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  源氏物語「葉」
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|SAR MAR 12|5 1/2 x 54|cigarOne|$76/5|重量:+1(16.17g)|算出:+3|香味:+3|

 初っ端から何かほかほかな芋のような味わいが薄らと口の中で膨らむ。その口の中に少しずつ花弁を入れられて、砂糖の粒も一粒ずつ入れられて、なんだか口をぽかんと開けているだけで味が増えていくような自動的な心地よさである。葉巻が太いというのがその原因かもしれない。久しぶりにパルタガスのパルタガの字まで感じる、それも一等穏やかに。
 序盤をすぎるとパルタガだった味わいがパルぐらいに短くなった。
 「何やってんの?」
 「パルッテル」。
 「蛍光灯がクルッテル?」。
 「そうなんだ、ああ唄い出したくなるようなんだよ」。
 「口にサイレンサーでも付けておいたほうがいいよ」。
 私は漸くの思いでサイレンサーを取り外した。雑味の喧しいトンネルを抜けるとそこはパルタだった。そのデルタ地帯には花のような香のワインがワルツのように流れ、私は鶴羽(ツルワ)を畳んだ鶴の気分で三角関係を感じたのだった。四から二へ、二から三へ満つる三角関係であった。それにしても三角の何処が魅力なのだろう。デジタル臭い四角四面のほうがまだ心地よい気がしなくなかった。
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|LAG FEB 11|170mm x 43|coh-hk|$197.20/25|重量:0(11.46g)|算出:+6|香味:+4|

 空吸いしていると、甘さを除いた蜂蜜の香が濃く鼻にくっつく。安い蜂蜜の湿っぽいそれではあるが、安い蜂蜜の湿っぽさと違って葉の湿っぽさに変わっているわけだから心地よい。箱を開けた時も匂いが濃く、兎に角芬々としている。全体的に美味い箱である気がする。
 着火一番でガツンと来る。最近不甲斐無い物ばかりだったから爽快である。褐色というのは雑味になりかねないが、褐色の人のバネを感じる。ところが褐色であれ色白であれ中身には同じ血がカスタードクリームのように流れていて、同じ血が流れていない方が嬉しいのであります。味がカスタードに落ち着いてしまうのが怖い。怖くないはずの成分が怖い。もうカスタードには嫌気がさしている。この葉巻だけはせめて雷鳴のように耳を聾するほど刺激的であってほしい。これがそうでなかったら、どの葉巻にそれを求めうるのでしょう。遠雷になりはしても、有り難い事に、雷が止む事はありませんでした。
 ここでまだ二センチでした。此処で切り上げようかと思いましたが、もしかしたらこれは凄いアタリなのではないかと思いはじめました。
 ですがそのようではありませんでした。どうやら切り上げようかという時が一番思わせぶりだったのです。思わせぶりだったのか、その後に私が何も思わなくなったのか、わかりません。今後私が葉巻を美味しいと感じる事はないのでしょうか。馴れというものはそういうものなのでしょうか。これはこれで間違いなく美味しいというか、8月で一番美味しいのですが。
 まったく鄭重な気分です。鄭重な味わいがあったのかもしれません。ですからこれでまだ半分だったのです。間違えて諦めようとしてしまいました。何度も諦めようとしたのです。
 山椒というか、山椒のようなものを十個も一時に噛んだような強烈な変化が訪れました。わたくしはもう少女のようです。同時に葉の香ばしさや塗り潰された花などが香ります。少女が言っても「ピリ辛」の、雑味ではない、吸い応えをもって。これぞ葉巻の真骨頂であります。まるで花盛りの木蓮の巨木のようです。花盛りなのにそういう地味な味わいです。未だかつて誰が木蓮を一本吸う事ができたでしょう。夏に春を思う。これこそ一番遠い。一番遠くて一番近いのです。しかしなんという地味な花盛りでしょう。桜などはとっくに散っています。なんと長い花でしょう。川端康成は百日紅やハナミズキやコブシを何処にでもある花と云っていました。確かにマンションのぐるりや県道の際などによく植わっています。木蓮はコブシによく似ていますが、木の大きさが違います。木蓮もよく見かけますが、木蓮は公園にしか植わらない大きさです。まったくなんと云う残暑でしょう。木蓮の巨木が満開です。でもなんで少女が葉巻を吹かしているのでしょう。しかも木蓮の渋さをもって。まったくもう、葉巻おじさんの思いどおりにはなりたくないものです。
|6 1/5 x 47|cigarOne|$12|重量:0(11.00g)|算出:0|香味:+1|

 「一望の野をひた走る楽しさを、私は軽やかな酒のように飲み干す……」

 浜に上がった水母のように「ぶよぶよ」と「しわしわ」が半ばした「ぶよしわラッパー」が消えるあてもなく浅瀬を人が泳ぐように巻かれ、赤く黒ずんだ火傷のような冷たい色味が、透明度を隠し、味の激しい濃さを言い訳のようにものものしくもなく物語っている。贅肉老人のようだが、かくいうほど葉巻は太くなく、太った人が痩せた時の皮膚のようでもある。つまりそれほど古くなく。
 後々、この不吉和(ぶよしわ)と色味は見事に下手に折衷するのであった。

 芋が甘い。安納芋か。もっと、バニラエッセンスでも加えたスイートポテトなのか。スイートであっても期待した強面を完全には失ってはいない。しかしラッパーの色味に距離が比例するような、濃ければ濃いほどハバナがニカラグアに近付くような、単純な国際色がある。ニカラグアという国がもし存在しなければこんな事は感じないだろう。海の上の雑味。

 冒頭のジュリアン・グラック『シルトの岸辺』中の「一文」を手本とし比喩の練習をしようと思って書きはじめたのに、どうも巻きが悪いらしく味が歯車の毀れた時計のようにどんどん狂っていく。生来比喩にあまり興味がなく、それゆえ文章が下手で、『シルトの岸辺』を読んでいても十頁毎に眠ってしまう始末なのだが。
 「手本」にするほど比喩に目覚めたわけだから、比喩以外の要素が眠気を催すのかもしれない。同様に眠かったのであまり憶えていないが、ブルーノ・シュルツに近い感覚かもしれない。
 こういうふやけた暗渠の気分に文豪をしばし巻き添えにしていると、序盤のスイートがまた艶かしくスイートルームで安らがせん為に復帰する。
 ちなみに、「手本」の肝を抽出すれば、「楽しさを飲む」という文体であり、これ自体比喩を飛び抜けた、比喩を導出する文体である。あるいは逆に比喩に導かれた文体かもしれない。兎も角「楽しさを飲む」というのは突拍子もない事なのである。どうしてこんな事をわざわざ書くのかというと、私は煙をどうひた走りうるのか未だにわからないからである。
 わからないという一点が煙であるはずもない。煙を煙らしく吸収し煙らしく見失っている。どちらかに絞りたいものなのである。それがもし面白ければ。もしそれぞれが別であれば。
 「煙は見るものではなく吸うものだ」とは図書館を探しても誰も書いていない。一体このお吸物はどんな丼に合うのだろう。「私という丼に合うお吸物だ」なんて恥ずかしい人しか考えつかないし、その恥ずかしい人には考えつかないだろう。恥ずかしい人を捏造して済む問題ではない。
 またすぐに巻きの悪さをふんだんに味わわされたのである。巻きが悪いのか葉が悪いのか私が悪いのかまったくわからない。わからないというのも嘘くさく、一本の煙をひたすら楽しむ苦しさを、私は重たい酒のように軽ろしむ。
|APR SEP 10|5 1/2 x 50|puro-express|€77.25/10|重量:+1(14.86g)|算出:+4|香味:+3|

 この葉巻は美味しい。まだ二本目だが、リミターダにあるまじく、良く出来たカレーのようにこなれている。苦み、甘味、旨味が、デザートではなく、料理として纏まっている。若干焦げて揮発性の木を感じるが、ハバナ葉らしい香ばしさも微かなスパイス感も申し分ない。それがデザートに移行するような素振りをも見せ、深い色合いのカレーに明るいヨーグルトを足したかのように、まろやかに甘そうになったりするのである。カレーの味は全然しないが。もっとも林檎蜂蜜なども感じてしまう。
 マデューロらしきエグミも時々乗るが、エグミは大人しいし、カレーに大徳寺納豆が利いている。バナナやパイナップルなども混ぜたのか、それにしても焦茶色いコクに溶けて判別がない。
 パルタガスの懐の深さを感じる。パルタガスなら、何をやっちゃたって良いのである。全体的に恍惚感のない土着的な銘柄だが。葉巻は音楽と違って土着に恍惚はない。

 私はラーメンに興味がない(興味はあるがいつもマイナス点を付ける)のだが、というのも豚骨を十時間も煮込んだり鰹粉を仕上げに掛けたりする行為が悲しいのだが(一本気という店だけは日本料理のようで別格でした)、それと同じぐらい「カレー好き」というのは悲しいけれど、食べ歩きをするならカレーの方が数倍奥深い気がする。
 私が開発したラーメンというのはこうである。
 <麺をおでんのシラタキのように結ぶ>。
 私はおでんではシラタキが一番好きであり、二番は昆布で、三番はない。食材は単独で結ばれていなければならず、結び目の食感と、噛んだ際に結び目から僅かに湧き出すエキスが好きなのである。汁が良く絡む縮れ麺など、結び目には遠く及ばない。ラーメンの麺は「汁をどれだけ煮込むか」にばかり気を取られ結局イタリアンパスタにも及んでいないではないか。パスタには可愛いリボン型まである。「油多め」などは馬鹿である。チャーシューなども渦巻状の油を削いで渦巻状肉と渦巻状肉とを組み合わせて知恵の輪のような形にしたら良い。ラーメン以上に酷いのは葉巻だが、葉巻は愚直なほど真っ直ぐで、かえってクレブラスなどが馬鹿らしいのである。巻いている人自身が馬鹿らしいと思って笑いながら巻いているのである。

 +4のはずが、終盤早々著しく減衰したというか、パルタガスの終盤らしく荒々しくなったというか、そのように荒くなったのだが、着替えたいのに着替えられず、袖から頭が、襟から手が出て、どうも変身に失敗したらしい。
|SAR MAR 12|5 1/2 x 54|cigarOne|$76/5|重量:+1(15.??g)|算出:+3|香味:+3|

 ここまで出来立ての葉巻を吸うのは初めて。出来立てというか、一番吸ってはいけない時期なのかもしれない。
 量った重量を忘れてしまったが、思いのほか軽い。そして味は昨日のコイーバに似ている。一口目は『おお、パルタガス」と思ったが、太さの所為か昨日とそっくりな部分が随分ある。
 サロモネスとルシタニアスの中間かなぁ。サロモネスほど大人しくなく、ルシタニアスほど旨くない。中間といっても悪いところを採った中間のようで、かといって悪いのもないし、なんだかたぶん既に飽きている味であるらしい。昨日のコイーバで飽きたのか、もっと早くに飽きていたのか、木犀であれ八角であれココナッツであれ色濃いが、なんだか平凡である。
 パルタガスが太くなっただけの味、というには、ルシタニアスの枯淡の風味もないし、プレシデンテの荒さや渋さもない。ペティ・コロナス・エスペシアレスのようにルシタニアスを小型化したようなものでは当然ないし、898のような突出した苦みもなく、なによりパルタガスにしては旨味が薄く、やや荒野感も出ている。悪くないので、本領でこの程度なのかもしれない。悪ければ期待もできるが。
 一番似ているのはD4かもしれないが、あんな意味不明な美味しさは放たない。
 というのが生後二ヶ月である。二ヶ月でキューバから一旦スイスに行って日本に来たのか。……この葉巻は実に疲れた様子かもしれない。
 ともあれ5本入は良い。中途半端な人の為に、もっと5本入ばかり生産してほしい。25本以上のボックス買いこそ本格的だし、一番楽しいのはシングル買いだが、5本入には何故か惹くものがある。
 中盤でハーシュノイズのようなものが音を上げる。ルシタニアスの終盤のようなものが中盤で来た。実にパルタガスらしくて頼もしいが、これが中盤で来て良いのか。太い所為で早産してしまったのだと思うが、芋風の旨味も増している。細身のserie du connaisseur No.1を廃止にしてこんなみっともない形の物を作った事に文句を言おうとしていたらこれである。太いだけで侮るわけにはいかない。
 一旦ノイズが消えて旨味だけが残るのは大物の馴初めか、これも昨夜のコイーバに似ている。
 パルタガスらしくなったものの、変化の時期が太さによって前後しているだけで、特別美点は感じなかった。パルタガスの中盤にパルタガスの終盤が来てほしい人には良いかもしれない。最々終盤は中盤にあった終盤が輪をかけて荒々しくなり、ここまで荒いのはパルタガスでも初めてである。それでいて面白く吸えるのだから凄い。
 しかしパルタガスがパルタガスらしいとはどういう事なのだろう。他の銘柄も同様の変化をするはずなのに、パルタガスの変化はそれらよりもわかりやすい。わかりにくい物が奥深いなどという事はありえない。
|APR SEP 10|5 1/2 x 50|puro-express|€77.25/10|重量:0(13.19g)|算出:+6|香味:+4|

 このELもトリニダッドEL同等のかなりの褐色である。あれほどブルーミー(?)ではないものの。
 ブルーミーなマデューロにはダニも湧きやすい(?)。ダニの存在に気づかない人もいるが、よくよく見れば葉巻には結構な確率でダニがいる(葉巻に居なくても箱に居る。箱で買わない人ならダニに遭遇しない可能性もある)。ダニより多いのは、白黴とブルームを混同している人である。「やった!ブルームが生えてる!」という喜ばしい人の葉巻画像を見ると、たいてい白黴なのである。そもそもブルームというのはそれほど騒ぐ事でもない気がする。もしそれによって旨味成分が多い確証を得たとして、その旨味成分自体が不味かったら、黴の生えた葉巻の方が美味しそうである。
 この葉巻にはブルームも付かずダニもいない。昨日のトリニダッドでは二匹発見した。

 一服目から、トリニダッドとは一転して、不整合な感覚がなく、褐色がきちんと嵌る。
 褐色といっても、ラッパーはたった一枚の薄い葉なので、全体の香味にそれほど関係ないのかもしれない。だが思った以上に外観どおりの味がする。
 二口目にして不思議な美味しい浮遊感がある。ハバナに居るのに同時にニカラグアに居るという完全犯罪の浮遊感に始まり、段々とハバナが国境の形を整えてくるのだが、はや葉巻の絶頂の香味をもって輪郭を整えてくるのである。
 金木犀とココナッツの間の子のミントを抱くような、揮発性の草が浮遊感の正体か、出だしではニカラグアの樹脂にミントが添えられていたらしい。
 脳髄を何処かに運ばれるような感覚である。差し替え可能な脳髄というか、頭が電気になってしまった。頭というものは電気になりたいらしい。
 まだ1センチだが、もう一箱買いたい。
 そもそも私はショートロブストみたいなサイズが嫌いであり、リンゲージ50なら最低ロブストの長さがなければいけない。この点のみで、トリニダッド2010は失格で、パルタガス2010は合格なのである。
 マデューロっぽい感じはあまりなく、樹脂から重厚なナッツに変わっていく。樹皮ではなく、白木などはさらさらなく、濃密な樹脂であり、それがナッツになるのである。
 樹液に纏い付かれたほこほこたるはずの中身は金木犀とココナッツとミント、パルタガス感はなかなか感じにくい。だがこの重厚な香ばしさにしてバランスが良いのはパルタガスならではなのかもしれない。単純に旨味がちゃんとあるという事なのだが、その旨味が何なのかわからない。芋も感じないし米でもパンでもない、麦や藁などもない。甘くて旨くて香ばしい。ちょっと苦い。まったく完璧なのである。吸い進むにつれ、ルシタニアスの全盛を思い出させる。外郭がまったく違うのだが。
 派手だが、これに比べるとコイーバ1966でも創作に失敗した創作料理に見える。もっともコイーバという素材の良さは試作でも消えないけれど、1966はコイーバらしさに頼りすぎている気がする。中身がモンテクリストのようだったし。このインチキ分析は、旨味に於いてはどのブランドもパルタガスには負けるという事でしかないのだろう。
 これだけ褒めておきながら、+5にはならないのである。バランスが良いといっておきながらバランスが悪いというか、最初から最後まで強烈一辺倒で変化の妙がないというか、当りのルシタニアス(http://dovidaff.pazru.com/Entry/212/)には簡単に負ける。枯淡というようなものが完全に欠如している。褐色が枯淡の風味に枯れるまで待つべきなのか、待っただけ損になる予感もある。枯淡というのは、ヴィンテージモノを指すのではないから。
 それにしてもこの外郭の濃さにバランスしている中身というのは凄い。今回はそれが静かだから、より凄さを感じなくもない。中身自体がなんなのかまったく空気のようにわからないのに。
 このようにして終盤の満足感を得た辺でまだ中盤の序の口にさしかかったばかりなのである。なんと、これならペティロブストで良かったような気がしなくもない。私はもはや葉巻に疲れて、いまやパイプをちびちび吸いたい。いかにも凡庸だが、パイプを吸おうと思った日には葉巻が吸いたく、葉巻を吸おうと思った日にはパイプが吸いたいのである。
 こう書いた直後、パルタガスらしい荒々しさに覆われる暗雲の雰囲気になる。だが肺喫煙してみると、なんと軽いのである。この軽さには今まで気づかなかった。当然咳き込むものだと思っていた。軽いといってもタール30はあるけれど。……パイプをちびちびしてニコチン酔いする人もいるらしく、この葉巻はもしやそんな人でも大丈夫なのではないだろうか。パイプでニコチン酔いした事がないのでわからないが、パイプでニコチン酔いしない為に葉巻に馴れるのも手だろうとは思う。
 荒さは雰囲気のままにとどまる。
 あまり関係ないが、片燃えがずっと続いていた。
 嘗て1001で2本買ったEL-D5のするするしたサランラップを舌に貼ったような感触はまったくない。あれはあれで特別だった気がするが、近年のELはマデューロ傾向のみがあって、それゆえニカラグアっぽいのだろうか。昔のELがわからないのでわからない。大体、2年熟成させた葉を使用しているとか5年熟成させた葉を使用しているとか言われても、0年の物を買って自宅で熟成させれば葉巻が黒くなるというものでもないのである。つまり、製造者の熟成方法と自宅での熟成はまったく異なり、基本的に熟成させないハバナがマデューロを作ればマデューロばかり作っている国の葉巻に似てしまう。これがマデューロなのかどうかもわからないが、かえって通常のハバナよりも凡庸なのである。要するに国交断絶亜米利加人向けなのか。国交断絶でなければ、亜米利加人向けではないのか、わからない。私は亜米利加人を馬鹿にしているのではないのである。こんな教科書的な文句にはまったく興味がない。
 このようにして、終盤はあまり面白くない。余計な事を考えさせるのである。荒いが、パルタガスらしい荒さというよりは、ただの老衰の雑味ばかりがある。最終盤独特の熱による薄荷の所為で、モンテやコイーバに近づきもする。それにしても長く、凄かった。残3センチまで持つか持たないか、最々終盤は薄味になり、その所為で軽く感じるが、強い。辛みも消え、実にするするとしているのである。
|LAG FEB 11|170mm x 43|coh-hk|$197.20/25|重量:+1(12.43g)|算出:+4|香味:+3|

 吸い込みはぎりぎりの固さ。コイーバEL2011を買おうか買うまいか最近1時間につき10分ほど迷っていたのでこの葉巻をそれの味のように感じてしまう。そればかり考えているのでこの葉巻の味も何も感じられないが、というのもこれがそれらしいのである。これまでの898と違って太々しい苦みが少なく、コイーバのパナテラのように香ばしい。買おうか買うまいか迷ったのも、コイーバパナテラを巨大化したコイーバを欲しているからであり、コイーバEL2011の各種レビューを調べるにつけ「濃厚」の文字が踊ったからである。コイーバにしてコイーバらしさが濃厚なら、「パナテラを巨大化したような香味」であると合点してしまう。この898がどうもそれに近い印象らしい。これまでの898に比べると「苦み」がパナテラ級の細さで香ばしいばかりなのである。しかもそれが悠然としている。

 調べたところコイーバEL2011を一番安く売っているのはシガーオンラインで、昨日まで在庫数9箱で微動だにしなかったのが、急激に4箱に減った。なので焦って結局購入してしまった。誰か一人の者が5箱も一気に購入したのではないかな。
 意識が別の葉巻に飛んでいて、それを考えなければ+4にはなったかと思う。この葉巻はますます奥深い。だが美味なる想像を超えはしない。一応均一でありながらも雑多で、この雑多さは、よし当っても、結局トリニダッドEL2007のような雑多ではない物が変化する面白さに面白さでは及ばない。花も鼻腔をくすぐるが、波のように押し寄せはしない。水辺のような花辺はBHKの独壇場ではないかと思う。BHKは良くも悪くも特徴が突出する到着日に一本試しただけの不安定な印象ではあるけれど。
 本気がグランレゼルバで、本気にしてバランスを崩したのがBHKで、ELは本気ではないただの物という感じはする。しかし買ったのだ。これがそれに似ているのである。そう思うとこれは不味い。
|LAG FEB 11|170mm x 43|coh-hk|$197.20/25|重量:+1(13.93g)|算出:+4|香味:+3|

 やっぱりこの葉巻はいろんな意味で凄そう。ダリアにしては重量過多で、計量どおり吸い込みが悪いが、吸い込めなくても煙が濃く、味も悪くない。鼻で水を飲むような辛さがあるが、対価のように花が濃い。
 木・土・革はなく麦殻・乾草。それとは別にアーモンドや珈琲豆の香ばしさも感じるが、かなりささくれて賞味期限切れらしい。パルタガスらしい芋は気圧されて存在感がほぼない。
 過去9本の898と違って苦味をあまり感じなかったが、中盤で苦味が出てくる。これがこれまで感じなかったコク深くまろやかな苦味で、一杯八千五百円のカフェモカが一瞬よぎる。豆を焼き直したらしい。
 珈琲豆を実らせた金木犀がしとどにコンデンスミルクを滴らせる。滴っても煙なので異様にふくよかなミルクなのである。「金木犀ミルクカフェモカ」か。あるいはこの同じものに「蜂蜜ココナッツ珈琲」を醸成できなくもない。甘ったるいのではないが、脳髄に浸透するような香りの甘さである。
 10分ほどこのように調子よかったが、ささくれが戻る。痛いように苦い。
 ささくれの草っぽさが、蜂蜜をレンゲの蜂蜜にする。
 最後は棘のある薔薇の枝から金木犀が咲く。
 好悪が刻々と入れ替わりつつも兎に角高密度で複雑な1本だった。好にも飴と鞭を感じ、悪にも飴と鞭を感じる。もう少し精確にいうと、好には好飴と好鞭を感じ、悪には好飴と悪鞭を感じる。悪のみが蔓延る事はなかった。ただ、悪の時間の方がずっと長いのである。
|LAG FEB 11|170mm x 43|coh-hk|$197.20/25|重量:+1|算出:+4|香味:+3|

 製造後一年、購入後三ヶ月を経たので御機嫌を窺うのに頃合いかと思ったが、残数を数えたらもう九本目で、思っていた以上に御機嫌を窺う回数が多い。御機嫌を窺いつつ寝かせるにはやっぱり1000本ぐらいのストックが必要なのかもしれない。
 着火前からいつもと違う美味しそうな匂いがあり、着火前に180秒ぐらい犬のようになった。

 当りを引いただけかもしれないが、香味も落ち着いている。スタウト麦酒にも似た黒い苦味に、麦汁とも芋ともつかない、羚羊の太腿のような引き締った旨味が隠れている。花が彩りと柔らかさを添えている。だが甘い愛想はなく、ブルーマウンテンの高貴さは更にないが、嫌味のない燻しで、後味が完全な珈琲になることがある。
 後味が毎回珈琲というわけにはいかない。味わいが段々白っぽくなるというか、煙っぽくなり、花もが珈琲を覆い尽くそうとしている。それでも苦い。苦さが白さによって荒くなるようでもある。
 パルタガスの中でも飛び抜けて重心が低いらしく、先日のロバイナ・クラシコスに似た傾きがある。ただどうもこの898は好きになれそうにない。バランスが歪な星のように尖っている。星は丸いのに、遥か彼方のことなので判らないし、おそらくロマンチックな人間がこれを好むのではないかと予感する。苦さや重心の低さはロマンを否定しない、むしろ逆である。下手な占などどうでもよいほどの不敵さが優にあるのだが。
 初心者でありながら「初心者」という言葉は忌避しているが、こればかりは結局初心者向きではないと思う。強さや苦さが原因ではなく、この葉巻は単純な葉巻の愉しさを超えもし廃れさせてもいるらしい。とはいえ、子供が珈琲や麦酒を飲めないのと同じ事である。つまりこれは大人を子供に還す、老人の葉巻なのである。これが好きな人はロマンチックな老人であり、老人のロマンが即ち、若返る事であるに違いない。別段若返りたくない人はこれを吸ってもしょうがないのである。又は、若返るところを更けに老けたか。
|UGA MAY 09|194mm x 49|Cigars of Cuba|$106/10|重量:+1|算出:+8|香味:+5|

 一口目から別格。これまで八本中一本しか当っていないから、ここまでのものとは思っていなかった。先日のエスプレンディドスのキャビンやダージリンによく似た尊い香り。この茶葉感はリットーゴメスに始まり、エスプレンディドスを経過し、ルシタニアスに至る、私の経験はなんて豊かなのだろうと感嘆してしまう。
 エスプレンディドスよりも甘くて辛い。辛さは雑に感じない力をもって迫るが、しばらくすると収まる。どことなくパルタガスのルシタニアスでしか得られないなにものかが一貫して一服目からあるので、派手な中にも落ち着きがある。派手というか、高貴なのだが。
 紅茶の葉は極甘い金木犀などに翻る。
 鼻につんとくる揮発感があるようでなく、あまり優しさがないようでいて優しい。
 今までとは別物で、熟成(?)と若さの名残とが信じ難いほど絶妙に結合している。信じ難い煙以外の何を信じろというのか。
 吸い込みがよすぎるぐらいによく、煙も濃い。
 前回の5点の時にあった、唖然たらしめる精妙な変化はなく、単調だが、これ以上に何も無い天井の香味がずっと続いているのだから、飽きる贅沢を味わえると考えたほうが良さそうである。
 なのに微妙に変化しつつある。花がキャラメルを幾重にも帯びて濃く湿り、薄黄金色の透明な蜜が滴る。ここで四十分、減りは早い。
 ダージリンに憑物のような渋い高音域がずっと響いていて、そこがなんだかパルタガスらしからぬが、それが少し酸味がかってきてますますパルタガスらしからぬ。酸味はダブルコロナらしい変化の一面にとどまってくれるが、なんだかサンルイレイに似てきたような感じもする。
 さすがに一時間も煙に集中していたら飽きてきた。集中するつもりなどなかったのに一時間も集中してしまった。求心力が凄く、気付けば、未来の不安にも似た異様な静けさに襲われる。いつも網戸から出ていく煙を目で追っている(冬は冷たい空気が網戸の下段から入り、温かい空気が煙と共に網戸の上段からゆっくりと出ていってくれる。夏は逆流で煙がこもる。)のに、煙の行方さえ追い忘れていた。長い長い終盤を流しながらやるべき事をやろうという気になる。この葉巻がなかったら、今頃やり終えていた事である。それで止まっていた音楽を流したのである。流れるばかりで結局なにも進まない。
 
 一時間半で約三センチ残して終了。時間が忘我に消えると目覚めた時にかえって時間が気にかかる。

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