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  源氏物語「葉」
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|NextCigar|$740/10|arr 2018/8/9|
|—|5.5” x 55|18.79g|香:3.6~4.0 ave3.8|残7|

 「雨の夜の効能」という有益なものがあるかもしれないので(とりわけ最近の長雨は湿度が高い)、大物である『ダビドフ・青ロイヤル』に着火した。

 埃や黴にも似た、いわゆる「ダビドフ茸」の風味がする。いつもは白トリュフめく白っぽい茸だが、これは黒トリュフのようで、いわば「ダビドフ黒茸」である。トリュフの場合は白の方が稀少でも、ダビドフ茸は黒の方が稀少らしい。リアルエスペシャル“7”で極まるブレンドの妙の物珍しい香りや、『白ロイヤル』がくゆり上げる特別な芳香などがないのだが、そもそもが高価なダビドフ茸であるし、『青ロイヤル』ゆえ黒いという感じがする。初めてのブラックであるにもかかわらず、どうしてか珍しい感を覚えず、煙に羽が生えていないような、「あの世」への渇仰というより「この世」に未練タラタラでしがみつく類の美味なのである。それにしても、3本目にしてようやく、だいぶはっきりと正体を現してくれたように思う。
 序盤、煙は実際の軽さに比してキツさを感じさせる。それでも早々、大変な甘さが乗ってきつつある。微かながらしっかりした甘さが複雑大変な甘さへの期待を高める。
 黒茸たちの中央に古びた味わいの大樹があり、樹命の世界、大樹にして未だ若木なのか、樹皮から豊潤な甘さを放ちつつも、矛盾するように、みずみずしく乾いた白木の矢をも放ってくる。老人というほどこなれず、豪奢な若者じみてぷりぷり粋がり海老のようにしゃちこばっているところがあり、(全然関係ないが、人間ではない生物はいつも大変スタイルが良い。たとえば海老はみな尻尾長く脚短い個体などないのに、こと人となればスタイルの良い人は非常に珍しい。海老の目からすれば逆に人こそ皆スタイル良く、かえってダサい海老が海中街中を数多ぷりぷり闊歩しているのであろう。あのヒゲのひょろ長い海老は若海老を剥き海老にしたいと思っているのであろうか。)成金老人のふりをした若者という、この葉巻以外にはほとんど存在しないような、比喩を絶する葉巻である。樹皮を剝いて裸にすると確かに若い白木が見え、ここが不思議なのだが、とくに白くもないのだが、大樹を支えているとは思われないほど質が軽い。矢が刺さってもあまり痛くないような性質がある。異様な光景を目の当たりにしていることを漸く悟るのである。
 どうして発砲スチロールのような幹が、上空に聳える大樹を地に叩きつけないか。どうして花のない木の幹から花が匂い立つのか。上空は鬱蒼として暗い。けっして晴れやかな葉の裏でない。そもそも新緑時代から茶色い葉が、常盤木のように紅葉時節にも落ちずにいる。途端に幹が呼気を吐き、南国の、ココナッツか何か、アニスか何かのニュアンスを暖房器具のように吐き出した。ダビドフ黒茸がちょっと騒いで生きたツチノコのように下草に潜り込んだ。剥がした樹皮がアナログレコードを左回転させて幹に戻って張り付いた。
 軽いのか重いのかをわからせない芳香に追い詰められて直立不動で彷徨わせる、全くそのような感じなので、この木は重力への反逆を明らかにするなどと誇大解釈してしまう。重力のみならず時間をも玩弄している。
 煙に小刻みな膨らみが出てきたことは、明らかな誇大以上に是認するところである。時間の玩弄に次ぐ容積の玩弄で、ヒトの頭大の綿飴をヒトが一口に頬張ったにもかかわらず濃縮はされずほとんどが綿のまま口から逃げていってしまうようなのである。繋がりも意味不明ながら、全ての香味が一体化したということなのかもしれない。
 芋の味がしたわけではないものの、ふと芋が恋しくなった。木が芋を呼ぶ、そう私の手足を操ったのかもしれない。
 今日の雨の日に植物が水を欲するわけがないのに、ちょうど近くに『萬膳庵』なる庵があったので、私はすぐさま取って来て、木に芋焼酎の湯割りを掛けた。途端、糊塗した樹皮の割目から早回しのごとく金木犀が生えてくるかと思いきや秒を待たずに満開となった。しかし湯割りが木のえぐみを増すようであり、一方、木がお湯のえぐみをも増すようであった。それでも花は知らんぷりで咲き続けた。芋をお呼びでなかったのか、芋を呼ばれたのか、これまた区別に難儀する。
 雑味を立たせぬ効果においては、この木に備えて水筒で持参した白ぶどう酒の方が覿面である。(エチエンヌ・ソゼ作の下っ端の2017年、下っ端でも凛々しく美味である。)もちろん白ぶどうは黒木に殺される。アラン・ブリュモンの黒ぶどう酒などの方が合うのかもしれないが、黒ワインは木に呼ばれなかった。木は他者を殺して自分の養分とするみたい。
 いつ帰るべきかわからないまま、おもむろに腰を上げるまでくすぶっていると、伽羅に似た香木が漂う。加えてえてして飄々と顔を出すなんらかの味わい深い爽やかな風味がある。樹皮が甘やかにシナモン化し、今になってお菓子をもって別腹をそそるような。ここに至るまで、所期の甘さへの期待は肩透かしを喰らっていたのであった。
 最後の部分と序盤の記憶に後ろ髪を引かれつつも、妙に私は冷たいままだった。木を蹴って帰りたい気がする。
 後ろ髪を引かれるまま逆らわず木の前に佇む。早々に朽ちそうな気もしていたが、今日の木は蹴っても蹴ってもそそるらしい。でも後ろ髪程度のものであった。後ろ髪を引かれて戻るという行為は、「帰る」理由を思いつかない人の、事務処理に過ぎないのである。そそるものがそそるまま、そそりつづける。

 もう一年、もう二年待てば急成長するとみる。一年に一本のペースに下げようと思う。もうじき新年だけれど、次はまた来年の末頃に着火したい。リリースされて何年か不明(2016年12月20日発売.日本)で、リリース後に巻き続けられているのかも不明ながら、およそこれは現在巻かれておらず、現在既に三年物とみえ、確実に良くなってきてはいると思う。リリース当初の評価の低さ(?)は頷ける、とすればどうして五年寝かせず出したのか。各ご家庭で美味しくなることを見越して出したのか、それともフレッシュロール時点では美味しかったのだろうか。『オロブランコ』をいつ燃やすべきなのかをこの『青ロイヤル』の不遜さから導出できないものだろうか。青ロイヤルの性質からして、オロブランコにも現在あまり期待が持てない。
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