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  源氏物語「葉」
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|next cigar|$64/5|2018/10/21・arr 10/25|
|—|6” x 55|18.27g|香:4.0~4.5 ave4.3|残2|

 この太い葉巻は埃っぽさや茸っぽさが少なく、そういう皮を八割がた剥いだようで、中身ぼうぼうとして花やバターなどを燃やす。語弊あるが、煙草らしさは薄く、煙草らしからぬ要素が豊富。濃いというより、豊富である。皮は残りの二割をも削げば、初の『BHK52』に感じた「金の筒」となるわけである(あれはもう金色そのもので葉巻ではなかった)。二割の皮がなめしすぎたなめし皮を纏って二重羽織って香ばしい。中身ぼうぼうというのは、太いリンゲージに因るらしい。
 熟れきって酸味が旨味に転化した芳醇なパイナップル、にもかかわらず何処かしら青臭さが残るのはメロンだろうか、瓜系であるのは間違いない。バターもはっきりしているために、まったり系果実を思い浮かべもするが、謎のまったり系果実である。これらがすごく安定して持続している。
 あとは気分さえ香味に合致すれば、ハバナで喩えるところグランレゼルバ級の物と思えるだろう。馴れたダビドフ香が中身にもあるので頭がダビドフを認識してしまうが、もしハバナでこの煙が出たら吃驚仰天の満点必至である。せめて皮だけでもブエルタアバホ産に貼り替えたらどうだろう。ダビドフである事が、良いのか良くないのか分からなくなる。というのは、ダビドフが一人でハバナと戦っているからで、交互に着火すると、ハバナが色々なブランドで八方から攻めくるに対し、ダビドフは一ブランドで拮抗し、日に日に五割がダビドフでは飽き飽きしてしまうのである。それが、ここではダビドフらしさを薄めたダビドフがあるばかり。中身もダビドフっぽいとは言ったが、これはより美味しげな方へ脳内変換できる。
 突如、バターでソテーした豚の旨み。「焼いた」というと焦げ臭いが「ソテー」に焦げはないと思いたい。それでいてバターは狐色化して香ばしく。
 だいぶ美味しいのに、どういうわけか後半ますます美味しくなる、豊富なまま濃くなる、ぼうぼうとした天国は、雲に乗るようだ。子供をなめた嗜好で言えば、子供らしく、カレーライスとか、スパゲッティとか、好きなものをひたすら詰め込んだような喜びに溢れ、そう単純かと思えば根本が複雑で、単純と思うほどにかえって琥珀を目に埋め、至近に煙草葉の深みが実感されてくる。透明な物の中に入り込む事で、その中にある透明でない物が見え始める。
 終盤で現れる微かな焦げの風味も洗練されている。そこに現れる鼠色の油粘土臭さまで深い。
 甘さは強くないものの、始終甘やかである。
 ダビドフの灰はポロポロと崩れやすいが、この灰は脆からず、5センチは耐える。灰がズドンと取れると、現れる火種は理想の榛名山である。榛名を臨むに、香味のほうが吸うタイミングを適切に整えてくれていたようだ。燃焼の良し悪しなどあまり考えた事が無かったが、燃焼は満点である。満点を一度でも感じる事がなければ、そもそも点数制度など発現しないのかもしれない。今日をもって燃焼の良し悪しの基準があらわになる。味の方が人の呼吸を整えてくるのである。対して香味の基準は永遠に不明なのかもしれない。
 終盤は軽い刺激を伴うスパイスがふりかけられ、シナモンを使った軽やかな焼菓子のパフを食感もろとも味わえる。よく考えれば胡椒とシナモンの間の子のような、現存しない、新種のスパイスを見る。当然焼菓子というものバターもふんだんで、バター程度の塩気をも伴う。ほぼ無塩バターに近い。
 瓜は消えて草となり蜂蜜となる。
 皮はいつの間にか茸からナッツ感に変っている。最良の大トロにある、まるで魚らしからぬナッツ感をも思い出す。やがてナッツが木に返る。
 以上、全編に金木犀が咲いているのだが、不思議と金木犀という言葉が出ない。花は常に別の姿に見事変げして二十四面相で蠱惑する。ただ最終盤だけは金木犀として実態を現しつつ散る。散ってなお芳香豊かで散り敷いた寂の芳醇を呈する。花の絨毯に覘く幽玄な土。なんとも自然である。残2センチ付近、弱き荒さに抗して芽生える緑がある。
 紙箱5本入りのゴルフシリーズがこれほどまでとは思いもよらず、ゴルフ場で楽しむものではなさそう。
 いずれにしても今日の一本はグランレゼルバ級である。にして安い。ただ、微かなりとも平凡なダビドフ感が感動の邪魔をする、こういう贅沢があるかもしれない。
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