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|GKI NOV 04|4.9 x 50|coh-hk|($98/5→$0)|重量:+0(13.86g)|算出:+5|香味:+4|
昨夜に続き、これも巻きが堅く、また同じく空吸いしていると薬箱。
ラッパーは5本中一番黒い。
着火してもやはり同じく古き佳き味がするが、コロラドマデューロのマデューロっぽさが堅く有ってしまう気がする。醤油の染みのような感じ。雰囲気は昨日のモンテに驚くほど似ている。
だがもっと、青緑の霧に遮られずに花や緑やカスタードなどがはっきり濃くなってくる。そして醤油の染み、醤油の染みが消える訳がない、だからクリーニング屋にもいかない、同じ一室に留まるような風体を見せる。
淡さは遮られ、強くなり出す。平凡の高級品か、ぐっすりよく寝た葉巻の元気さという感じである。これでもかと迫り出しそうなのに、未だにホヨーに惹かれた事がない。と、一口、黒いまでに木に染み付いた花の染みが香り出す。それが一口だけで、次にはそれをカスタードが和らげる、だが醤油の染みは消えない。きわどい変化の妙も美味しい。けれど、「青緑」や「岩」というような独特の魅力にはずっと欠けるのである。
欠け尽くした素朴さが良い人には良いのに違いないが、私は以前ホヨーに「赤十字」という独特のものを与えたにもかかわらず、ここではそれさえ醤油に遮られている。各醸造所の醤油を嘗め比べるのが好きであるにもかかわらず、ここの醤油はいっそクリーニング屋に出してしまいたいような醤油なのである。こうして文句を書き連ねそうになっていると、甘美な柔らかすぎるような甘さが来た。
だが醤油は消えない、柔らかすぎるものが一口で終ってしまう。小さい雲の影のように美味しさがよぎる。美味しさがかえって危険を孕んで、陽光を欲する寒空の下にあって雲の下の方が美味しいのである。太陽が嫌いなのかと錯覚してしまう。木漏れ日が暖かく差す事がない。要するに、薄陽が美味しいのだろうか。つまり始終美味しいのだろうか。たまに一口美味しすぎるようになると、薄陽が怖いのだろうか。確かにそうらしく、美味しいに違いなく、終盤に至っては葉の滋味深ささえ感じるが、「青緑」や「岩」の分かり易さはない。それはないが、出来の良さでは昨日よりこちらが上ではないかとも思う。偶然稀に美味く巻かれ、丁度美味しく熟成した葉巻という感じがする。なんだか達観の葉巻である。というのも、これだけ文句を書かせておきながら、終盤筆舌に尽くし難く、「純粋な葉巻」というものがもしあれば、この滋味深いまろやかな荒々しさの事であるかと思われた。荒くなってこそ静かだったのである。しかも実は、終盤ではなく後半だったのである。終盤といえば残り三割ぐらいなのに、残りは五割だったのである。大体焦り症の私などは中盤を終盤と言っている事がよくある。
クラシカルな雰囲気でこういう美味しい物を外れなく巻けるなら、燃え尽きないほど葉巻を買おうとも思う。たったの一本で判断せざるをえないが、セレクションをもう一箱買っても大ハズレはしないと思う、したがってレギュラー物は故意にハズレを巻いている事になる。しかも故意に二十五本の中に一本だけ当りを仕込んでいそうという事にもなるのである。本当にそんな芸当が可能なのか分からないが、ハバノスにはそうやって葉を分配する目利きが居るらしいのである、夢のような話だが。しかし日本酒だって全てが大吟醸酒であるのではないのである、これと同じような事だろうか。当り外れというより、大吟醸葉というものぐらいなら作ろうと思って作れるのか。しかしレギュラー本醸造酒に稀に大吟醸が紛れるのはどういう訳なのだろう。最後にふと赤十字の香がした。ビオフェルミンのような。
昨夜に続き、これも巻きが堅く、また同じく空吸いしていると薬箱。
ラッパーは5本中一番黒い。
着火してもやはり同じく古き佳き味がするが、コロラドマデューロのマデューロっぽさが堅く有ってしまう気がする。醤油の染みのような感じ。雰囲気は昨日のモンテに驚くほど似ている。
だがもっと、青緑の霧に遮られずに花や緑やカスタードなどがはっきり濃くなってくる。そして醤油の染み、醤油の染みが消える訳がない、だからクリーニング屋にもいかない、同じ一室に留まるような風体を見せる。
淡さは遮られ、強くなり出す。平凡の高級品か、ぐっすりよく寝た葉巻の元気さという感じである。これでもかと迫り出しそうなのに、未だにホヨーに惹かれた事がない。と、一口、黒いまでに木に染み付いた花の染みが香り出す。それが一口だけで、次にはそれをカスタードが和らげる、だが醤油の染みは消えない。きわどい変化の妙も美味しい。けれど、「青緑」や「岩」というような独特の魅力にはずっと欠けるのである。
欠け尽くした素朴さが良い人には良いのに違いないが、私は以前ホヨーに「赤十字」という独特のものを与えたにもかかわらず、ここではそれさえ醤油に遮られている。各醸造所の醤油を嘗め比べるのが好きであるにもかかわらず、ここの醤油はいっそクリーニング屋に出してしまいたいような醤油なのである。こうして文句を書き連ねそうになっていると、甘美な柔らかすぎるような甘さが来た。
だが醤油は消えない、柔らかすぎるものが一口で終ってしまう。小さい雲の影のように美味しさがよぎる。美味しさがかえって危険を孕んで、陽光を欲する寒空の下にあって雲の下の方が美味しいのである。太陽が嫌いなのかと錯覚してしまう。木漏れ日が暖かく差す事がない。要するに、薄陽が美味しいのだろうか。つまり始終美味しいのだろうか。たまに一口美味しすぎるようになると、薄陽が怖いのだろうか。確かにそうらしく、美味しいに違いなく、終盤に至っては葉の滋味深ささえ感じるが、「青緑」や「岩」の分かり易さはない。それはないが、出来の良さでは昨日よりこちらが上ではないかとも思う。偶然稀に美味く巻かれ、丁度美味しく熟成した葉巻という感じがする。なんだか達観の葉巻である。というのも、これだけ文句を書かせておきながら、終盤筆舌に尽くし難く、「純粋な葉巻」というものがもしあれば、この滋味深いまろやかな荒々しさの事であるかと思われた。荒くなってこそ静かだったのである。しかも実は、終盤ではなく後半だったのである。終盤といえば残り三割ぐらいなのに、残りは五割だったのである。大体焦り症の私などは中盤を終盤と言っている事がよくある。
クラシカルな雰囲気でこういう美味しい物を外れなく巻けるなら、燃え尽きないほど葉巻を買おうとも思う。たったの一本で判断せざるをえないが、セレクションをもう一箱買っても大ハズレはしないと思う、したがってレギュラー物は故意にハズレを巻いている事になる。しかも故意に二十五本の中に一本だけ当りを仕込んでいそうという事にもなるのである。本当にそんな芸当が可能なのか分からないが、ハバノスにはそうやって葉を分配する目利きが居るらしいのである、夢のような話だが。しかし日本酒だって全てが大吟醸酒であるのではないのである、これと同じような事だろうか。当り外れというより、大吟醸葉というものぐらいなら作ろうと思って作れるのか。しかしレギュラー本醸造酒に稀に大吟醸が紛れるのはどういう訳なのだろう。最後にふと赤十字の香がした。ビオフェルミンのような。
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