×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
なるほど、酒と葉巻を呑んでいて、とてつもない吐き気に襲われたのですな。ですが吐いている場合ではないでしょう! 随分安い380円の酒でも呑んでいたのでしょう! 川の清流と言いながらそのじつ380円の!
PR
|BYL SEP 05|9 1/4 x 47|coh-hk|$62.90/5|重量:+2( 20.09g)|算出:+6|香味:+4|
久しぶりにAサイズを取り出すと改めてでかくスマート。サイチョパンサは味も久しぶりで改めて個性的で興をくすぐる。初め正露丸を薄めたようなところから始まり、次第に胡麻団子が丸まってくるような気がする。長尺の所為か歳月(七年)の賜物か淡く穏やかな、克明なものの何も無い景色である。
ドローが今までのサンチョスになくすんなりしているので、ドロー難が醸し出すような淡くも不貞腐れた景色ではない、素直な淡さがある。海辺で海の香に浸ってでもいるような。此処は海辺にあらず、月の胡麻の桃源郷と云ったような処である。
其処にはっきりと甘やかな匂い。桃源郷の中で、何処かの某かが夕餉の桃源郷を炊いているのだな。炊いているのではない、茹でているらしい。そのお宅を突き止めようと惹かれていくと、風向きが変わって匂いの元を見失う。
それがどうやら、ヴァイオリンの声の少女のように、おのが口から匂うらしい。口臭をクンクン嗅いでみた。すると不思議、半透明な不思議な花が咲くではないか。月胡麻の無数に転がる藪北の川瀬に、川を掬って呑んでみる。すると白ワインの味がした。昔は水底に溜まった漆を独り占めした人がいたものの、この秘境を誰かに伝えずにはいられまい。だが黙っていた。伝えれば汚い酷い尾ひれを綺麗に付けて瞬く間に反射して桃源郷にまで広がり、川も枯れてしまうだろうから。どうして枯れる行方を知っているのだろう。どうして行方を知れば知るほど美味しいのだろう。なにか微妙な重なり合いと背反が働いているようだった。複雑な波紋が人為的に重なる池を見ているような心地よさだった。
どこまでもいつまでも淡さが続くようだった。海にありがちなおそろしい波濤は来なかった。桃源郷は海からだいぶ離れて。桃の代わりに、胡麻が桜のように咲いて散っていた。近所では童が小豆を水鉄砲のように投げ合っていた。しかしそれはいずれ染みた黄ばみの風景に変わるらしかった。黄ばみがまるで新鮮なもののように燦々と響いた。小豆や胡麻はセピア色に似ているが、普通のセピア色ではない、しかしセピア色に似た黄色だった。風は南から北にそれとなく吹いていた。
九月一日が風向きの変わり目だった。ほぼ満月に近い月が昇っていたのを思い出した。とうの昔に残暑残暑という暦になっているのに、明日から初めて残暑が来るのだと思う。残暑は真夏にそっくりで、残響は粘っこいのに爽やかで。何につけても、自分の口臭なる口煙が愛する人の口臭のように甘い。全く以て自業自涜である。実際、口臭のような山椒のような芥子粒のような香が長々しき宵闇の末に漂うてきた。最後の最後にまったく爆音を聞こえがちにしながら、単に漂う海辺もどきの雰囲気を失っていない。Aサイズにあるべき雰囲気を体感したのだった。
久しぶりにAサイズを取り出すと改めてでかくスマート。サイチョパンサは味も久しぶりで改めて個性的で興をくすぐる。初め正露丸を薄めたようなところから始まり、次第に胡麻団子が丸まってくるような気がする。長尺の所為か歳月(七年)の賜物か淡く穏やかな、克明なものの何も無い景色である。
ドローが今までのサンチョスになくすんなりしているので、ドロー難が醸し出すような淡くも不貞腐れた景色ではない、素直な淡さがある。海辺で海の香に浸ってでもいるような。此処は海辺にあらず、月の胡麻の桃源郷と云ったような処である。
其処にはっきりと甘やかな匂い。桃源郷の中で、何処かの某かが夕餉の桃源郷を炊いているのだな。炊いているのではない、茹でているらしい。そのお宅を突き止めようと惹かれていくと、風向きが変わって匂いの元を見失う。
それがどうやら、ヴァイオリンの声の少女のように、おのが口から匂うらしい。口臭をクンクン嗅いでみた。すると不思議、半透明な不思議な花が咲くではないか。月胡麻の無数に転がる藪北の川瀬に、川を掬って呑んでみる。すると白ワインの味がした。昔は水底に溜まった漆を独り占めした人がいたものの、この秘境を誰かに伝えずにはいられまい。だが黙っていた。伝えれば汚い酷い尾ひれを綺麗に付けて瞬く間に反射して桃源郷にまで広がり、川も枯れてしまうだろうから。どうして枯れる行方を知っているのだろう。どうして行方を知れば知るほど美味しいのだろう。なにか微妙な重なり合いと背反が働いているようだった。複雑な波紋が人為的に重なる池を見ているような心地よさだった。
どこまでもいつまでも淡さが続くようだった。海にありがちなおそろしい波濤は来なかった。桃源郷は海からだいぶ離れて。桃の代わりに、胡麻が桜のように咲いて散っていた。近所では童が小豆を水鉄砲のように投げ合っていた。しかしそれはいずれ染みた黄ばみの風景に変わるらしかった。黄ばみがまるで新鮮なもののように燦々と響いた。小豆や胡麻はセピア色に似ているが、普通のセピア色ではない、しかしセピア色に似た黄色だった。風は南から北にそれとなく吹いていた。
九月一日が風向きの変わり目だった。ほぼ満月に近い月が昇っていたのを思い出した。とうの昔に残暑残暑という暦になっているのに、明日から初めて残暑が来るのだと思う。残暑は真夏にそっくりで、残響は粘っこいのに爽やかで。何につけても、自分の口臭なる口煙が愛する人の口臭のように甘い。全く以て自業自涜である。実際、口臭のような山椒のような芥子粒のような香が長々しき宵闇の末に漂うてきた。最後の最後にまったく爆音を聞こえがちにしながら、単に漂う海辺もどきの雰囲気を失っていない。Aサイズにあるべき雰囲気を体感したのだった。
|BME JUL 11|7 1/2 x 38|coh-hk|$215.90/25|重量:( ??g)|算出:+6|香味:+4|
昨日のホイタスの影響で今日もモンテクリストを試す。Aの予定だったが、時間がない。昨日の今日なのに、私にとって葉巻は時間を惜しむ程度の物らしい。葉巻とはそういうものらしい。葉巻への愛なんて、その程度のものらしい。愛への期待なんて、これほどらしい。そうでない人がいて漸く葉巻は最低限の読み物になるような。だが誰が葉巻に対してそういう若さで居続けられるだろう。葉巻の奥は、きっと浅いのである。限りなく浅い奥。……こうして実に凡庸な文章を書く準備を整えた。
今日も密で良い。煙量は多くないが、煙の味が濃い。さすがに昨日のような抜群の辛味はないものの、少しはピリ辛で、兎に角甘い。空気が綿菓子と化したかのように煙が舌に触れて溶ける。その甘味の香が濃い。葉っぱ感を塗り潰すほどの花と甘味だが、葉っぱも負けじと濃い。あまりの密度に、ともするとキャラメル色に見えかねないが、ナッツ感は薄い。カスタードのクリーム色でもなく、草の緑色でもなく、それらは幽かにあるし、ハバナ葉系統の味ではあるのだが、やっぱり違う。結局、茶と緑青の混じった大理石の鱗粉が混ぜられているのである。
シケモクになりがちな時に、強烈な辛味と強烈な木犀を発した。
結局は時間を磨り減らして吸っているのだが、私の場合はただ逃げている気がしてならない。書かなければならない文章から逃げて、強制的に息抜きをした文章を書いている。書かなければならない文章というのは『蓄音機の説明書』であり、昔は寝る間を惜しんで音楽を聴いていた。今では音楽も煙に似ているが、説明書によると、蓄音機は煙よりも煙たいものなのです。
こうして今日は葉巻に惹かれた理由を書いた。なんだか面倒臭くて嘘くさいがね。ともあれ二日連続で当った。ホイタス以上に絶望的な箱だったので嬉しい。
昨日のホイタスの影響で今日もモンテクリストを試す。Aの予定だったが、時間がない。昨日の今日なのに、私にとって葉巻は時間を惜しむ程度の物らしい。葉巻とはそういうものらしい。葉巻への愛なんて、その程度のものらしい。愛への期待なんて、これほどらしい。そうでない人がいて漸く葉巻は最低限の読み物になるような。だが誰が葉巻に対してそういう若さで居続けられるだろう。葉巻の奥は、きっと浅いのである。限りなく浅い奥。……こうして実に凡庸な文章を書く準備を整えた。
今日も密で良い。煙量は多くないが、煙の味が濃い。さすがに昨日のような抜群の辛味はないものの、少しはピリ辛で、兎に角甘い。空気が綿菓子と化したかのように煙が舌に触れて溶ける。その甘味の香が濃い。葉っぱ感を塗り潰すほどの花と甘味だが、葉っぱも負けじと濃い。あまりの密度に、ともするとキャラメル色に見えかねないが、ナッツ感は薄い。カスタードのクリーム色でもなく、草の緑色でもなく、それらは幽かにあるし、ハバナ葉系統の味ではあるのだが、やっぱり違う。結局、茶と緑青の混じった大理石の鱗粉が混ぜられているのである。
シケモクになりがちな時に、強烈な辛味と強烈な木犀を発した。
結局は時間を磨り減らして吸っているのだが、私の場合はただ逃げている気がしてならない。書かなければならない文章から逃げて、強制的に息抜きをした文章を書いている。書かなければならない文章というのは『蓄音機の説明書』であり、昔は寝る間を惜しんで音楽を聴いていた。今では音楽も煙に似ているが、説明書によると、蓄音機は煙よりも煙たいものなのです。
こうして今日は葉巻に惹かれた理由を書いた。なんだか面倒臭くて嘘くさいがね。ともあれ二日連続で当った。ホイタス以上に絶望的な箱だったので嬉しい。
|SEP FEB 11|4 1/2 x 26|coh-hk|$101.15/25|重量:−2( ??g)|算出:+9|香味:+5|
鼻に刺さる強烈に小気味好い辛味を心地よく鼻で転がしていると(葉巻がそのようにしろと誘ったのである)、強烈に甘い木犀パンケーキが来る。どんどん減ってしまうが、最初の1センチで+5である(これが終局まで衰えない)。油断して計量もしていない。赤ワインも着火前からグラスに注がずにラッパ呑みしていた。
なにかに似ているなと思ったら、ダビドフ・エスキシトスのアタリに似ている。終盤、「草」のように「モンテクリスト」が来る。ダビドフ・エスキシトスと違って、まったく大物を思わせず(大物に飽きたからかもしれない)、小柄な物ならではの威力に興じる。辛い。
葉巻さえ美味しければ飲物に相性なんて無いのだな。
ホイタスの全部がこんなに美味しかったらみんな葉巻を吸っている(と思う)。自分勝手な美味しさを超えている(と思う)。
残念な箱だと思っていたと思うし、もう15本ぐらいなのだが、「ハズレの箱」も「ハズレの多い箱」でしかなさそう。
20分で終ってしまい、美味しすぎて言葉少なになる。
鼻に刺さる強烈に小気味好い辛味を心地よく鼻で転がしていると(葉巻がそのようにしろと誘ったのである)、強烈に甘い木犀パンケーキが来る。どんどん減ってしまうが、最初の1センチで+5である(これが終局まで衰えない)。油断して計量もしていない。赤ワインも着火前からグラスに注がずにラッパ呑みしていた。
なにかに似ているなと思ったら、ダビドフ・エスキシトスのアタリに似ている。終盤、「草」のように「モンテクリスト」が来る。ダビドフ・エスキシトスと違って、まったく大物を思わせず(大物に飽きたからかもしれない)、小柄な物ならではの威力に興じる。辛い。
葉巻さえ美味しければ飲物に相性なんて無いのだな。
ホイタスの全部がこんなに美味しかったらみんな葉巻を吸っている(と思う)。自分勝手な美味しさを超えている(と思う)。
残念な箱だと思っていたと思うし、もう15本ぐらいなのだが、「ハズレの箱」も「ハズレの多い箱」でしかなさそう。
20分で終ってしまい、美味しすぎて言葉少なになる。
未来の人にはパイプをふかすぐらいしかやる事がなくなるだろうのに、どうして未来へ向けて嫌煙なのだろう。しかも煙のない人間どもこそが方々で狼煙をあげているというのに。しかしあえて狼煙をパイプに隠そう。
前回「夏は煙管もパイプも葉巻も不味い」と口疾に書いているが、煙管と紙巻は不味くない。パイプは温湿度が原因かもしれないが、葉巻はおそらく温湿度ではなく風向きが原因なのではないかと思う。私の部屋は南に窓があるので、夏は煙がこもる。冬は綺麗に煙が棚引いて窓の方へ勝手に抜けてくれる。北向きに窓がある人は夏の方が美味しいのではないだろうか。
夏は窓際に扇風機を設置して無理矢理煙を排出しているが、気流が乱れて煙も乱れるし、音が五月蝿いし、どうしようもない。
夏は窓際に扇風機を設置して無理矢理煙を排出しているが、気流が乱れて煙も乱れるし、音が五月蝿いし、どうしようもない。
|OPM NOV 09|184mm x 57|coh-hk|$103.70/10|重量:+2(18.49g)|算出:+6|香味:+4|
夏は煙管もパイプも葉巻も不味いのか。ひょんと夏にはクァバしか合わないと思った。好きな銘柄ではなかったが、こんなところで真新しい一面を見せてくれるなら有り難い。
着火すると美味しい。夏に合うというより、ただ美味しいような。最近毛嫌いしていたカスタードも、この葉巻特有の総体の綿っぽい柔らかい雰囲気にあって水を得たお湯のようである。なんともとっぷりと葉巻に浸かっていられる、のぼせる心配もない。へその部分はこうである。
火種が広がると草などが出てくる。草などもカスタード同様に最近は毛嫌いしている。最近は葉巻の何もかもが嫌いである。
甘い。クァバが一番甘いのだと思う。この甘さが今は嫌ではない。草を和らげるほど甘い。此処で最大口径の部分が燃えた。最初から床屋の雰囲気を忘れていないのもクァバらしい。だがその床屋に架かっている額縁の中に、葉が一枚飾られている。額縁入りの葉ほど美味しい葉もない。
パンチ・クラシコスに似ている。そういえば今日はどうしてもパンチ・クラシコスを吸いたくなって、躊躇した後にクァバに思い至ったのだった。パンチ・クラシコスをクァバのサロモネスで代用するというのはなかなか贅沢っぽくて面白い。
前回のクァバ・サロモネスの記事からほぼちょうど一年、前回残4本で、今回残2本だから、半年に一本の間隔だった。これぐらいの空白があると飽きもこない。これがアタリだというだけの事かもしれないが、サロモネスにはアタリもハズレもない気がする。空白の所為で記憶が飛んだのか、全部こんな感じだった気がする。優しいだけに、三年前後というのは絶妙のタイミングなのかもしれない。
こうしてうだうだと書いていても、なかなか進まない。変化も緩やかで、だが着実に変貌している。
山椒でも吐息でもなく、それらが絶妙な稀薄なスパイスに彩られている。それにしても鼻に抜ける葉の丁寧で香ばしいこと! 優しさが幽かに刺激を秘めている。
煙量は少なく、味は美味しかったので、リカットしたいようでしたくなかった。こういう時にカットしないでいられる人物というのは今時本当に居るのだろうか。
切ると、煙が炭酸のようになった。
三十歳も過ぎると夢のない死期のみが募るものの、最終盤の荒さも穏やかだった。
金銭感覚こそ人それぞれだと思うけれど、これで九百円程度なのだと考えると驚く。
夏は煙管もパイプも葉巻も不味いのか。ひょんと夏にはクァバしか合わないと思った。好きな銘柄ではなかったが、こんなところで真新しい一面を見せてくれるなら有り難い。
着火すると美味しい。夏に合うというより、ただ美味しいような。最近毛嫌いしていたカスタードも、この葉巻特有の総体の綿っぽい柔らかい雰囲気にあって水を得たお湯のようである。なんともとっぷりと葉巻に浸かっていられる、のぼせる心配もない。へその部分はこうである。
火種が広がると草などが出てくる。草などもカスタード同様に最近は毛嫌いしている。最近は葉巻の何もかもが嫌いである。
甘い。クァバが一番甘いのだと思う。この甘さが今は嫌ではない。草を和らげるほど甘い。此処で最大口径の部分が燃えた。最初から床屋の雰囲気を忘れていないのもクァバらしい。だがその床屋に架かっている額縁の中に、葉が一枚飾られている。額縁入りの葉ほど美味しい葉もない。
パンチ・クラシコスに似ている。そういえば今日はどうしてもパンチ・クラシコスを吸いたくなって、躊躇した後にクァバに思い至ったのだった。パンチ・クラシコスをクァバのサロモネスで代用するというのはなかなか贅沢っぽくて面白い。
前回のクァバ・サロモネスの記事からほぼちょうど一年、前回残4本で、今回残2本だから、半年に一本の間隔だった。これぐらいの空白があると飽きもこない。これがアタリだというだけの事かもしれないが、サロモネスにはアタリもハズレもない気がする。空白の所為で記憶が飛んだのか、全部こんな感じだった気がする。優しいだけに、三年前後というのは絶妙のタイミングなのかもしれない。
こうしてうだうだと書いていても、なかなか進まない。変化も緩やかで、だが着実に変貌している。
山椒でも吐息でもなく、それらが絶妙な稀薄なスパイスに彩られている。それにしても鼻に抜ける葉の丁寧で香ばしいこと! 優しさが幽かに刺激を秘めている。
煙量は少なく、味は美味しかったので、リカットしたいようでしたくなかった。こういう時にカットしないでいられる人物というのは今時本当に居るのだろうか。
切ると、煙が炭酸のようになった。
三十歳も過ぎると夢のない死期のみが募るものの、最終盤の荒さも穏やかだった。
金銭感覚こそ人それぞれだと思うけれど、これで九百円程度なのだと考えると驚く。
|LAG FEB 11|170mm x 43|coh-hk|$197.20/25|重量:0(11.46g)|算出:+6|香味:+4|
空吸いしていると、甘さを除いた蜂蜜の香が濃く鼻にくっつく。安い蜂蜜の湿っぽいそれではあるが、安い蜂蜜の湿っぽさと違って葉の湿っぽさに変わっているわけだから心地よい。箱を開けた時も匂いが濃く、兎に角芬々としている。全体的に美味い箱である気がする。
着火一番でガツンと来る。最近不甲斐無い物ばかりだったから爽快である。褐色というのは雑味になりかねないが、褐色の人のバネを感じる。ところが褐色であれ色白であれ中身には同じ血がカスタードクリームのように流れていて、同じ血が流れていない方が嬉しいのであります。味がカスタードに落ち着いてしまうのが怖い。怖くないはずの成分が怖い。もうカスタードには嫌気がさしている。この葉巻だけはせめて雷鳴のように耳を聾するほど刺激的であってほしい。これがそうでなかったら、どの葉巻にそれを求めうるのでしょう。遠雷になりはしても、有り難い事に、雷が止む事はありませんでした。
ここでまだ二センチでした。此処で切り上げようかと思いましたが、もしかしたらこれは凄いアタリなのではないかと思いはじめました。
ですがそのようではありませんでした。どうやら切り上げようかという時が一番思わせぶりだったのです。思わせぶりだったのか、その後に私が何も思わなくなったのか、わかりません。今後私が葉巻を美味しいと感じる事はないのでしょうか。馴れというものはそういうものなのでしょうか。これはこれで間違いなく美味しいというか、8月で一番美味しいのですが。
まったく鄭重な気分です。鄭重な味わいがあったのかもしれません。ですからこれでまだ半分だったのです。間違えて諦めようとしてしまいました。何度も諦めようとしたのです。
山椒というか、山椒のようなものを十個も一時に噛んだような強烈な変化が訪れました。わたくしはもう少女のようです。同時に葉の香ばしさや塗り潰された花などが香ります。少女が言っても「ピリ辛」の、雑味ではない、吸い応えをもって。これぞ葉巻の真骨頂であります。まるで花盛りの木蓮の巨木のようです。花盛りなのにそういう地味な味わいです。未だかつて誰が木蓮を一本吸う事ができたでしょう。夏に春を思う。これこそ一番遠い。一番遠くて一番近いのです。しかしなんという地味な花盛りでしょう。桜などはとっくに散っています。なんと長い花でしょう。川端康成は百日紅やハナミズキやコブシを何処にでもある花と云っていました。確かにマンションのぐるりや県道の際などによく植わっています。木蓮はコブシによく似ていますが、木の大きさが違います。木蓮もよく見かけますが、木蓮は公園にしか植わらない大きさです。まったくなんと云う残暑でしょう。木蓮の巨木が満開です。でもなんで少女が葉巻を吹かしているのでしょう。しかも木蓮の渋さをもって。まったくもう、葉巻おじさんの思いどおりにはなりたくないものです。
空吸いしていると、甘さを除いた蜂蜜の香が濃く鼻にくっつく。安い蜂蜜の湿っぽいそれではあるが、安い蜂蜜の湿っぽさと違って葉の湿っぽさに変わっているわけだから心地よい。箱を開けた時も匂いが濃く、兎に角芬々としている。全体的に美味い箱である気がする。
着火一番でガツンと来る。最近不甲斐無い物ばかりだったから爽快である。褐色というのは雑味になりかねないが、褐色の人のバネを感じる。ところが褐色であれ色白であれ中身には同じ血がカスタードクリームのように流れていて、同じ血が流れていない方が嬉しいのであります。味がカスタードに落ち着いてしまうのが怖い。怖くないはずの成分が怖い。もうカスタードには嫌気がさしている。この葉巻だけはせめて雷鳴のように耳を聾するほど刺激的であってほしい。これがそうでなかったら、どの葉巻にそれを求めうるのでしょう。遠雷になりはしても、有り難い事に、雷が止む事はありませんでした。
ここでまだ二センチでした。此処で切り上げようかと思いましたが、もしかしたらこれは凄いアタリなのではないかと思いはじめました。
ですがそのようではありませんでした。どうやら切り上げようかという時が一番思わせぶりだったのです。思わせぶりだったのか、その後に私が何も思わなくなったのか、わかりません。今後私が葉巻を美味しいと感じる事はないのでしょうか。馴れというものはそういうものなのでしょうか。これはこれで間違いなく美味しいというか、8月で一番美味しいのですが。
まったく鄭重な気分です。鄭重な味わいがあったのかもしれません。ですからこれでまだ半分だったのです。間違えて諦めようとしてしまいました。何度も諦めようとしたのです。
山椒というか、山椒のようなものを十個も一時に噛んだような強烈な変化が訪れました。わたくしはもう少女のようです。同時に葉の香ばしさや塗り潰された花などが香ります。少女が言っても「ピリ辛」の、雑味ではない、吸い応えをもって。これぞ葉巻の真骨頂であります。まるで花盛りの木蓮の巨木のようです。花盛りなのにそういう地味な味わいです。未だかつて誰が木蓮を一本吸う事ができたでしょう。夏に春を思う。これこそ一番遠い。一番遠くて一番近いのです。しかしなんという地味な花盛りでしょう。桜などはとっくに散っています。なんと長い花でしょう。川端康成は百日紅やハナミズキやコブシを何処にでもある花と云っていました。確かにマンションのぐるりや県道の際などによく植わっています。木蓮はコブシによく似ていますが、木の大きさが違います。木蓮もよく見かけますが、木蓮は公園にしか植わらない大きさです。まったくなんと云う残暑でしょう。木蓮の巨木が満開です。でもなんで少女が葉巻を吹かしているのでしょう。しかも木蓮の渋さをもって。まったくもう、葉巻おじさんの思いどおりにはなりたくないものです。
|6 1/5 x 47|cigarOne|$12|重量:0(11.00g)|算出:0|香味:+1|
「一望の野をひた走る楽しさを、私は軽やかな酒のように飲み干す……」
浜に上がった水母のように「ぶよぶよ」と「しわしわ」が半ばした「ぶよしわラッパー」が消えるあてもなく浅瀬を人が泳ぐように巻かれ、赤く黒ずんだ火傷のような冷たい色味が、透明度を隠し、味の激しい濃さを言い訳のようにものものしくもなく物語っている。贅肉老人のようだが、かくいうほど葉巻は太くなく、太った人が痩せた時の皮膚のようでもある。つまりそれほど古くなく。
後々、この不吉和(ぶよしわ)と色味は見事に下手に折衷するのであった。
芋が甘い。安納芋か。もっと、バニラエッセンスでも加えたスイートポテトなのか。スイートであっても期待した強面を完全には失ってはいない。しかしラッパーの色味に距離が比例するような、濃ければ濃いほどハバナがニカラグアに近付くような、単純な国際色がある。ニカラグアという国がもし存在しなければこんな事は感じないだろう。海の上の雑味。
冒頭のジュリアン・グラック『シルトの岸辺』中の「一文」を手本とし比喩の練習をしようと思って書きはじめたのに、どうも巻きが悪いらしく味が歯車の毀れた時計のようにどんどん狂っていく。生来比喩にあまり興味がなく、それゆえ文章が下手で、『シルトの岸辺』を読んでいても十頁毎に眠ってしまう始末なのだが。
「手本」にするほど比喩に目覚めたわけだから、比喩以外の要素が眠気を催すのかもしれない。同様に眠かったのであまり憶えていないが、ブルーノ・シュルツに近い感覚かもしれない。
こういうふやけた暗渠の気分に文豪をしばし巻き添えにしていると、序盤のスイートがまた艶かしくスイートルームで安らがせん為に復帰する。
ちなみに、「手本」の肝を抽出すれば、「楽しさを飲む」という文体であり、これ自体比喩を飛び抜けた、比喩を導出する文体である。あるいは逆に比喩に導かれた文体かもしれない。兎も角「楽しさを飲む」というのは突拍子もない事なのである。どうしてこんな事をわざわざ書くのかというと、私は煙をどうひた走りうるのか未だにわからないからである。
わからないという一点が煙であるはずもない。煙を煙らしく吸収し煙らしく見失っている。どちらかに絞りたいものなのである。それがもし面白ければ。もしそれぞれが別であれば。
「煙は見るものではなく吸うものだ」とは図書館を探しても誰も書いていない。一体このお吸物はどんな丼に合うのだろう。「私という丼に合うお吸物だ」なんて恥ずかしい人しか考えつかないし、その恥ずかしい人には考えつかないだろう。恥ずかしい人を捏造して済む問題ではない。
またすぐに巻きの悪さをふんだんに味わわされたのである。巻きが悪いのか葉が悪いのか私が悪いのかまったくわからない。わからないというのも嘘くさく、一本の煙をひたすら楽しむ苦しさを、私は重たい酒のように軽ろしむ。
「一望の野をひた走る楽しさを、私は軽やかな酒のように飲み干す……」
浜に上がった水母のように「ぶよぶよ」と「しわしわ」が半ばした「ぶよしわラッパー」が消えるあてもなく浅瀬を人が泳ぐように巻かれ、赤く黒ずんだ火傷のような冷たい色味が、透明度を隠し、味の激しい濃さを言い訳のようにものものしくもなく物語っている。贅肉老人のようだが、かくいうほど葉巻は太くなく、太った人が痩せた時の皮膚のようでもある。つまりそれほど古くなく。
後々、この不吉和(ぶよしわ)と色味は見事に下手に折衷するのであった。
芋が甘い。安納芋か。もっと、バニラエッセンスでも加えたスイートポテトなのか。スイートであっても期待した強面を完全には失ってはいない。しかしラッパーの色味に距離が比例するような、濃ければ濃いほどハバナがニカラグアに近付くような、単純な国際色がある。ニカラグアという国がもし存在しなければこんな事は感じないだろう。海の上の雑味。
冒頭のジュリアン・グラック『シルトの岸辺』中の「一文」を手本とし比喩の練習をしようと思って書きはじめたのに、どうも巻きが悪いらしく味が歯車の毀れた時計のようにどんどん狂っていく。生来比喩にあまり興味がなく、それゆえ文章が下手で、『シルトの岸辺』を読んでいても十頁毎に眠ってしまう始末なのだが。
「手本」にするほど比喩に目覚めたわけだから、比喩以外の要素が眠気を催すのかもしれない。同様に眠かったのであまり憶えていないが、ブルーノ・シュルツに近い感覚かもしれない。
こういうふやけた暗渠の気分に文豪をしばし巻き添えにしていると、序盤のスイートがまた艶かしくスイートルームで安らがせん為に復帰する。
ちなみに、「手本」の肝を抽出すれば、「楽しさを飲む」という文体であり、これ自体比喩を飛び抜けた、比喩を導出する文体である。あるいは逆に比喩に導かれた文体かもしれない。兎も角「楽しさを飲む」というのは突拍子もない事なのである。どうしてこんな事をわざわざ書くのかというと、私は煙をどうひた走りうるのか未だにわからないからである。
わからないという一点が煙であるはずもない。煙を煙らしく吸収し煙らしく見失っている。どちらかに絞りたいものなのである。それがもし面白ければ。もしそれぞれが別であれば。
「煙は見るものではなく吸うものだ」とは図書館を探しても誰も書いていない。一体このお吸物はどんな丼に合うのだろう。「私という丼に合うお吸物だ」なんて恥ずかしい人しか考えつかないし、その恥ずかしい人には考えつかないだろう。恥ずかしい人を捏造して済む問題ではない。
またすぐに巻きの悪さをふんだんに味わわされたのである。巻きが悪いのか葉が悪いのか私が悪いのかまったくわからない。わからないというのも嘘くさく、一本の煙をひたすら楽しむ苦しさを、私は重たい酒のように軽ろしむ。
|MES AGO 11|6.5 × 56|cigarOne|$508/10|重量:+2(20.61g)|算出:+0|香味:+2|
二本目。
一口目から味が整っているのはどうしてだろう、大口径の所為か。圧倒的なコイーバの味、しかもかなり甘い。ロブストが当った時の感覚に近い。
序盤は亜麻色一色だったのに(、亜麻色ではなく胡桃色だが、語感では亜麻色、甘い)、緑の翳りが差してくる。だがスネ夫の尖った感じはかろうじて無い。スネ夫のモチーフは草だろう。
それから、けっして良くないものだが、粘土が古い納屋の風情を醸し出す。
これといってBHKらしい涎は出てこない。チョコでもナッツでもなく「甘い岩味」に「草」、正真正銘のコイーバではある。ある種のコイーバに付き物の焦げ臭なりしコクを際立たせる香ばしさというものは感じない。それで甘茶色っぽいのだが、草が刺す。刺しそうで刺さない。草までもが円い。普通は「栗」というものかもしれないが、毬栗ではない。
吸い込みがみっちりしている所為か煙量は少なく、ドロー難という感じはまったくなく、片燃えもなく、上手に静かに燃えている。群を抜く単調さで。これでいいんだ、希望にしろ絶望にしろ、あるものではない。
相性
・赤ワイン(¥6000 タンタラ・ピノノワール・サンタマリアヴァレー ワインも葉巻も勿体ない気がする。それぞれが苦みばしる。ワイン自体も試飲時の方が数倍美味しく感じた) △
・珈琲 ◎
・cote courのチョコレートブラウニー(チョコレートブラウニーとこの葉巻とは魚と赤ワインの難しさがある。血の鉄の味が生臭く暴れるような。店名は「買うてくる」と掛けたのだろうか? 珈琲とこれとはよく合うに決まっているが) ×
後半、突如煙量が増え、煙草感が爽やかに増す。
すると忘れ去っていた木犀をはじめ他の色々な葉巻の美点が美点んとなって噴出する。「美点ん」としか言いようがなく、小学生の吐息も美味しい。
相性
・白ワイン(¥2000 ワイン自体可もなく不可もない味で、こんな白ワインの相性が悪いはずもない) ○
段々前半の味わいへ雰囲気のみ戻り、美点んの宴の後には雑味が残り始める。
珈琲を二時間も飲み続けるわけにはいかないし、私はバーは行かないが、バーで珍かな珈琲風の飲物をいくつも提供してもらうのが良さそう。できれば珈琲ブレンドというものでなく。
ということでシャルルバノー・パルフェタムールとシップスミス・ジンを1対1で混ぜてストレートで舐めてみたら○であった。ジン自体が雑味を美に磨き上げたような味だから葉巻の雑味を帳消しにし、パルフェタムールは良い対照になって葉巻の美点を浮き彫りにする。木犀と菫もそうだが、草が形を潜め、葉の香が際立つ。とはいえ◎ではない。
結局、56はロブストと同じ扱いで良いと思う。よりロブストに近いサイズの52と54はおそらく違う。私蔵の56はロブストが肥大した感じである。
二本目。
一口目から味が整っているのはどうしてだろう、大口径の所為か。圧倒的なコイーバの味、しかもかなり甘い。ロブストが当った時の感覚に近い。
序盤は亜麻色一色だったのに(、亜麻色ではなく胡桃色だが、語感では亜麻色、甘い)、緑の翳りが差してくる。だがスネ夫の尖った感じはかろうじて無い。スネ夫のモチーフは草だろう。
それから、けっして良くないものだが、粘土が古い納屋の風情を醸し出す。
これといってBHKらしい涎は出てこない。チョコでもナッツでもなく「甘い岩味」に「草」、正真正銘のコイーバではある。ある種のコイーバに付き物の焦げ臭なりしコクを際立たせる香ばしさというものは感じない。それで甘茶色っぽいのだが、草が刺す。刺しそうで刺さない。草までもが円い。普通は「栗」というものかもしれないが、毬栗ではない。
吸い込みがみっちりしている所為か煙量は少なく、ドロー難という感じはまったくなく、片燃えもなく、上手に静かに燃えている。群を抜く単調さで。これでいいんだ、希望にしろ絶望にしろ、あるものではない。
相性
・赤ワイン(¥6000 タンタラ・ピノノワール・サンタマリアヴァレー ワインも葉巻も勿体ない気がする。それぞれが苦みばしる。ワイン自体も試飲時の方が数倍美味しく感じた) △
・珈琲 ◎
・cote courのチョコレートブラウニー(チョコレートブラウニーとこの葉巻とは魚と赤ワインの難しさがある。血の鉄の味が生臭く暴れるような。店名は「買うてくる」と掛けたのだろうか? 珈琲とこれとはよく合うに決まっているが) ×
後半、突如煙量が増え、煙草感が爽やかに増す。
すると忘れ去っていた木犀をはじめ他の色々な葉巻の美点が美点んとなって噴出する。「美点ん」としか言いようがなく、小学生の吐息も美味しい。
相性
・白ワイン(¥2000 ワイン自体可もなく不可もない味で、こんな白ワインの相性が悪いはずもない) ○
段々前半の味わいへ雰囲気のみ戻り、美点んの宴の後には雑味が残り始める。
珈琲を二時間も飲み続けるわけにはいかないし、私はバーは行かないが、バーで珍かな珈琲風の飲物をいくつも提供してもらうのが良さそう。できれば珈琲ブレンドというものでなく。
ということでシャルルバノー・パルフェタムールとシップスミス・ジンを1対1で混ぜてストレートで舐めてみたら○であった。ジン自体が雑味を美に磨き上げたような味だから葉巻の雑味を帳消しにし、パルフェタムールは良い対照になって葉巻の美点を浮き彫りにする。木犀と菫もそうだが、草が形を潜め、葉の香が際立つ。とはいえ◎ではない。
結局、56はロブストと同じ扱いで良いと思う。よりロブストに近いサイズの52と54はおそらく違う。私蔵の56はロブストが肥大した感じである。
銘
囹
月