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|5 3/4 x 46|Famous Smoke|$10.26|+4|+3|
手に取ると密度感があって重い。指触りも重さの所為かしっとりしている気がする。細いが、イカめしのように張り切っている。ラッパーはそれでも薄そうだが、密着して剥がれる気配がない。本当に湿っているのか火が点きにくい。
始めはかなり辛い。始めから甘い草が辛い。吸い込みはタイトだがこれも絶妙で、引き締まっているという感じがして難がない。弁解するのだが、「これは」ではなく「これも」というほど美味しくて、はじめから何が「も」なのかというと凡そ次のとおり。味も濃く、他に何が濃いのかもわからないのだが、フルボディかもとも思ったが、紙巻きの要領で吸い込んでみると驚くほど咽越しが良いも、力強いのに滑らかで優しい。少し進むと木質の香りも出てくる。全然違うに決まっているのだがシャルトリューズを思もい出した。草が甘もいというだけでそうなのだからどちらも相当草もが甘いのだろう。他に草が甘いなんてものは存在しないのだろう。木もクリーミーさもないのに柔らかい。序盤の終わり頃、少しレモンサイダーの風味。酸味というか炭酸感が爽やかというか刺激的というか、そんなものが出てきても美味しいまま。飽きないほど美味しかったのに、殊更に飽きさせない料亭のような妄執した気配りである。あんまり美味しいので殿様のような気持ちになっているのだろうが、気配りを感じるぐらいだから殿様ではないのだろう。中盤も中程になると木に焦げ目が入ってくる。その時に樹液が沸くようでこれまた美味しい。昆虫の気分というのはこんなのだろう。
美味しいのを作ろうと考えれば作れるという証明のような味わいで、特徴はなく、平凡な枠の中で極限まで旨味を凝縮したような。誰が何を平凡とするかはわからないけれど、たとえばフエンテのヘミングウェイのように海が焼けるというのは五千年前の話だし、コイーバがコイーバだとわかる岩味や、ダビドフのうすら茶色い白さなどがない。どちらかといえば不味かった葉巻群に似ているのである。
中盤の終わり頃に再び吸い込んでみたら噎せた。フルボディに近くなっている。若干いがらっぽくなっているが、ほとんど勘違いで、依然美味しいまま優しさはあまり失われていない。ただ中盤以前ほど美味しくはない。
終盤に入ると栗林に踏み込んだ風情に、栗林は霧深いのに、乾いて染みた木の味わいがする。雑味は強まっていず、まだ甘さが長引いている。草叢はなりを潜めて、散らした香草のように乾いている。風はない。それがどんよりと旨味を停滞させているのである。旨いからこそ無風に感じるのだが、上にや下にや風が吹かないのである。次第に旨さの所為でつらくなってくる。家出に似て、こういう旨さはこれ以上は要らないと思わせるぐらい旨い。かと思えば残り6センチほどで葉巻の生気が失せていた。丁度良い頃合い。その後、煎茶をカブ飲みした。
手に取ると密度感があって重い。指触りも重さの所為かしっとりしている気がする。細いが、イカめしのように張り切っている。ラッパーはそれでも薄そうだが、密着して剥がれる気配がない。本当に湿っているのか火が点きにくい。
始めはかなり辛い。始めから甘い草が辛い。吸い込みはタイトだがこれも絶妙で、引き締まっているという感じがして難がない。弁解するのだが、「これは」ではなく「これも」というほど美味しくて、はじめから何が「も」なのかというと凡そ次のとおり。味も濃く、他に何が濃いのかもわからないのだが、フルボディかもとも思ったが、紙巻きの要領で吸い込んでみると驚くほど咽越しが良いも、力強いのに滑らかで優しい。少し進むと木質の香りも出てくる。全然違うに決まっているのだがシャルトリューズを思もい出した。草が甘もいというだけでそうなのだからどちらも相当草もが甘いのだろう。他に草が甘いなんてものは存在しないのだろう。木もクリーミーさもないのに柔らかい。序盤の終わり頃、少しレモンサイダーの風味。酸味というか炭酸感が爽やかというか刺激的というか、そんなものが出てきても美味しいまま。飽きないほど美味しかったのに、殊更に飽きさせない料亭のような妄執した気配りである。あんまり美味しいので殿様のような気持ちになっているのだろうが、気配りを感じるぐらいだから殿様ではないのだろう。中盤も中程になると木に焦げ目が入ってくる。その時に樹液が沸くようでこれまた美味しい。昆虫の気分というのはこんなのだろう。
美味しいのを作ろうと考えれば作れるという証明のような味わいで、特徴はなく、平凡な枠の中で極限まで旨味を凝縮したような。誰が何を平凡とするかはわからないけれど、たとえばフエンテのヘミングウェイのように海が焼けるというのは五千年前の話だし、コイーバがコイーバだとわかる岩味や、ダビドフのうすら茶色い白さなどがない。どちらかといえば不味かった葉巻群に似ているのである。
中盤の終わり頃に再び吸い込んでみたら噎せた。フルボディに近くなっている。若干いがらっぽくなっているが、ほとんど勘違いで、依然美味しいまま優しさはあまり失われていない。ただ中盤以前ほど美味しくはない。
終盤に入ると栗林に踏み込んだ風情に、栗林は霧深いのに、乾いて染みた木の味わいがする。雑味は強まっていず、まだ甘さが長引いている。草叢はなりを潜めて、散らした香草のように乾いている。風はない。それがどんよりと旨味を停滞させているのである。旨いからこそ無風に感じるのだが、上にや下にや風が吹かないのである。次第に旨さの所為でつらくなってくる。家出に似て、こういう旨さはこれ以上は要らないと思わせるぐらい旨い。かと思えば残り6センチほどで葉巻の生気が失せていた。丁度良い頃合い。その後、煎茶をカブ飲みした。
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