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  源氏物語「葉」
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|LOE JUN 12|4 3/8 × 40|coh-hk|$176/25|重量:?(?g)|算出:−7|香味:−5|

 二ヶ月も間隔を開けるとブログの更新の手順も忘れる。すぐに思い出せる程度の簡単な作業で助かった。

 この憎き箱の最後の一本。一時若干吸い込みの良い物が数本のみ連続して箱としての評価を上げたが、久しぶりの最後の一本で途轍もなく吸い込みの悪い物に当る。棒同断で、埃の香のように微かなしかし美味しい味わいが感じられるも、棒は棒、これならまだ未来の成虫を怖れつつ孑孒を観察していた方が面白い。
 昔、三日坊主で辞めた水彩画の、色を溶いた四股のバケツの水に七色の孑孒が生息していた事があった。三日坊主というものはパレットの絵具を洗わずバケツの水を捨てもしない。床はピカピカに毎週磨いているのに。
 葉の品質は良く、吸い込みさえ通れば、色の一つとして数えられる。コイーバのマデューロはあからさまにハバナに目立つ新色を添えているから。他の箱がどうだか知らないし、もうあまり知りたくもないのだが、佳い箱が多々だったら、二度と買わない者は今後損をしてしまう。
 小さいものはドローのチェックをしないのか。大きいものは手練が巻くのだとしたら、下手が巻く小さいものこそチェックして欲しいような。内実を全く知らない下手な愚痴なのだが。兎に角葉は美味しい。
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|MES MAY 11|4.7 x 52|coh-hk|$285/10|重量:0(12.09g)|算出:+5|香味:+4|

 雪葉巻。

 前回甥っ子が生まれた時にこれを燻らせてはや一年近く経つ。甥っ子はまだ一歳にならんのかと遅く思うが、この葉巻はもう一歳かと早く感じるのはどうしてだろう。

 非常に煙たくて柔らかい。煙量豊富、煙量豊富なんていう言葉を久しぶりに書いた。葉巻を始めた頃にしか書かない言葉なのかもしれない。今日は雪に混じってか、煙が柔らかいからか、驚くほど豊富に見える。純な煙と云ったふうの、質朴な煙たい煙で、滑らかで咳き込ませず、純粋な煙が後味に蜂蜜のような風味を残す。次第に花瓶の中の蜂蜜から草花が生えても、安定して純な煙たさがある。序盤完璧、こよなし。
 これまでBHK52は金木犀がどぎつくて葉巻が金色の筒に見えるほどだった。今日のこれもそれが素性らしくはあって、火が進行するに連れ金木犀が目目目と目立つ。目目目金金金。
 少し酸味が乗って来たか。酸味は要らない。
 金木犀の眩しさに隠れても相変わらず煙の質朴さは続いている。金木犀はどぎつくなりすぎずにたおやか止まり。止まれば止まったであまり面白くない、昔なら金の字が七つぐらいいっただろう。二年半の熟成で落ち着いたのかもしれない。
 通常のコイーバの岩がごつごつしたのとは大分違う質感は、岩を丁寧に挽き砕いて更級粉さらさら、54だとこれが炭のように感じられるのだと思う。ともするとシート葉巻にも思えてしまう。
 段々岩味も濃くなり、替わりに質朴さは薄れ、替わりにややカフェオレ感も出てくるが、酸味が乗っているようでミルクが少し酸っぱい。酸味さえ消えてくれればというところ。ミルク感自体ほとんど無いのだが。豆乳というか、岩カフェオレ。
 中盤以降減衰しても根元まで悪くはなく、残2センチで捨ててしまおうとラストスパートの如く急速に吸っていると何故か最後の一口のみ急激に美味に変貌した。
|TAU JUN 11|166mm x 52|シガーオンライン|$490/10|重量:+1( 16.35g)|算出:+4|香味:+4|

 箱の中で六本が濃淡二色に分かれているのだが、黒い方を選ぶ。黒い物二本のうち、細い方。
 見た目の細さに相応しく過去四回の記事と比べても最も軽い、吸い込みは丁度良い。
 出だしふつう、但し丁寧に運ばれて行くよう。通常のコイーバとはでも違う、違いは特別な魅力に結実したりせず、焦げ目が強く、草も強く、雑味やエグミというのではないものの、何故か風邪を引いた時に似た頭の重さを感じてしまう。しばらく。
 中盤、金木犀入り杏仁豆腐にパリリと香ばしいクリームブリュレを合わせたかのようなデザートが供され、風邪がほとんど吹き飛ぶ。これ以降コイーバたるコイーバ感、岩の旨味がこの葉巻の強さにまろやかさを加える。全くもって序盤は単なる布石で、デザートがこれほどテンコと盛られれば不味いはずがないどころか美味しい、なんだか冷静ではあるが美味しすぎる。コイーバ専門カフェでコイーバならではのデザートを戴いたような特別感。無論ただ甘いだけであるはずもなく、約20種類ものヘンテコな、ふつうデザートに使用しないような素材が一纏まりに分ち難くうねりのように盛られている。風に継ぎ目がないように味に継ぎ目がない。その質素ともいえる曼荼羅の中から時々病院の匂いが強く鼻を突いたりする。病院の個室で入院患者が甘いお香を焚いたような。おれはもう退院できない、だから最期にコイーバ1966を、というほどではなく、かえって退院できてしまうような美味しさがある。
 コイーバらしい紅茶感でもなく、一方、コイーバらしいカフェオレ感でもなく、でもそれらも混ぜ合わされていそうである。そういうものが終盤にちょろちょろ目立つようになる。
 変化悠揚として荒れず乱れない。総じて今日(記事を一日寝かせたので昨日)そっくりの、冬の微かな春日のような趣が、それも非常に弱い春日で、味わいはどことなく冬のつらさを忘れていない。
 最終盤でも荒れないまま丁寧にスパイシーになる。どんな葉巻も最終盤まで荒れなければスパイシーになるものだとしても、実に拝みたくなるほど美味しく美味しげなスパイスがピリピリして心地良い。
 ……一本6500円とすればそれに着火している現状に驚くのである。こんな物を箱で買うのは余程の金持ちか、金持ちが案外火を点けないものだとしたら、余程火事の好きな道楽者だが、私は借金を抱えた茶人のような気持ちです。
 思えば不味い飲物では駄目ですが、高い飲物も駄目です、葉巻が美味しいので飲物の美味しさを忘れてしまうかもしれません。不味くない安い飲物がいいと思います。(私はミゲルトーレス・チリの1400円の赤ワインとハーフで2000円以下のクアディー・オレンジマスカット・エッセンシア・カリフォルニアなる甘口白ワインを飲んでいました。ちなみにミゲルトーレスは本家スペインはあまり好きではないのですが、チリの分家は好き。)
 毎回同じ話で恐縮ですが、1966は特異さが美味しさには向かっていないようで、あるいはBHKよりも特異かもしれないが、その特異さがコラージュの域を出ない。BHKの特異さは特異ではない要素の研磨にあるような。ただ破壊力はなんだか凄く、コイーバ・パナテラの巨大化という夢が結実している気もする。黒いと言ってもマデューロシリーズなんかにはあまり似ていない。またただ、パナテラのアタリに感じるようなホットココアもない。こうして他のビトラのアタリと比べるとつまらないようで、あまり比べなければ問答無用に凄く、また確実に当るのかもしれない。
 今二年半だが、吸い頃は三年前後と見る。というか、これはこれで今日の一本で十分で、堪能するどころか本当の堪能について行けなかったのかもしれず、プレミア感に気圧されたのか、気圧したのか、気圧し気圧され後はゆっくりエスプレンディドスを薫らせたい(未所持)。残5本。
|SUB AGO 11|6.1 x 52|coh-hk|($99/6×2=$33)|重量:+1(14.05g)|算出:+6|香味:+5|

 一口懐かしい。コイーバ風味の懐かしさかといえば釈然としないが懐かしい。藁束の布に寝転んだような。ともすると汗臭さが立ちそうになりそうなところ、転じて転げて新緑のいきれがふっと吹き消したように香る。とともに質の良い甘さ。葉の濃さ。茶色も濃いが、緑色も濃い。花も盛りを迎えそう。
 ビオフェルミンの匂いやかさがセレクションに総じて有るようなのは、コイーバにコイーバの葉を入れるように、セレクションにはどれも同じセレクションの葉を混ぜるのだろうか。
 見たことが無いほど美しい色の金木犀が咲く。一瞬、なんだか底知れぬ葉巻である。
 栗を灰でまぶしたような、其処に強烈な花。
 葉巻の概念も、コイーバの概念も覆す、或いはこれこそ葉巻の概念そのもののような強烈な強さと香高さ。
 シグロⅥの円いカフェオレとは対極の、或る一本のエスプレンディドスを偲ばせる、高名な農園の、鮮明なダージリン茶の香と苦みばしった渋味。其処にほくほくと温かくて美味しい、微かに酸味づいた毬栗が。その毬栗の棘棘が、何故か丸い。その丸さが、丸でなく、丸に無数の細かい棘の優しさ。
 グランレゼルバでもいつもこれ以上とはなるまいと思う依怙贔屓のような味がする。葉巻の裏切り易さを知れば、この真正の一本で一万円の価値はあるような。セレクションというものは思っていた以上に凄い物らしい。コイーバだから歴然として貫禄があるが、昨年のロメオも凄い物を作ろうとして作られた凄い物だったのだろう。
 甘さ、清香、沈香、渋味、コク、全てがアンバランスなほど極大に膨れ上がって突出している。各要素を各要素に隠し、土竜叩きのように忙しい曇り空。
 小揺るぎもせず、常に揺らいだ風味が段々濃くもなる。何処がどう濃くなるのか知れず、ただ花が毒々しいほど鮮明に目立ってくる。毒は回るとまさに人を酔わせ倒れさせるニコチンの毒になりつつある。死ぬ時に一番濃い花を見ることができるのだろう。だったら此処で本当に死んでしまってもいいのではないかな。そんな覚悟のある葉巻吸いが居るか。さにあらず、死をも包むが葉巻の煙である。其処に飄々として夏の萱越しの涼しい風のビオフェルミンが効いている。恰も淡白な。
 久しぶりに葉巻だけに集中させられ、そんな時は後々恥と思うような浮ついた言葉も控え目に、文豪に目を向けて、文学に於ける葉巻の道具としての使い方を考えてみようとも思う。此処で考えるわけではないのだが。
 最近泉鏡花(明治6年(1873)~昭和14年(1939))ばかり読んでいて、鏡花作品にも「葉巻」の文字がけっこう出て来る。「泉鏡花 葉巻」でたった今検索するとざっと五作(『海城発電』『春昼』『政談十二社』『取舵』『古狢』)出てくる。往時の葉巻の味わいとはどのようなものだったのだろう(次いで約二十歳若い芥川龍之介(明治25年(1892)~昭和2年(1927))もけっこう「葉巻」と書いている)。ちなみに散漫にパルタガスのみを調べると1845〜現在とある。コイーバは無論その頃には製造されない。鏡花の場合、明治時代の初期作品に「葉巻」の字が出て来て、晩年につれ文体が江戸っぽくなる為、江戸時代に葉巻があったかと思えてしまう時代錯誤に陥る。事実明治とはいえ、キューバンダビドフという以上の興味が湧く。

 残6センチで明らかに衰える。それでも限りなく+5に近い+4で四捨五入してしまう。葉巻葉巻している為、昨年のロメオにあった葉巻らしからぬポポーの衝撃は無く、葉巻が好きならこちらの方が好きなのだが、どちらが好きなのかわからない。

参照:
|LOE JUN 12|4 3/8 × 40|coh-hk|$176/25|重量:-1(--g)|算出:+6|香味:+4|

 やはり吸い込みが限界だが、香味は滅茶滅茶美味。花が徐々に滲み出して来る。マデューロである為ますます濃く滲み出す心地がする。吸い込み難さのお陰なのだろうか。一人中国茶を嗜んでいるような心地になる。しかも逆巻きで、出涸らしから段々と一煎目に近づいていく。凍頂金萱茶の、緑色の爽やかな、乳香のまろやかな香に、岩茶の茶色い茶葉の味わいを足したような。
 冷たい空気のお陰か、最近この箱は調子が良い。
|LOE JUN 12|4 3/8 × 40|coh-hk|$176/25|重量:-1(8.96g)|算出:+6|香味:+4|

 味は悪くないものの、吸い込みは限界に達している。狭隘なる甘美の世界が繰り広げられたとしても、やっぱり7g前後が良いと思う。
 マデューロシリーズは概ねそうなのかもしれないけれど、コイーバらしくない白い灰がほんの少し輝かしい。
 吸い込みに関しては大ハズレの箱だが、葉っぱの品質はどれも安定して美味しい気がする。巻きさえ良ければ外れ難い銘柄の筆頭に挙げて良い気がする。コイーバは元々行程が多いそう(?)なので品質が安定しやすいのかもしれない。シグロシリーズではほとんど当った事がないけれど、マデューロは更に行程が増えるだろうから。
 香味が安定しているので、特に付け足す語彙の豊富さも持ち合わせない。環境や気分を変えるぐらいしかないというところに至っている。
 初めての時はマデューロはコイーバっぽくないとも思ったけれど、非ハバナのマデューロに比べれば歴然としてコイーバの味がする。
 それにしても、吸い込みさえ通ればこれは大変な一本だった気がしてならない。後半に立ち始めるノイズすら甘美なものに聞こえた。花とコクと染みの重い嵐が最後には強大な辛味をともなって軽々しく吹き荒れるというふうだったのである。それが全く無風に、建て付けの悪い隙間風に終った。苦学生ならこの隙間風にまさしく狭隘なる甘美の世界を繰り広げられたのかもしれない。
 いや、最後の最後にその世界は私にも来た。単に非常に常識はずれな甘い花として、嵐もなく、建て付けの良いガラス窓を透過して来た。
 残三本。
|SMO JUN 11|4 4/5 x 50|coh-hk|$258.40/25|重量:0(12.23g)|算出:+2|香味:+2|

 とうとうコイーバのロブストに着火する日が来た! 結局昨日に引き続き今日も濡れそぼったままだけれど、金木犀が昨日、今年初めて香ったのだからね。(購入後約二年でこの箱の22本目(1年前前回の記事から7本目)だけれど、無理矢理初心に返る。なにしろコイーバのロブストといったら生涯一本吸えれば幸運というほどの代物である。)
 初めから甘く金木犀が香る。カフェオレのようなマイルドな珈琲の香ばしい味わいも初めからある。そんなポタージュに無数の香草の微粉が混ぜられている。香味の分子のひとつぶひとつぶが顔じゅうを転げ回っているようだ。珍しくスパイスの辛味がぴんぴんして目に刺さってくるようだ。すると目玉がくるっと裏返り、痛みを防ぐと同時に自分の内側に何もない事を視て、も一度くるりと表に返る。するとすかさずお菓子のカスタードがテーブルに用意されているのです。なんとも美味しい胡椒入りのカスタードです。そのエクレアがなんとも岩のようにごつごつでおいしい。カフェオレと一緒によく合います。嗚呼、ちょうど外から金木犀が吹いてきました。それが実は家の中の事で、外には何もないのです。外で咲いている筈ですが、家の中までは香ってきません。だからといって全くどうという事もないのが悔しいのです。
 葉巻に着火した瞬間に、実際に天変地異でも起こらないものか。しかし天変地異といったら奇怪で危険なものばかりですが、奇怪さは兎も角心地良い天変地異もありそうなものでしょう。それがじつはないのです。それが無いから葉巻なんぞがあるのです。葉巻を吸っている人は、結局天変地異を望んでいるようですな。それが危険一色とも知らずにか。吸っている最中に「貴方は癌です」といわれたら、それは天変地異の美味しさではなかろうか。生死の分かれる天変地異よりも多く死の決まった美味しさがなかろうか。大体、死の1秒前まで死にたくなかった人も、死の渺秒前には死にたいと思うものかもしれません。死は苦しいですから、死んでも良いので苦しみから逃れたいと思う。それがなんと、死にたいと思うほどの味わいは訪れませんでした。まったくもう。死にたいとは思いませんが、まったくもうです。もう、牛です。最後は焼き畑農法で何故か牧草を喰っているだけになります。結局牛ではないので美味しくもないんですね。死んでも死に切れない、渺秒前でも死に切れず、これで死んだらわたくしは化けて出るでしょう。
コイーバが甘かった事はない。一言云いたかった。甘くてもコイーバの甘さはけっしてケーキではない栗の如き微かな甘さにとどまる。まるで重要な事のように一言云わずにおれなかった。
 なんだかランセロを久しぶりに吸ってみたい。甘くない事を裏切ってくれるとしたらきっとコロナエスペシャルかランセロで。
|URG JUN 10|5 3/4 × 52|Cigars of Cuba|$164/10|重量:+1( 15.16g)|算出:+5|香味:+4|

 駆け出しに草が薫り、栗といわれるような味わいがふっくらと有って、それらが奥まったふうであるのは煙の所為か、肌理細やかな、優しい、肌寒さが温かいような味わいに、空を十本の爪で引っ掻いたような雲を眺めていた。ココナッツ(コイーバでは非常に珍しい)が形を整えそうになり、それからはっきりと金木犀が来る。今日は初秋らしい初秋の晴天である。安物のカスタードに非ず、ココナッツは金木犀が加わると杏仁豆腐のようにも姿を変える。
 15.16gとあり、指で抓ると巻きが硬く、灰の断層も彫りが浅くなるほどの硬さである。吸い込みは丁度良い。
 ほろ苦さはあるが、雑味というほどでない。
 ミルクたっぷりのカフェオレという感じではなくなっているのは三年の熟成に因るのだろうか。さびれた感覚も心地よくある。一箱終了。
|MES JUL 11|5.6 × 54|coh-hk|$396/10|重量:+1(15.79g)|算出:+2|香味:+3|

 一時期目が麻痺していたが、久しぶりに手に取るとやはり巻きの美しさは群を抜く。空吸いし、こんな空っぽな風味がどんなになるだろうとしばらく思いに耽る。
 初っぱな草。これも懐かしい。最近懐かしい事ばかり。この手の草から始まるとニカラグアの強さを予期してしまう。
 ……非常に落ち着いたまま、丁寧なコイーバの味が高そうではあるものの、格別美味しいものでもない。
 大分経ち、中盤も終る頃、草っぽい金木犀が吹き出すが、草いきれっぽい。
 それだけ。
 それだけとは何事か。しかし「それだけ」に至るだけでも大変なのですなぁ、と思うような善人が果たして此処で重要であろうか。それでも、これほどの丁寧さはこれ以上望むべくもない。岩も静か。何も喋らない達人が、何も喋らないにもかかわらず時代遅れだったと判明する事があるであろうか。むしろ耄碌味が無く、喋るほどに若い。緘黙した達人の周りで若い奴が勝手に喋っておる。達人は健在なのに、達人より若い輩が達人より耄碌している。この文章こそは既にきっと時代遅れだろう。
 ……美味しいか不味いかといえば総じて普通だった。これほど普通だった物は無い。それなのに普通の普通とは訳が違う。驚きが無いという驚くべき葉巻であるのか、只管穏やかな岩に草が生えている。最終盤で荒れるものの、その荒れが荒れる事もなく、まるで平静に荒れる。
 今が夏だからか、夏を少し忘れさせる物でもあった。昨日のパンチの方が断然良いが、抗いえない不思議な多少の魅力がある。冬にこれならばまた趣が違ったか。夏を忘れさせるほどの冬の魅力なのかもしれない。今日は夏が勝った。結局夏を忘れたくない。なんだか今日は売り物にならない文を書く事に疲れている。売り物になる文を書いて葉巻を買う金を稼ごう。

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