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  源氏物語「葉」
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 「一望の野をひた走る楽しさを、私は軽やかな酒のように飲み干す……」

 浜に上がった水母のように「ぶよぶよ」と「しわしわ」が半ばした「ぶよしわラッパー」が消えるあてもなく浅瀬を人が泳ぐように巻かれ、赤く黒ずんだ火傷のような冷たい色味が、透明度を隠し、味の激しい濃さを言い訳のようにものものしくもなく物語っている。贅肉老人のようだが、かくいうほど葉巻は太くなく、太った人が痩せた時の皮膚のようでもある。つまりそれほど古くなく。
 後々、この不吉和(ぶよしわ)と色味は見事に下手に折衷するのであった。

 芋が甘い。安納芋か。もっと、バニラエッセンスでも加えたスイートポテトなのか。スイートであっても期待した強面を完全には失ってはいない。しかしラッパーの色味に距離が比例するような、濃ければ濃いほどハバナがニカラグアに近付くような、単純な国際色がある。ニカラグアという国がもし存在しなければこんな事は感じないだろう。海の上の雑味。

 冒頭のジュリアン・グラック『シルトの岸辺』中の「一文」を手本とし比喩の練習をしようと思って書きはじめたのに、どうも巻きが悪いらしく味が歯車の毀れた時計のようにどんどん狂っていく。生来比喩にあまり興味がなく、それゆえ文章が下手で、『シルトの岸辺』を読んでいても十頁毎に眠ってしまう始末なのだが。
 「手本」にするほど比喩に目覚めたわけだから、比喩以外の要素が眠気を催すのかもしれない。同様に眠かったのであまり憶えていないが、ブルーノ・シュルツに近い感覚かもしれない。
 こういうふやけた暗渠の気分に文豪をしばし巻き添えにしていると、序盤のスイートがまた艶かしくスイートルームで安らがせん為に復帰する。
 ちなみに、「手本」の肝を抽出すれば、「楽しさを飲む」という文体であり、これ自体比喩を飛び抜けた、比喩を導出する文体である。あるいは逆に比喩に導かれた文体かもしれない。兎も角「楽しさを飲む」というのは突拍子もない事なのである。どうしてこんな事をわざわざ書くのかというと、私は煙をどうひた走りうるのか未だにわからないからである。
 わからないという一点が煙であるはずもない。煙を煙らしく吸収し煙らしく見失っている。どちらかに絞りたいものなのである。それがもし面白ければ。もしそれぞれが別であれば。
 「煙は見るものではなく吸うものだ」とは図書館を探しても誰も書いていない。一体このお吸物はどんな丼に合うのだろう。「私という丼に合うお吸物だ」なんて恥ずかしい人しか考えつかないし、その恥ずかしい人には考えつかないだろう。恥ずかしい人を捏造して済む問題ではない。
 またすぐに巻きの悪さをふんだんに味わわされたのである。巻きが悪いのか葉が悪いのか私が悪いのかまったくわからない。わからないというのも嘘くさく、一本の煙をひたすら楽しむ苦しさを、私は重たい酒のように軽ろしむ。
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