みさえ通ればこれは大変な一本だった気がしてならない。後半に立ち始めるノイズすら甘美なものに聞こえた。花とコクと染みの重い嵐が最後には強大な辛味をともなって軽々しく吹き荒れるというふうだったのである。それが全く無風に、建て付けの悪い隙間風に終った。苦学生ならこの隙間風にまさしく狭隘なる甘美の世界を繰り広げられたのかもしれない。
いや、最後の最後にその世界は私にも来た。単に非常に常識はずれな甘い花として、嵐もなく、建て付けの良いガラス窓を透過して来た。
残三本。
味は悪くないものの、吸い込みは限界に達している。狭隘なる甘美の世界が繰り広げられたとしても、やっぱり7g前後が良いと思う。
マデューロシリーズは概ねそうなのかもしれないけれど、コイーバらしくない白い灰がほんの少し輝かしい。
吸い込みに関しては大ハズレの箱だが、葉っぱの品質はどれも安定して美味しい気がする。巻きさえ良ければ外れ難い銘柄の筆頭に挙げて良い気がする。コイーバは元々行程が多いそう(?)なので品質が安定しやすいのかもしれない。シグロシリーズではほとんど当った事がないけれど、マデューロは更に行程が増えるだろうから。
香味が安定しているので、特に付け足す語彙の豊富さも持ち合わせない。環境や気分を変えるぐらいしかないというところに至っている。
初めての時はマデューロはコイーバっぽくないとも思ったけれど、非ハバナのマデューロに比べれば歴然としてコイーバの味がする。
それにしても、吸い込みさえ通ればこれは大変な一本だった気がしてならない。後半に立ち始めるノイズすら甘美なものに聞こえた。花とコクと染みの重い嵐が最後には強大な辛味をともなって軽々しく吹き荒れるというふうだったのである。それが全く無風に、建て付けの悪い隙間風に終った。苦学生ならこの隙間風にまさしく狭隘なる甘美の世界を繰り広げられたのかもしれない。
いや、最後の最後にその世界は私にも来た。単に非常に常識はずれな甘い花として、嵐もなく、建て付けの良いガラス窓を透過して来た。
残三本。
銘
囹
月