忍者ブログ

  源氏物語「葉」
++葉巻++シガー++レビュー++個人輸入++ブログ

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

|next cigar|$110/25|2017/10/14・arr 10/28|
|—|5 1/8 x 30|3.91g(-0.05g) |香:3.1~3.5 ave3.2|残7|

 寝かせて芳醇化する葉巻なのだろうか。
 つい此間のロイヤルサロモネスによって作られた脳内の染が、近似種の煙粒を拡大して見せるのか、此処に香るはずのない洋酒が漂う。ロイヤルサロモネスでは洋酒が芬芬として馨しかった。
 今日は南方5キロの辺りから雷鳴が三時間以上もつづけて轟き、結局此処には一切雨を降らさなかったのだが、洋酒も延々と近づきつつ、届きはしないような。それとも、雷鳴のおどろおどろしさと同じで、音のように届き、美々しく馨しい。茅色か白橡色である白茶けた葉巻が樽の色気で染め上げられている。
 ロイヤルサロモネスをもし燻らせていなかったら、染は幻を見せなかったかもしれないが、どうも芳醇化しているというのは本当らしい。染は確かに巣食って幻を見せていそうだが、半分だけが幻のようで。
 香味は最良ながら、No.3らしく細さに因るキツさと辛味があり、葉巻自体がどこかせかせかして優雅さには欠ける。暇な家で使う葉巻ではないのかもしれない。せかせかしているコーヒーブレイクなどに使えば辛味もスパイスに変りそうである。

『染』について
 昔、塩を初めて感じた後に、どの葉巻にも塩ばかり感じてしまう時期があった。今はほとんど塩というものをどの葉巻にも見出さなくなっている。塩の他にも色々と同様の連結症が出たことがある気がする。今回の染はこの症状とは違う気もする。
PR
|coh-hk|$194/25|2017/9/27|
|ALO OCT 16|6 1/5 x 47|?g|香:2.8~3.4 ave3.1|残4|

 これはパルタガス中のパルタガスで、他のパルタガスらしからぬパルタガスもまたパルタガスであろうという反論の矢を自分で放つにも、パルタガスにしかない成分がパルタガスの中で此処にもっとも濃いという意味で、小うるさい矢は的を外れる。おおまかに、他の成分が薄いという意味でもある。もちろんこれも葉巻だから、他の成分が皆無にはならない。
 D4、バーニッシュ、ペテコロエス、E、P、ショート、ルシタニア、どれもこれに比べるとパルタのガスが薄い。(ルシタニアの1センチと廃になったラギート1は比肩するかもしれない)
 ただ、こうなるまでに2年半は必要らしい。残4本でようやく直面するのだが、それ以前は、何か、しみったれたような、サザエさんのような、よくともつまらない味に支配されている。日曜の夕方の、休日を大切にしすぎる気持ちを裏切るようなつまらない香気である(学校嫌いな学徒の感覚)。月曜日が休日ではないというだけの理由で、月曜即ち未来の重圧が日曜の今を潰すのである。今は学徒ではないから、サザエさんにも何も感じない。
 要するに2年半で現れたるは明日を生きる芋で、甘藷のようなフレンドリーなものでなく、使い勝手の良い馬鈴薯よりももっと土臭く、ずっと朴訥な、里芋の類の粘る味がする(ルシタニアの1センチならもっと粘りが膨らむかもしれない)。芋もまた、つまらない味わいとも言える。つまらないから、初心者にはきっと向かない。華やかな葉巻に飽きてつまらなくなったら、里芋の需要が増す。此処にあるは里芋の鏡でありながら、鏡は芋くさく曇って、里芋なんぞを葉巻の初めに選ぶような珍妙な人はあまりいない。皆無ではないものたちの明るい膨らみを幽かに覚えつつ、思考というのは暗さから生じるから、思考したい初心者はこれを一番に吸うと良い。(明るさに至った途端、思考停止なので、気をつけろ。)
 これだけなのである。この葉巻、潔い。
|next cigar|$140/5|2017/10/12・arr 10/19|
|—|8.25" x 57|25.52g(-?g)|香:3.2~4.1 ave3.8|残2|

 洋酒に漬けた藁を乾かしたような風味に始まる。
 何度も漬けて、何度も乾かして、計り知れないミニマルな工程を踏むその藁はそのうち消えるのだが、この洋酒云々という要素が独特で、本当に洋酒なのかどうかと問い詰められると、「レイトアワーよりは洋酒っぽい」という不思議な答えを返すことになる。(ダビドフ・ウィンストン・チャーチル・レイトアワーという葉巻は実際に洋酒の樽で葉を寝かせているようですが、この葉巻の葉は洋酒の樽で寝かせられていないようです。)
 この葉巻の独特な美味しさについて、これまで「洋酒」とは書いていなかったと思うものの、今日を含めて三本とも、これと同じ洋酒の独特さの美味しさをずっと味わっていたと思う。
 洋酒の色気を決めるのは樽だから、樽の香味もあるのだろう。クリーム成分が現れるとすかさず樽詰のクリームの風味になる。この『樽クリーム』という珍品の姿を――あの大阪の喫茶店『ザ・ミュンヒ』の最上の樽珈琲ほど高額ではないものの――十分に想像してみて欲しいのだが、とても美味しそうである。樽の上部の蓋を開けて、その開けたての水平な白っぽい上部を箆でバターのように掬い取り、何物かに塗る。塗りたくりたくなるが、ぐっと堪えて吝嗇臭く少しばかり塗るわけである。この味がする。もっともパンに塗りたくなると言いそうになるが、パンの味はしなかった。パンに塗りたくなるなどと言ってしまう人はお調子者の口滑らしである。しかしこの葉巻をくゆらせたのは昨日だから、今朝はこの樽クリームをとてもパンに塗りたい。
 大きな変化は樽クリームの出現ぐらいで、花はぐっと堪えられている。吸い込み難に因るのかもしれない。
 この「白ロイヤル」のサロモネスの吸い込みにやや難を感じるから「青ロイヤル」ではロブストを購入した。今回も吸い込みにやや難を感じてしまう。ダビドフとてもサロモネスを巻くのはそう巧くはないのかもしれない。
 まことにクリームは吝嗇だが、洋酒は延々と安定して続き、ただ爆発しない魚雷で、導火線ばかり長く、照準対象が魚雷より速い。それでもただただ極めて美味しい。素が美味しくて、当り外れ以下の素の、かくも美味しい下地を他に知らない。この葉に巧みな造形や化粧が施された爆発の時を思うこともない。


|next cigar|$64/5|2018/10/21・arr 10/25|
|—|6” x 55|18.76g(-?g)|香:1.8~3.4 ave2.9|残3|

 桜香の葉巻はあるかな、パイプ煙草にはあるかもしれない。春に困惑したら、金木犀を桜に脳内変換すればよいのかもしれない。かるくてふわふわしてのぼせているような煙がよい。柔らかなそよ風なのに桜吹雪の渦が視界を絶つような、それでいて桜餅の葉の塩味と甘い白餡の味がするような。桜並木の川沿いを歩いていると、温泉饅頭の皮のようにハバナ葉の風味が漂い、餡を忍ばせる。餡は桜餡、ほのかで、餡が少ないか、餡に到達していないような、苦しいような心地よいような夢のようなもどかしい甘味がある。餡を囓ったはずなのだがなぁ、だが鼻に抜ける香ばしい桜はなんだ、囓って、噛まずに呑んだかなぁ。房が迫り出して右頬と左頬を掠るよ、花弁が睫毛に刺さるよ、花小径、八分咲、未だ小道は黄土色の葉巻色、ところにより早葉桜の塩味、土が浮く、饅頭の皮が浮く、饅頭が睫毛に刺さる。菜の花香るはうつつにも。菜の花、蜂蜜蠟燭の味して、灯篭灯る、提灯灯る、花提灯、鼻提灯。河原にしゃぼん玉割る子ども居た。しゃぼん玉に煙入れた。暗くなったから今日は帰ろ、明日は夜桜。……翌夜、ケムリの精が現れたのは去年。



今年。

そういえばもう何年も葉巻にダニを見ない。かつては葉巻の箱や葉巻自体に白いダニが懸命に走っていた。COCが元凶だったのだと思う。他店の葉巻にも走っていた気がするが、当時、走っているのが普通に思えてしまうぐらい頻繁だったので、ダニがダニに溶けて、よくは覚えていない。COCは2011年に偽物を摑まされてから使っていない。
ポルトガルで年代物のポートワインを買って、それを帰宅して鞄から取り出した時、木箱に無数の同じダニが繁殖していたことがある。このダニは葉巻が好きなのか木箱が好きなのかわからない。木箱が好きなのは確かだが、いざ葉巻に付くと、床屋のサインポールのように葉巻上をめまぐるしく回転している。
もう何年も見ないので生態は少しもわからない。
兎も角、ダニが居ることは普通のことではないから、普通と思ってしまってはいけない。悪い店で買ってばかりいると、普通に思えてしまいます。総じて悪い店にはダニが居るような雰囲気だ、ということのような気がいたします。雰囲気にすぎませんけれど。……良い店にもダニが居る可能性がある。
|gestocigars|(467CHF+ship36CHF+tax¥13600)/20≒¥3500|2019/3/18・arr 3/25|
|UER NOV 18|165mm x 55|17.48g(-0.31g)|香:2.1~4.3 ave3.6|残19|

 今回から上記項目が変っています。『方式』の項()をご参照ください。

 到着日に着火。

 前々回の話の続きですが、トリプルリングのみを計量したところ、0.31gありました。どうでもよいかな、どうでもよくはないかな。どちらにしてもどうでも良いような気が致します。

 パンチカッターは三日坊主であまり使っていなかったのですが、こういうスカスカらしき重量の物に出くわせば透かさずパンチです。実際、パンチでもスカスカでした。スカスカなものはどう切ってもスカスカで(獄細のパンチがありますが)、きついものはどう切ってもきついです。
 ついでに発表してしまいましょう。ドロー難に関して前々から思っていたのは、『細い筒型の注射針で余分な葉を引き抜く装置』を開発して欲しいなぁということです。日本の下町の職人芸に任せるしかないとしたら、日本の葉巻市場の規模を考えると、いつまでも完成しそうにありません。日本葉巻愛好家連盟で開発案・開発費を負担するしかなさそうです。多少良い特許になるでしょうか。
 一方でハバノスはすべての葉巻の中心部に変な角材を仕込み始めます。これはハバナ葉で出来た角材なので、ドロー難が無い場合は引き抜く必要なし、きつい場合にのみ引き抜いて下さいというものです。

 さて、味は、一口目はおいしげです。それからしばらくは荒んだ空っ風に耐えました。耐えたご褒美はバターキャラメルです。はっきりとモンテクリストの味がするバターキャラメル。モンテクリストの味というものは「緑青や金木犀」を多く含有し、バターキャラメルを引き立てています。バターキャラメル自体、モンテクリストらしい。いや、含有物がバターキャラメルを甘くしているというか、含有物こそがバターキャラメルではない何か素朴な物をバターキャラメルに変えているのです。それでなおバターキャラメルに回収されない緑青と金木犀を残存させて遠景を塗り込んでいる。バターキャラメルの輪郭に重ね塗りが起こって、目を凝らさなければ重ね塗りと気付かせない濃密な雰囲気です。
 かと思えば白い薄荷とでも言いたくなる爽やかな、甘くない風味がくる。ここもモンテクリストらしいです。
 草が絡まって金木犀が消えて蜂蜜に変る、かと思えばより官能を増して金木犀が蘇ってきます。豪華ですから、土などは潜まっていますが、たしかに下の方に土壌のコクがあり、非常に柔らかく肌理細かい。
 さすがに時差ぼけで暴れる部分もあるのですが、到着日の睡眠不足でも魅力を隠しきれないと言いますか、肥えた女王の風格です。葉巻の火種をもってマリーを火刑に処している気がしてくる、ということはないのですが、これは大人のお菓子です。
 途中、片燃えして鎮火すれすれになってしまいました。追火によりまた美味しくお菓子をこんがり焼けるようになりました。大人なお味でありながら、お菓子を焼く少女のような気分です。今日のお菓子は成功です。ごほごほ。しっぱいしたかもしれません。ごほごほ。今日は焼けば焼くほど失敗したかもしれません。なんで最後の最後に焼けば焼くほど失敗するのかしら。ふつう上達するものでしょう? これが一度成功したお菓子職人の奢りかしら。かくしてお菓子職人のわたしはいっとき高ぶったのでありました。
 今日はキャラメルバターを中心に考えてみましたが、最期はまるで落武者の猛者の土左衛門が生きて岸辺を上がって干上がったかのような、ほとんど珍しいほどの荒さが痛快なほど出ました。これはこれで快感なのです。
本日3/27より、表記項目を変更致します。

・重量点を削除
・算出点を削除

上記欠損を補うため、

・香味点を精細化

香味点の変則グラフに、銘々、重量や価格を対置させ、価格対満足度など判断なされるものと思います。

なお、弊社ではいわゆる「個人の嗜好」、各人てんでバラバラと思われがちな味覚や記述はある程度一点に収束するものと考えております。個人の異様な嗜好に関しては、是非にその収束点から脱出したいと考えております。脱出できるものならば。
・レイエンダが到着しました。
 到着報告というのは何か人気記事になりそうなのですが−−私は人様のブログの到着報告を覗くのが大好きです−−今回は到着を兼ねて変な話を思いついてしまったのでご報告致します。読む価値は大いにありません。
 私が原チャリで西へ走り始めるや否や、私の荷物と思われる段ボールを自転車の前カゴに詰めた郵便局員とすれ違いました。郵便局ショッカーのような怪しい制服を着ています。Uターンして追い詰めますとびっくりして自転車が転倒してしまいそうでしたので、そのまま東へ追い抜きました。先回りしてバイクを止め、ショッカーがマンションのエントランスにて自転車を降りるのを見計らってから、妖しく近づき、へこへこ話しかけますと、びっくり、案の定それは私のです。「それは私のです」と言いました。ショッカーも酷く仰天されてましたので、積極的に免許証を見せて、道端で税金を払って段ボールを受け取りました。
 家に段ボールを放り投げ、またバイクで西へ出かけました。開封は用事を済ませてからです。もちろんしばらく経つと私は東へ帰宅しました。
 さっそく乱暴に段ボールを開けますと葉巻箱がなんと死体のようにサランラップに包まれて、気密性が極低そうでしたが、ラップに始まりビニールやら包装紙やら紙箱やらベロア包みやらをマトリョシカのようにどんどん開けていきまして、最後に木箱を開けてしまいますとそこには小さなボベダが入っていたので一安心といったところです。
 本題はここからです。税金は道端にての見栄がなければ出し渋るぐらい高額で、みっちり13,600円(たばこ税5400/関税4900/消費税3100/手数料200)払いました。財布にはなんとも珍しく15000円も入っていたのです。
 「金額をきちんと書いて送ってください」とこちらからわざわざ言わなければ20ドルぐらいの表示で送ってきてしまう悪徳業者ばかりはびこる世の中ですが、今回の店は何も言わずに「467CHF・411g」とちゃんと書いてくれました。
 本当の本題はここからです。どの店もそうですが、悪徳業者までもがそうであるのが不思議なのですが、どうして重量だけは余計に多く書くのでしょう。411gですって。自分で申告するとしたら、この箱の場合、340gで申告します。前回、一本灰化させたレイエンダは重量18.31gで、トリプルリングを付けたままでの計量でしたから、葉っぱはもっと軽い。中には葉っぱ17gを切る物もありそうです。何かハバノスの発表値というものがあって、どの店もそれに倣っているのでしょうか。そうしますとけち臭いハバノスが葉っぱを抜いていることになる。
 なんとここからが本物の本題なのですが、たばこ税はトバッチリで本当に阿呆みたいに上がっています。差額七百円ぐらい、差額七百円ぐらいとても、どうせなら阿呆どもの額に投げつけてたんこぶを付けたいというものなのです。と申しますのも、税金というものは「十円の物のみを二十円にする」だけで良いのであります。五円チョコは五円(もう五円じゃない)、うまい棒は二十円、キャベツ太郎は二十円、よっちゃんいかは三十円、このように、うまい棒など十円の物にのみトバッチリを喰わせれば良いわけです。うまい棒の買い代はどうせ親からもらった金ですし、未来のある子供たちに税金の感覚をタダで植え付ける狙いがあります。その子供たちからトバッチリのない名案が生まれてくるのであります。この子供たちを「税金棒世代」と言います。子供の策を俟たずとも、製菓会社がお国のためを思ってこぞって10円菓子に注力し始めること請け合い。ご静聴ありがとうございました。
これにて600記事目です。600すべてが残っていはしない気がしますけれど。
音楽評論などしていた頃はわりと頻繁にメール類を頂いたものですが、弊ブログはmail formを設置していながらにして啄木鳥も突かない閑古鳥です。どうも音楽と葉巻ではまるで人々の趣向が違うらしく、此処は段々と島の幅が狭まって、絶海や陸の孤島というと格好佳いものですが、とうとう池石が池に沈み、閑古鳥もが絶滅危惧種になりそうな予感が致します。
つい先日購入したレイエンダの箱が今頃空を飛んでいるところです。
ばいなら。

バイナラとはなんでしょう。レイエンダをばいなら。レイエンダを買ったならという事でしょうか。さようならという事でしょうか。左様、「ばいなら」が『バイノーラル・サウンドシステム』であちこちから聴こえてきます。あちこちからさようなら。あちこちにさようなら。
つい先日購入したレイエンダの箱が今頃空を飛んでいるところ。

……期待と死がまぜこぜのようで、フランスの作家、シオランを思い出します。
|MUR OCT 13|6 2/5 x 54|coh-hk|$156/10|重量:+2(19.05g)|算出:+5|香味:+4|計11点|

 優しさに懐かしい味わい。何を懐かしむのかはよくわからない。
 葉巻を使って居ながら葉巻を懐かしむ、これは普通の懐かしみ方で、久しければ起る。久しくもない藁置場が懐かしいとかいう方がやや普通でないのだが、たしかに此処には前者の懐かしさがあって、ただ、それがどの種の葉巻なのか、ぼやけている。そこがあまり普通でない。音楽が聞こえて、これ誰の曲だったっけ? というもどかしさぐらいのものだろうか。
 それより、購入時からだいぶ経って、すっかり広大な荒野が消えている。穏やか。やや土。初めてボリバーを試した頃の靴屋の風味を懐かしんでいるとしても、いまいちピンとこないが、広がっているのは広大な靴屋かもしれない。
 味が濃くなると、美味しさも華やかだが、同時に安っぽい風味も含まれてしまう。緑豆もやしとか、胡瓜とか、そういったもの。しかし丁寧に漉したような滑らかな土が、土自体が、連綿たる風景を示唆するように、軽く舞い上がって、目隠しする。軽い土を浮き上がらせた軽い風が止むと艶やかな金木犀が立つ、と木は粉化して土と花の粉のみ。粉に隠れた鮮やかな景色は自室である。
 モンテに似て(胡瓜等)、土の質感もそっくりなようで、青いような空色も見えるが、ナッツキャラメルが無いのか、相違ありと思う。モンテを懐かしむのだろうか。相違が懐かしみを濃くするのが葉巻なのだろうか。これを美味な事とするなら、この葉巻の塩梅は絶妙の精妙で、しかし煙のこと、この言っていることはそもそも奇妙で、あっけらかんと正しさを欠く気が充満している。
 箱で購入した物が残一本となるとなかなか着火し難くて、残一本の葉巻ばかりを集めて並べた箱がある。ちょうど隣にモンテのスブリメが眠っていた。スブリメの夢が乗り移ったような気はやはりする。しかしスブリメの味は夏のココナッツの思い出であるしなおリミターダらしく水っぽい無味感のあるものだから、結局当て嵌まらない。スブリメが失いがちな記憶が此処にあるとしたら面白い。
 5年弱で荒野が消えて面白さが半減した気もする。落ち着くということも負けず面白いが、葉巻の自宅熟成というのは、醤油の発酵や、シェリー酒のような経年変化は起こらない、これは少しつまらない。軽くて、落ち着いて、葉巻とはかくあるべきというふうな、普通の、良い葉巻にはなっている。
 終盤、揮発性物質が香る。すると一気に土が革にへんげし、靴屋が蘇る。靴屋には靴墨の類など何かしら揮発性の物が置かれているからか。前段を踏襲して景色遠景まで広大ながら、なんとも身近な足元である。
 靴も束の間、終盤らしく燃え、ホットで、灰化し、なお花の色が乗る。素晴らしく儚い。

忍者ブログ [PR]