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|next cigar|$108/10+¥2500/10 ≦ ¥1400/1|2020/12/1・arr 12/8|
|―|6” x 50|--g|香:2.4~2.4 ave2.4|残9|
注文しても全然届かない事態が今年前半にあった為、しばらく控えていたものの、久しぶりに注文してみたら郵便引受から4日で届く。前回3ヶ月近く待ったのが嘘のよう。
この葉巻、昔から気になっていた、「マラケシュ」の響きが。
昔、マラケシュを訪れようとして断念したことがある。スペインからタンジェへ船で渡り、翌日からモロッコを周遊する予定が、タンジェのあまりの治安の悪さに半日で辟易して翌日朝飯も食わずにスペインへ逃げ帰ったのである。スペインも港町は治安が悪かったが、その比ではなかった。キューバの港はどうなのだろう。
開梱するとボベダ入りながら葉巻はパサパサのカチカチ。カッターで切ると切口が砂のよう。乾燥室で保管されていたのか、4日間の輸送中に加湿したところで間に合わない。気持ちダビドフ風味はあるものの、味は一貫して渋い。渋柿を齧り続けた。
|―|6” x 50|--g|香:2.4~2.4 ave2.4|残9|
注文しても全然届かない事態が今年前半にあった為、しばらく控えていたものの、久しぶりに注文してみたら郵便引受から4日で届く。前回3ヶ月近く待ったのが嘘のよう。
この葉巻、昔から気になっていた、「マラケシュ」の響きが。
昔、マラケシュを訪れようとして断念したことがある。スペインからタンジェへ船で渡り、翌日からモロッコを周遊する予定が、タンジェのあまりの治安の悪さに半日で辟易して翌日朝飯も食わずにスペインへ逃げ帰ったのである。スペインも港町は治安が悪かったが、その比ではなかった。キューバの港はどうなのだろう。
開梱するとボベダ入りながら葉巻はパサパサのカチカチ。カッターで切ると切口が砂のよう。乾燥室で保管されていたのか、4日間の輸送中に加湿したところで間に合わない。気持ちダビドフ風味はあるものの、味は一貫して渋い。渋柿を齧り続けた。
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|next cigar|$157.5/20+¥4500/20>¥1000/1|2020/3/17・arr 4/22|
|―|3.5" x 43|6.39g|香:4.1~4.5 ave4.3|残19|
三日連続で訪れた人の話。
初日、海が到着したかのように生々しい磯の香りが訪れました。海で泳いできたにしてはかっちり整った小粋な上下を召して。中肉小背です。
一口の吐息から素敵で、ずいぶん昔に訪れて下さったダビドフ氏の一口そっくり真似事のような、完全に本物本人と見分けようもない、直球ストレートなそれでしたね。すでにバターやら花やらも息づいていましたっけ。漫画のように軌跡が飾られ彩られた華やかで軽やかで滑らかな豪速球でした。
吐息に感じ入りまして、エントレアクトをお勧めしました。これは頼りないクラシックNo.3を超絶化したような葉巻で、キューバン時代の物ではないのですが、古感のあるクラシックの香味がクラシックよりも厚く、「ダビドフの中のダビドフという感じがする」と、かのダビドフ氏も仰ってました。初心者が嗅いだら半分意識失うんじゃないかな。ミニタイプの最高峰であることは間違いないのです。
このお客さん、後半は踊る胡椒で挑発してきたんですね。ニクいですよ、JAZZYです。空の珈琲碗にかなり上空から投入するものですから、空気中に胡椒の小さい粉末が舞ったんです。
実は一月以上も香港の空港に放置されていた葉巻なのですが、ボベダ入でしたしぴっちりビニール密閉されていたからでしょうか、この日に到着したばかりだったのですが、古の新鮮な香りが店じゅうに広がっていました。だんだん不味くなっていったら申し訳ないなと思うほど既に限界まで美味しそうでした。でお客さんも暴れる雰囲気すらなく、安定して純正の香味が漂っていました。
余命3センチ以下のところ、熱く金木犀が襲来したのか、閉店間際に扉を押し分け人がどっと滑り込んでくるような、僕に喩えればそんな時の僕の顔に似た表情をしていましたね、そんな事はかつてないものですから、迷惑だとは思いませんね。で、金木犀は扉に挟まれ、開けっぴろげな押花状態となり、匂いが扉を塞ぎ、お客様を帰しませんでした。店じゅう、ものすごくフラワリーな甘美を呈していました。
ドライフラワーじゃありませんよ、ドライではありましたけれど生花でしたね。べったりした甘さはありませず、なのに極芳醇なのですから、辛口好きの人にお勧めしたいですね。
ドライというと、お客さんもそうで、ドライなお客さんだから、連日訪れたのかもしれません。じめじめした人は連日は来ないですから。
ふと見るとお客さんの身長が珍しいぐらい小さくなっていて、もう1センチになっていました。小さくなって扉の隙間を抜け出そうとしているんですね。滞在時間は長かったです、身長が大きい所為でのろまになった人ぐらい長居されたのではなかったでしょうかね。のろまの人が大抵3センチ以上の身長で帰るとしましたら、あの人はまるで2センチ長い人のようだったともその時思ったんです。
|next cigar|$157.5/20+¥4500/20>¥1000/1|2020/3/17・arr 4/22|
|―|3.5" x 43|7.35g|香: 3.5~3.9 ave3.7|残18|
次の日、磯の香が消えていたので、同じ人が入ってきたことに気づきませんでした。ちょっと昨日よりも硬い雰囲気でしたし。二日目になるともう馴れ馴れしくなるのが人の常ですのに、かえって好感度というか変人度が高まりますよね。今日は途中でバター臭い濃厚なおならをしましてね、すると昨日の香りがしたんですよ。松茸が空飛ぶように軽やかに芬々と胞子を蒔いて、バターがフィナンシェよりもマドレーヌのようにプワっときて、花の匂いでした。相変わらず顔はしゃちこばっていました。ほんとの変人ですかね。おならなんかしていないような顔なんですから。笑っちゃいますよ。もしくは、おならなんか本当にしていないのに以上のように思われているんだろうな、というような顔かもしれなかったですね。お客さんの頭の中なんて八割ぐらいしか分からないのですから、面白い方でいいんですよ。深く考えると深まってしまいますからね、僕が。はっは。
まあ極力浅く考えるようにしています。あんまり深いと小説になっちまって、そっちに集中しちまったら店開けられませんから。深いのに店開けてる人、あれはなんなんですかね、尊敬しかないっす。
「熱を帯びてきましたよ、お客さん、大丈夫ですか?」
こう問いかけたとき、なんと言ったと思います?
「ダイジョウV」と言ったんです、小さな指を二股に広げて見せて。僕はさすがに思案に耽りましたね。
で、アリナミンブイとトロワリビエールのラムでカクテルをお作りしたんです。大変喜ばれました。まるでお客さんの吐息がアリナミンVで、飲み物がラムのストレートでした。マリアージュなのか何なのかよくわからなかったですね、顔は普通でしたが、お客さんの脳が喜ぶのがありありしていました。顔中のありとあらゆる穴から松茸が生えて、穴に詰まった松茸の栓をエステルだか薬学的なんたらだかが膨張して噴射したんですから。それでささっと後腐れなく帰ってしまわれました。去り方がまた明日を予感させたんですよ。元気で健康な人だとは思いました。聡明で、小柄で、すばしっこいようで腰が座っているし、深くなくはない、もう大好きなお客さんの一人です。
|next cigar|$157.5/20+¥4500/20>¥1000/1|2020/3/17・arr 4/22|
|―|3.5" x 43|5.93g |香: 4.3~4.7 ave4.5|残17|
3日目も同じ葉巻を注文なさいました。うまくてフニフニと腑に落ちるようです。もう常連さんでしたから、扉を開けて入ってきた時の香りで、分かります、いいお客さんが来たな、と。今日はお花の香水がお強いようですね、と、言いはしませんが、思ったんです。全く無言でお互い笑顔ですよ。非常に心地よい空間で、店の空間はお客様の方が多く作ってしまわれるものですね。僕はいつも微力です。空間を変えてしまわれるのですから尊敬に値する人物であるに違いない、とヒヨッコの僕は思うわけですよね。日々の髪型の違いなんて、本人が鏡を見てのみわかるもので、傍目には髪型も含めて同じ人物にしか思えないものですけれど、微妙に髪型も違っていることに気づいたんです。こんな微妙さに気付かせる人は、そうそう居ません。端から花で、すぐ胡椒です、辛みを含んだ日ですね。クラシックNo.2の最盛期を始終思わせる。もう10年以上も前に、そういう人がいたんですよ、クラシックNo.2というお仁が。僕は彼の魅力にヘベレケになってしまいましてね、それでこの珈琲店だった店を葉巻バーに改装したのです。一回しかご来店いただけなかったのですが。もしかしてこの人、あの人が変装しているのではないかしらと思いもしました。変装の理由は不明ですけれど。颯爽と喫して帰られるのだろうなぁと括っていましたら、結局颯爽と帰られはしたのですが、この日は帰り際にとんでもない体臭を放ったんですよね。すべてが一段も二段も急遽濃厚になったというか、生涯にまたと無いような、完璧な一瞬が店に訪れました。一瞬というのが長く感じられました。おそろしく優しい金木犀が血を血管のように隈無く覆い、絡みつき、花嵐のように流血し続けました。もちろんその血の花びらを持つ木が松茸ですよ。巨大な松茸です。コルクのように軽い松茸です。嵐に舞う砂は、辛味を優しくした膨大な白胡椒でした。甘美至極でありますのに、特別飾らず、平然とした趣に感嘆致しました。バター? そうですね、バターはなんとありませんでしたが、席をお立ちになられた時に、さらにバターを加えたんですよ。平伏しましたね。なんか、お代を頂きたくなくなっちゃいました。三日目はずっと日本酒で通されました。海の人だとはもう思いませんでした。彼に来ていただければ、誰も来なくとも、このお店は安泰です。飽きませんよ、短さが淡白さを演出しますから。なんだか喉の調子が軽やかですよ、一曲歌いましょうか? まだ17回ぐらいはご来店下さると思うんですよね。どこか懐かしい、昔見たはずの強烈な風貌だったんです。何回も思い出させてくれると思うんです。そういえば入ってらした時からこの日は妙に体重が軽いようでした。軽い日は機嫌が良いみたいで。
|―|3.5" x 43|6.39g|香:4.1~4.5 ave4.3|残19|
三日連続で訪れた人の話。
初日、海が到着したかのように生々しい磯の香りが訪れました。海で泳いできたにしてはかっちり整った小粋な上下を召して。中肉小背です。
一口の吐息から素敵で、ずいぶん昔に訪れて下さったダビドフ氏の一口そっくり真似事のような、完全に本物本人と見分けようもない、直球ストレートなそれでしたね。すでにバターやら花やらも息づいていましたっけ。漫画のように軌跡が飾られ彩られた華やかで軽やかで滑らかな豪速球でした。
吐息に感じ入りまして、エントレアクトをお勧めしました。これは頼りないクラシックNo.3を超絶化したような葉巻で、キューバン時代の物ではないのですが、古感のあるクラシックの香味がクラシックよりも厚く、「ダビドフの中のダビドフという感じがする」と、かのダビドフ氏も仰ってました。初心者が嗅いだら半分意識失うんじゃないかな。ミニタイプの最高峰であることは間違いないのです。
このお客さん、後半は踊る胡椒で挑発してきたんですね。ニクいですよ、JAZZYです。空の珈琲碗にかなり上空から投入するものですから、空気中に胡椒の小さい粉末が舞ったんです。
実は一月以上も香港の空港に放置されていた葉巻なのですが、ボベダ入でしたしぴっちりビニール密閉されていたからでしょうか、この日に到着したばかりだったのですが、古の新鮮な香りが店じゅうに広がっていました。だんだん不味くなっていったら申し訳ないなと思うほど既に限界まで美味しそうでした。でお客さんも暴れる雰囲気すらなく、安定して純正の香味が漂っていました。
余命3センチ以下のところ、熱く金木犀が襲来したのか、閉店間際に扉を押し分け人がどっと滑り込んでくるような、僕に喩えればそんな時の僕の顔に似た表情をしていましたね、そんな事はかつてないものですから、迷惑だとは思いませんね。で、金木犀は扉に挟まれ、開けっぴろげな押花状態となり、匂いが扉を塞ぎ、お客様を帰しませんでした。店じゅう、ものすごくフラワリーな甘美を呈していました。
ドライフラワーじゃありませんよ、ドライではありましたけれど生花でしたね。べったりした甘さはありませず、なのに極芳醇なのですから、辛口好きの人にお勧めしたいですね。
ドライというと、お客さんもそうで、ドライなお客さんだから、連日訪れたのかもしれません。じめじめした人は連日は来ないですから。
ふと見るとお客さんの身長が珍しいぐらい小さくなっていて、もう1センチになっていました。小さくなって扉の隙間を抜け出そうとしているんですね。滞在時間は長かったです、身長が大きい所為でのろまになった人ぐらい長居されたのではなかったでしょうかね。のろまの人が大抵3センチ以上の身長で帰るとしましたら、あの人はまるで2センチ長い人のようだったともその時思ったんです。
|next cigar|$157.5/20+¥4500/20>¥1000/1|2020/3/17・arr 4/22|
|―|3.5" x 43|7.35g|香: 3.5~3.9 ave3.7|残18|
次の日、磯の香が消えていたので、同じ人が入ってきたことに気づきませんでした。ちょっと昨日よりも硬い雰囲気でしたし。二日目になるともう馴れ馴れしくなるのが人の常ですのに、かえって好感度というか変人度が高まりますよね。今日は途中でバター臭い濃厚なおならをしましてね、すると昨日の香りがしたんですよ。松茸が空飛ぶように軽やかに芬々と胞子を蒔いて、バターがフィナンシェよりもマドレーヌのようにプワっときて、花の匂いでした。相変わらず顔はしゃちこばっていました。ほんとの変人ですかね。おならなんかしていないような顔なんですから。笑っちゃいますよ。もしくは、おならなんか本当にしていないのに以上のように思われているんだろうな、というような顔かもしれなかったですね。お客さんの頭の中なんて八割ぐらいしか分からないのですから、面白い方でいいんですよ。深く考えると深まってしまいますからね、僕が。はっは。
まあ極力浅く考えるようにしています。あんまり深いと小説になっちまって、そっちに集中しちまったら店開けられませんから。深いのに店開けてる人、あれはなんなんですかね、尊敬しかないっす。
「熱を帯びてきましたよ、お客さん、大丈夫ですか?」
こう問いかけたとき、なんと言ったと思います?
「ダイジョウV」と言ったんです、小さな指を二股に広げて見せて。僕はさすがに思案に耽りましたね。
で、アリナミンブイとトロワリビエールのラムでカクテルをお作りしたんです。大変喜ばれました。まるでお客さんの吐息がアリナミンVで、飲み物がラムのストレートでした。マリアージュなのか何なのかよくわからなかったですね、顔は普通でしたが、お客さんの脳が喜ぶのがありありしていました。顔中のありとあらゆる穴から松茸が生えて、穴に詰まった松茸の栓をエステルだか薬学的なんたらだかが膨張して噴射したんですから。それでささっと後腐れなく帰ってしまわれました。去り方がまた明日を予感させたんですよ。元気で健康な人だとは思いました。聡明で、小柄で、すばしっこいようで腰が座っているし、深くなくはない、もう大好きなお客さんの一人です。
|next cigar|$157.5/20+¥4500/20>¥1000/1|2020/3/17・arr 4/22|
|―|3.5" x 43|5.93g |香: 4.3~4.7 ave4.5|残17|
3日目も同じ葉巻を注文なさいました。うまくてフニフニと腑に落ちるようです。もう常連さんでしたから、扉を開けて入ってきた時の香りで、分かります、いいお客さんが来たな、と。今日はお花の香水がお強いようですね、と、言いはしませんが、思ったんです。全く無言でお互い笑顔ですよ。非常に心地よい空間で、店の空間はお客様の方が多く作ってしまわれるものですね。僕はいつも微力です。空間を変えてしまわれるのですから尊敬に値する人物であるに違いない、とヒヨッコの僕は思うわけですよね。日々の髪型の違いなんて、本人が鏡を見てのみわかるもので、傍目には髪型も含めて同じ人物にしか思えないものですけれど、微妙に髪型も違っていることに気づいたんです。こんな微妙さに気付かせる人は、そうそう居ません。端から花で、すぐ胡椒です、辛みを含んだ日ですね。クラシックNo.2の最盛期を始終思わせる。もう10年以上も前に、そういう人がいたんですよ、クラシックNo.2というお仁が。僕は彼の魅力にヘベレケになってしまいましてね、それでこの珈琲店だった店を葉巻バーに改装したのです。一回しかご来店いただけなかったのですが。もしかしてこの人、あの人が変装しているのではないかしらと思いもしました。変装の理由は不明ですけれど。颯爽と喫して帰られるのだろうなぁと括っていましたら、結局颯爽と帰られはしたのですが、この日は帰り際にとんでもない体臭を放ったんですよね。すべてが一段も二段も急遽濃厚になったというか、生涯にまたと無いような、完璧な一瞬が店に訪れました。一瞬というのが長く感じられました。おそろしく優しい金木犀が血を血管のように隈無く覆い、絡みつき、花嵐のように流血し続けました。もちろんその血の花びらを持つ木が松茸ですよ。巨大な松茸です。コルクのように軽い松茸です。嵐に舞う砂は、辛味を優しくした膨大な白胡椒でした。甘美至極でありますのに、特別飾らず、平然とした趣に感嘆致しました。バター? そうですね、バターはなんとありませんでしたが、席をお立ちになられた時に、さらにバターを加えたんですよ。平伏しましたね。なんか、お代を頂きたくなくなっちゃいました。三日目はずっと日本酒で通されました。海の人だとはもう思いませんでした。彼に来ていただければ、誰も来なくとも、このお店は安泰です。飽きませんよ、短さが淡白さを演出しますから。なんだか喉の調子が軽やかですよ、一曲歌いましょうか? まだ17回ぐらいはご来店下さると思うんですよね。どこか懐かしい、昔見たはずの強烈な風貌だったんです。何回も思い出させてくれると思うんです。そういえば入ってらした時からこの日は妙に体重が軽いようでした。軽い日は機嫌が良いみたいで。
|next cigar|$64/5|2018/10/21・arr 10/25|
|—|6” x 55|18.27g|香:4.0~4.5 ave4.3|残2|
この太い葉巻は埃っぽさや茸っぽさが少なく、そういう皮を八割がた剥いだようで、中身ぼうぼうとして花やバターなどを燃やす。語弊あるが、煙草らしさは薄く、煙草らしからぬ要素が豊富。濃いというより、豊富である。皮は残りの二割をも削げば、初の『BHK52』に感じた「金の筒」となるわけである(あれはもう金色そのもので葉巻ではなかった)。二割の皮がなめしすぎたなめし皮を纏って二重羽織って香ばしい。中身ぼうぼうというのは、太いリンゲージに因るらしい。
熟れきって酸味が旨味に転化した芳醇なパイナップル、にもかかわらず何処かしら青臭さが残るのはメロンだろうか、瓜系であるのは間違いない。バターもはっきりしているために、まったり系果実を思い浮かべもするが、謎のまったり系果実である。これらがすごく安定して持続している。
あとは気分さえ香味に合致すれば、ハバナで喩えるところグランレゼルバ級の物と思えるだろう。馴れたダビドフ香が中身にもあるので頭がダビドフを認識してしまうが、もしハバナでこの煙が出たら吃驚仰天の満点必至である。せめて皮だけでもブエルタアバホ産に貼り替えたらどうだろう。ダビドフである事が、良いのか良くないのか分からなくなる。というのは、ダビドフが一人でハバナと戦っているからで、交互に着火すると、ハバナが色々なブランドで八方から攻めくるに対し、ダビドフは一ブランドで拮抗し、日に日に五割がダビドフでは飽き飽きしてしまうのである。それが、ここではダビドフらしさを薄めたダビドフがあるばかり。中身もダビドフっぽいとは言ったが、これはより美味しげな方へ脳内変換できる。
突如、バターでソテーした豚の旨み。「焼いた」というと焦げ臭いが「ソテー」に焦げはないと思いたい。それでいてバターは狐色化して香ばしく。
だいぶ美味しいのに、どういうわけか後半ますます美味しくなる、豊富なまま濃くなる、ぼうぼうとした天国は、雲に乗るようだ。子供をなめた嗜好で言えば、子供らしく、カレーライスとか、スパゲッティとか、好きなものをひたすら詰め込んだような喜びに溢れ、そう単純かと思えば根本が複雑で、単純と思うほどにかえって琥珀を目に埋め、至近に煙草葉の深みが実感されてくる。透明な物の中に入り込む事で、その中にある透明でない物が見え始める。
終盤で現れる微かな焦げの風味も洗練されている。そこに現れる鼠色の油粘土臭さまで深い。
甘さは強くないものの、始終甘やかである。
ダビドフの灰はポロポロと崩れやすいが、この灰は脆からず、5センチは耐える。灰がズドンと取れると、現れる火種は理想の榛名山である。榛名を臨むに、香味のほうが吸うタイミングを適切に整えてくれていたようだ。燃焼の良し悪しなどあまり考えた事が無かったが、燃焼は満点である。満点を一度でも感じる事がなければ、そもそも点数制度など発現しないのかもしれない。今日をもって燃焼の良し悪しの基準があらわになる。味の方が人の呼吸を整えてくるのである。対して香味の基準は永遠に不明なのかもしれない。
終盤は軽い刺激を伴うスパイスがふりかけられ、シナモンを使った軽やかな焼菓子のパフを食感もろとも味わえる。よく考えれば胡椒とシナモンの間の子のような、現存しない、新種のスパイスを見る。当然焼菓子というものバターもふんだんで、バター程度の塩気をも伴う。ほぼ無塩バターに近い。
瓜は消えて草となり蜂蜜となる。
皮はいつの間にか茸からナッツ感に変っている。最良の大トロにある、まるで魚らしからぬナッツ感をも思い出す。やがてナッツが木に返る。
以上、全編に金木犀が咲いているのだが、不思議と金木犀という言葉が出ない。花は常に別の姿に見事変げして二十四面相で蠱惑する。ただ最終盤だけは金木犀として実態を現しつつ散る。散ってなお芳香豊かで散り敷いた寂の芳醇を呈する。花の絨毯に覘く幽玄な土。なんとも自然である。残2センチ付近、弱き荒さに抗して芽生える緑がある。
紙箱5本入りのゴルフシリーズがこれほどまでとは思いもよらず、ゴルフ場で楽しむものではなさそう。
いずれにしても今日の一本はグランレゼルバ級である。にして安い。ただ、微かなりとも平凡なダビドフ感が感動の邪魔をする、こういう贅沢があるかもしれない。
|—|6” x 55|18.27g|香:4.0~4.5 ave4.3|残2|
この太い葉巻は埃っぽさや茸っぽさが少なく、そういう皮を八割がた剥いだようで、中身ぼうぼうとして花やバターなどを燃やす。語弊あるが、煙草らしさは薄く、煙草らしからぬ要素が豊富。濃いというより、豊富である。皮は残りの二割をも削げば、初の『BHK52』に感じた「金の筒」となるわけである(あれはもう金色そのもので葉巻ではなかった)。二割の皮がなめしすぎたなめし皮を纏って二重羽織って香ばしい。中身ぼうぼうというのは、太いリンゲージに因るらしい。
熟れきって酸味が旨味に転化した芳醇なパイナップル、にもかかわらず何処かしら青臭さが残るのはメロンだろうか、瓜系であるのは間違いない。バターもはっきりしているために、まったり系果実を思い浮かべもするが、謎のまったり系果実である。これらがすごく安定して持続している。
あとは気分さえ香味に合致すれば、ハバナで喩えるところグランレゼルバ級の物と思えるだろう。馴れたダビドフ香が中身にもあるので頭がダビドフを認識してしまうが、もしハバナでこの煙が出たら吃驚仰天の満点必至である。せめて皮だけでもブエルタアバホ産に貼り替えたらどうだろう。ダビドフである事が、良いのか良くないのか分からなくなる。というのは、ダビドフが一人でハバナと戦っているからで、交互に着火すると、ハバナが色々なブランドで八方から攻めくるに対し、ダビドフは一ブランドで拮抗し、日に日に五割がダビドフでは飽き飽きしてしまうのである。それが、ここではダビドフらしさを薄めたダビドフがあるばかり。中身もダビドフっぽいとは言ったが、これはより美味しげな方へ脳内変換できる。
突如、バターでソテーした豚の旨み。「焼いた」というと焦げ臭いが「ソテー」に焦げはないと思いたい。それでいてバターは狐色化して香ばしく。
だいぶ美味しいのに、どういうわけか後半ますます美味しくなる、豊富なまま濃くなる、ぼうぼうとした天国は、雲に乗るようだ。子供をなめた嗜好で言えば、子供らしく、カレーライスとか、スパゲッティとか、好きなものをひたすら詰め込んだような喜びに溢れ、そう単純かと思えば根本が複雑で、単純と思うほどにかえって琥珀を目に埋め、至近に煙草葉の深みが実感されてくる。透明な物の中に入り込む事で、その中にある透明でない物が見え始める。
終盤で現れる微かな焦げの風味も洗練されている。そこに現れる鼠色の油粘土臭さまで深い。
甘さは強くないものの、始終甘やかである。
ダビドフの灰はポロポロと崩れやすいが、この灰は脆からず、5センチは耐える。灰がズドンと取れると、現れる火種は理想の榛名山である。榛名を臨むに、香味のほうが吸うタイミングを適切に整えてくれていたようだ。燃焼の良し悪しなどあまり考えた事が無かったが、燃焼は満点である。満点を一度でも感じる事がなければ、そもそも点数制度など発現しないのかもしれない。今日をもって燃焼の良し悪しの基準があらわになる。味の方が人の呼吸を整えてくるのである。対して香味の基準は永遠に不明なのかもしれない。
終盤は軽い刺激を伴うスパイスがふりかけられ、シナモンを使った軽やかな焼菓子のパフを食感もろとも味わえる。よく考えれば胡椒とシナモンの間の子のような、現存しない、新種のスパイスを見る。当然焼菓子というものバターもふんだんで、バター程度の塩気をも伴う。ほぼ無塩バターに近い。
瓜は消えて草となり蜂蜜となる。
皮はいつの間にか茸からナッツ感に変っている。最良の大トロにある、まるで魚らしからぬナッツ感をも思い出す。やがてナッツが木に返る。
以上、全編に金木犀が咲いているのだが、不思議と金木犀という言葉が出ない。花は常に別の姿に見事変げして二十四面相で蠱惑する。ただ最終盤だけは金木犀として実態を現しつつ散る。散ってなお芳香豊かで散り敷いた寂の芳醇を呈する。花の絨毯に覘く幽玄な土。なんとも自然である。残2センチ付近、弱き荒さに抗して芽生える緑がある。
紙箱5本入りのゴルフシリーズがこれほどまでとは思いもよらず、ゴルフ場で楽しむものではなさそう。
いずれにしても今日の一本はグランレゼルバ級である。にして安い。ただ、微かなりとも平凡なダビドフ感が感動の邪魔をする、こういう贅沢があるかもしれない。
|NextCigar|$112/10|arr 2018/9/8|
|―|6 3/32超 x 43|12.32g|香:3.7~4.5 ave4.1|残1|
なんとも言えないいい匂い、小屋系が洗い落とされ、紅茶めいた刻みタバコのような、懐かしい高貴さが甦るような。
着火して漂うキノコ風味も高貴さを維持してくれる。極めてスムース。はみ出たフィラーが燃え尽き、ラッパーが燃え出すとやや喫感強くおぼめき、バターが浮くようなほんの幽かなしつこさ。やや荒く渋くなりもする。非常にスムースな水平の話ながら。
シナモン、胡椒などのスパイスとスパイスの甘さ。
香りが紅茶に統合されつつ、クローナル種のダージリンの滑らかさとチャイナ種のダージリンの渋みが表裏一体に貼り付いている。それぞれの香りも。
所用で3分後に戻ってくると、いっぷく、放置されていた葉巻がウイルキンソンのジンジャエールを弾く。というのはコダマのソーセージを温めていた猶予で、その一服後、輪切りのソーセージ後に喫すると今度は金木犀が咲く。ソーセージはフォアグラ味だったはずが、間違えて生姜味を温めてしまった。前段でウイルキンソンが登場したのは意味深な符牒だろうか。以降、甘やかで芳しい金木犀と美味しげに吹き荒ぶスパイスの饗宴が始まり、嵐も口の中では丸い。
この葉巻は格段に美味しさを増している。たった一年半にして購入当初とは比べ物にならない。人生初のダビドフ・クラシックNo.2を髣髴とさせ(感動のみを消し、その味を残す)、つまるところいまだにクラシックとグランクリュの区別がつきかねるが(一年半を経てクラシックに近づいた要素とクラシックから遠ざかった要素が同居している)、また安ければすぐさま買っておこうと思う。
炭酸のような透明な刺激に甘さが乗る。
……原稿用紙2枚分程度だろうか、以上で書き疲れて、疲れに鞭打つほど美味しい変化はないものの、後半もなかなか息が長かった。後半は特別書き継ぎたくなるような事が無かった為、疲れてしまったのだろうか、全編葉巻を書く事に疲れた気味もありつつ。
|―|6 3/32超 x 43|12.32g|香:3.7~4.5 ave4.1|残1|
なんとも言えないいい匂い、小屋系が洗い落とされ、紅茶めいた刻みタバコのような、懐かしい高貴さが甦るような。
着火して漂うキノコ風味も高貴さを維持してくれる。極めてスムース。はみ出たフィラーが燃え尽き、ラッパーが燃え出すとやや喫感強くおぼめき、バターが浮くようなほんの幽かなしつこさ。やや荒く渋くなりもする。非常にスムースな水平の話ながら。
シナモン、胡椒などのスパイスとスパイスの甘さ。
香りが紅茶に統合されつつ、クローナル種のダージリンの滑らかさとチャイナ種のダージリンの渋みが表裏一体に貼り付いている。それぞれの香りも。
所用で3分後に戻ってくると、いっぷく、放置されていた葉巻がウイルキンソンのジンジャエールを弾く。というのはコダマのソーセージを温めていた猶予で、その一服後、輪切りのソーセージ後に喫すると今度は金木犀が咲く。ソーセージはフォアグラ味だったはずが、間違えて生姜味を温めてしまった。前段でウイルキンソンが登場したのは意味深な符牒だろうか。以降、甘やかで芳しい金木犀と美味しげに吹き荒ぶスパイスの饗宴が始まり、嵐も口の中では丸い。
この葉巻は格段に美味しさを増している。たった一年半にして購入当初とは比べ物にならない。人生初のダビドフ・クラシックNo.2を髣髴とさせ(感動のみを消し、その味を残す)、つまるところいまだにクラシックとグランクリュの区別がつきかねるが(一年半を経てクラシックに近づいた要素とクラシックから遠ざかった要素が同居している)、また安ければすぐさま買っておこうと思う。
炭酸のような透明な刺激に甘さが乗る。
……原稿用紙2枚分程度だろうか、以上で書き疲れて、疲れに鞭打つほど美味しい変化はないものの、後半もなかなか息が長かった。後半は特別書き継ぎたくなるような事が無かった為、疲れてしまったのだろうか、全編葉巻を書く事に疲れた気味もありつつ。
|NextCigar|$0/1|arr 2019/9/21|
|—|4” x 56|11.40g|香:3.1~3.5 ave3.3|残0|
註:この葉巻は試供品です。「tasting cigar not for sale」と書かれた封シールあり。
ベネズエラを黒い人体で巻いたような味わいに、珈琲豆焙煎中の香りがふわふわと漂い、チョコじみた草、黒めの朝食、(カフェ)オーレというよりオーノワールで(白化よりも黒化で)、必ずしも黒が主体ではないのだが、主食が黒く覆われている。麦、パンの風味が黒さの元でかえって鮮やかに存在する。パンには苦めのカカオを塗っているし、飲み物は当然ブラックコーヒーである。サラダには食用の花が盛られる。食べきったかと思うとまた椀子蕎麦の要領で次々と花を盛られるので食べても食べても仕方がない。ベネズエラには随分いろんな種類の花があるものだなあと感心している。デザートを突ついても花。この時々挟むデザートを花が邪魔して勿体ぶるので、デザートが大変美味しい。クリームが花に合うのか、だからおばさんが花をすぐに盛って来るのだろうか、なにしろ変な国の食事なのでよくわからない。
ダビドフ茸の風味はほとんどせず、また軽さもなく(紅茶を拒絶するような渋さがある)、すると他の新世界葉巻と区別がつかなくなりそうだが、そういうことにならないのがダビドフ圏内の国の凄さなのだろう。はは、どこかしら頭がおかしくなるよ、エスクリオを吸っていると。
そもそもこの葉巻はダビドフ圏内で最もブラジル色が強いはずである。エクアドル産の葉などもとより使用されていない。たしかに、エクアドル味ではあるが、今回は昨今よりブラジル色が強かったと感じる。とりわけ、甘味を抽出しそびれたブラジル珈琲の味わい。その深煎りの感に、香りは程よいシティローストのようで、酸味といえば深煎りの漆黒に塗り潰されているという、そんなブレンドだった。
|—|4” x 56|11.40g|香:3.1~3.5 ave3.3|残0|
註:この葉巻は試供品です。「tasting cigar not for sale」と書かれた封シールあり。
ベネズエラを黒い人体で巻いたような味わいに、珈琲豆焙煎中の香りがふわふわと漂い、チョコじみた草、黒めの朝食、(カフェ)オーレというよりオーノワールで(白化よりも黒化で)、必ずしも黒が主体ではないのだが、主食が黒く覆われている。麦、パンの風味が黒さの元でかえって鮮やかに存在する。パンには苦めのカカオを塗っているし、飲み物は当然ブラックコーヒーである。サラダには食用の花が盛られる。食べきったかと思うとまた椀子蕎麦の要領で次々と花を盛られるので食べても食べても仕方がない。ベネズエラには随分いろんな種類の花があるものだなあと感心している。デザートを突ついても花。この時々挟むデザートを花が邪魔して勿体ぶるので、デザートが大変美味しい。クリームが花に合うのか、だからおばさんが花をすぐに盛って来るのだろうか、なにしろ変な国の食事なのでよくわからない。
ダビドフ茸の風味はほとんどせず、また軽さもなく(紅茶を拒絶するような渋さがある)、すると他の新世界葉巻と区別がつかなくなりそうだが、そういうことにならないのがダビドフ圏内の国の凄さなのだろう。はは、どこかしら頭がおかしくなるよ、エスクリオを吸っていると。
そもそもこの葉巻はダビドフ圏内で最もブラジル色が強いはずである。エクアドル産の葉などもとより使用されていない。たしかに、エクアドル味ではあるが、今回は昨今よりブラジル色が強かったと感じる。とりわけ、甘味を抽出しそびれたブラジル珈琲の味わい。その深煎りの感に、香りは程よいシティローストのようで、酸味といえば深煎りの漆黒に塗り潰されているという、そんなブレンドだった。
|Atlantic Cigar|$270.75/10(+¥500/1)|2019/6/7・arr 6/19|
|(DAV LE 2019 ROB US)|5 1/2 x 48|重量:12.79g|香:3.0~3.5 ave3.3|残7|
残7本かと思って箱を開けたら8本あった。2本しか吸っていないのにあたかも3本も吸ったかのように思わせる桃の心地とはいかなるものか。
物理的には1本得したような気がする。
今回美味しかったら、もう一箱買おうという算段で、やや早いペースで試験的に消費している。買う場合、市場から消える前に買わなければならない。(とはいえもう前回から4ヶ月半も経ったのか。あれは夏だったのか。急いでいたから、秋ごろに、もう一本試した気になったのかもしれない。)
結果
桃の奇蹟は3本はつづかない。荒く、辛く、きつい。軽さはどこ吹く風で、かなり峻厳である。
追加購入せず、残7本をゆっくり消していこうと思う。(この葉巻は冬に合わないのかもしれない)
しかしどうも様子がおかしい。足に帽子を穿いた(ヘッドとフットを間違えた)ような味がする。これまでは序盤に桃が滴り、後半は荒くれたのだったが、今回は前半で荒くれて後半は急に優しくなった。「桃の滴り」まではいかないものの、ダビドフの葉の香味を堪能できるまでにはなる。特別複雑にして一塊となったブレンドの妙も多少感じられる。後ろに桃があるとして、後ろに後ろが逃れえぬ疲れを重ねて桃の邪魔をするのか。
前後を間違えてはいないだろうし、そもそも前後がないのかもしれないし、間違えたところで変らないはずであるかもしれない。この辺り、製造ラインに詳しい人からの教えを待つしかありません。
|(DAV LE 2019 ROB US)|5 1/2 x 48|重量:12.79g|香:3.0~3.5 ave3.3|残7|
残7本かと思って箱を開けたら8本あった。2本しか吸っていないのにあたかも3本も吸ったかのように思わせる桃の心地とはいかなるものか。
物理的には1本得したような気がする。
今回美味しかったら、もう一箱買おうという算段で、やや早いペースで試験的に消費している。買う場合、市場から消える前に買わなければならない。(とはいえもう前回から4ヶ月半も経ったのか。あれは夏だったのか。急いでいたから、秋ごろに、もう一本試した気になったのかもしれない。)
結果
桃の奇蹟は3本はつづかない。荒く、辛く、きつい。軽さはどこ吹く風で、かなり峻厳である。
追加購入せず、残7本をゆっくり消していこうと思う。(この葉巻は冬に合わないのかもしれない)
しかしどうも様子がおかしい。足に帽子を穿いた(ヘッドとフットを間違えた)ような味がする。これまでは序盤に桃が滴り、後半は荒くれたのだったが、今回は前半で荒くれて後半は急に優しくなった。「桃の滴り」まではいかないものの、ダビドフの葉の香味を堪能できるまでにはなる。特別複雑にして一塊となったブレンドの妙も多少感じられる。後ろに桃があるとして、後ろに後ろが逃れえぬ疲れを重ねて桃の邪魔をするのか。
前後を間違えてはいないだろうし、そもそも前後がないのかもしれないし、間違えたところで変らないはずであるかもしれない。この辺り、製造ラインに詳しい人からの教えを待つしかありません。
|NextCigar|$130/10|2019/10/30・arr 11/09|
|—|7.25 x 40|11.54g|香:2.6~3.0 ave2.8|残8|
・着火前、埃と豚とパラジクロロベンゼン
・空吸いするとパラジクロロベンゼンの蜂蜜漬の味
・着火後はパラジクロロベンゼンの苦味
とくに不味くないのが不思議であるものの、これまでのどのダビドフよりも薬臭かった。似たような匂いがしても(いつも似たような匂いがするのだが)、それを薬と捉えたことはこれまではなかった。
「香:2.6~3.0 ave2.8」とした。2.5以下は不味いと捉えて頂いて結構です。
|—|7.25 x 40|11.54g|香:2.6~3.0 ave2.8|残8|
・着火前、埃と豚とパラジクロロベンゼン
・空吸いするとパラジクロロベンゼンの蜂蜜漬の味
・着火後はパラジクロロベンゼンの苦味
とくに不味くないのが不思議であるものの、これまでのどのダビドフよりも薬臭かった。似たような匂いがしても(いつも似たような匂いがするのだが)、それを薬と捉えたことはこれまではなかった。
「香:2.6~3.0 ave2.8」とした。2.5以下は不味いと捉えて頂いて結構です。
|NextCigar|$740/10|arr 2018/8/9|
|—|5.5” x 55|18.79g|香:3.6~4.0 ave3.8|残7|
「雨の夜の効能」という有益なものがあるかもしれないので(とりわけ最近の長雨は湿度が高い)、大物である『ダビドフ・青ロイヤル』に着火した。
埃や黴にも似た、いわゆる「ダビドフ茸」の風味がする。いつもは白トリュフめく白っぽい茸だが、これは黒トリュフのようで、いわば「ダビドフ黒茸」である。トリュフの場合は白の方が稀少でも、ダビドフ茸は黒の方が稀少らしい。リアルエスペシャル“7”で極まるブレンドの妙の物珍しい香りや、『白ロイヤル』がくゆり上げる特別な芳香などがないのだが、そもそもが高価なダビドフ茸であるし、『青ロイヤル』ゆえ黒いという感じがする。初めてのブラックであるにもかかわらず、どうしてか珍しい感を覚えず、煙に羽が生えていないような、「あの世」への渇仰というより「この世」に未練タラタラでしがみつく類の美味なのである。それにしても、3本目にしてようやく、だいぶはっきりと正体を現してくれたように思う。
序盤、煙は実際の軽さに比してキツさを感じさせる。それでも早々、大変な甘さが乗ってきつつある。微かながらしっかりした甘さが複雑大変な甘さへの期待を高める。
黒茸たちの中央に古びた味わいの大樹があり、樹命の世界、大樹にして未だ若木なのか、樹皮から豊潤な甘さを放ちつつも、矛盾するように、みずみずしく乾いた白木の矢をも放ってくる。老人というほどこなれず、豪奢な若者じみてぷりぷり粋がり海老のようにしゃちこばっているところがあり、(全然関係ないが、人間ではない生物はいつも大変スタイルが良い。たとえば海老はみな尻尾長く脚短い個体などないのに、こと人となればスタイルの良い人は非常に珍しい。海老の目からすれば逆に人こそ皆スタイル良く、かえってダサい海老が海中街中を数多ぷりぷり闊歩しているのであろう。あのヒゲのひょろ長い海老は若海老を剥き海老にしたいと思っているのであろうか。)成金老人のふりをした若者という、この葉巻以外にはほとんど存在しないような、比喩を絶する葉巻である。樹皮を剝いて裸にすると確かに若い白木が見え、ここが不思議なのだが、とくに白くもないのだが、大樹を支えているとは思われないほど質が軽い。矢が刺さってもあまり痛くないような性質がある。異様な光景を目の当たりにしていることを漸く悟るのである。
どうして発砲スチロールのような幹が、上空に聳える大樹を地に叩きつけないか。どうして花のない木の幹から花が匂い立つのか。上空は鬱蒼として暗い。けっして晴れやかな葉の裏でない。そもそも新緑時代から茶色い葉が、常盤木のように紅葉時節にも落ちずにいる。途端に幹が呼気を吐き、南国の、ココナッツか何か、アニスか何かのニュアンスを暖房器具のように吐き出した。ダビドフ黒茸がちょっと騒いで生きたツチノコのように下草に潜り込んだ。剥がした樹皮がアナログレコードを左回転させて幹に戻って張り付いた。
軽いのか重いのかをわからせない芳香に追い詰められて直立不動で彷徨わせる、全くそのような感じなので、この木は重力への反逆を明らかにするなどと誇大解釈してしまう。重力のみならず時間をも玩弄している。
煙に小刻みな膨らみが出てきたことは、明らかな誇大以上に是認するところである。時間の玩弄に次ぐ容積の玩弄で、ヒトの頭大の綿飴をヒトが一口に頬張ったにもかかわらず濃縮はされずほとんどが綿のまま口から逃げていってしまうようなのである。繋がりも意味不明ながら、全ての香味が一体化したということなのかもしれない。
芋の味がしたわけではないものの、ふと芋が恋しくなった。木が芋を呼ぶ、そう私の手足を操ったのかもしれない。
今日の雨の日に植物が水を欲するわけがないのに、ちょうど近くに『萬膳庵』なる庵があったので、私はすぐさま取って来て、木に芋焼酎の湯割りを掛けた。途端、糊塗した樹皮の割目から早回しのごとく金木犀が生えてくるかと思いきや秒を待たずに満開となった。しかし湯割りが木のえぐみを増すようであり、一方、木がお湯のえぐみをも増すようであった。それでも花は知らんぷりで咲き続けた。芋をお呼びでなかったのか、芋を呼ばれたのか、これまた区別に難儀する。
雑味を立たせぬ効果においては、この木に備えて水筒で持参した白ぶどう酒の方が覿面である。(エチエンヌ・ソゼ作の下っ端の2017年、下っ端でも凛々しく美味である。)もちろん白ぶどうは黒木に殺される。アラン・ブリュモンの黒ぶどう酒などの方が合うのかもしれないが、黒ワインは木に呼ばれなかった。木は他者を殺して自分の養分とするみたい。
いつ帰るべきかわからないまま、おもむろに腰を上げるまでくすぶっていると、伽羅に似た香木が漂う。加えてえてして飄々と顔を出すなんらかの味わい深い爽やかな風味がある。樹皮が甘やかにシナモン化し、今になってお菓子をもって別腹をそそるような。ここに至るまで、所期の甘さへの期待は肩透かしを喰らっていたのであった。
最後の部分と序盤の記憶に後ろ髪を引かれつつも、妙に私は冷たいままだった。木を蹴って帰りたい気がする。
後ろ髪を引かれるまま逆らわず木の前に佇む。早々に朽ちそうな気もしていたが、今日の木は蹴っても蹴ってもそそるらしい。でも後ろ髪程度のものであった。後ろ髪を引かれて戻るという行為は、「帰る」理由を思いつかない人の、事務処理に過ぎないのである。そそるものがそそるまま、そそりつづける。
もう一年、もう二年待てば急成長するとみる。一年に一本のペースに下げようと思う。もうじき新年だけれど、次はまた来年の末頃に着火したい。リリースされて何年か不明(2016年12月20日発売.日本)で、リリース後に巻き続けられているのかも不明ながら、およそこれは現在巻かれておらず、現在既に三年物とみえ、確実に良くなってきてはいると思う。リリース当初の評価の低さ(?)は頷ける、とすればどうして五年寝かせず出したのか。各ご家庭で美味しくなることを見越して出したのか、それともフレッシュロール時点では美味しかったのだろうか。『オロブランコ』をいつ燃やすべきなのかをこの『青ロイヤル』の不遜さから導出できないものだろうか。青ロイヤルの性質からして、オロブランコにも現在あまり期待が持てない。
|—|5.5” x 55|18.79g|香:3.6~4.0 ave3.8|残7|
「雨の夜の効能」という有益なものがあるかもしれないので(とりわけ最近の長雨は湿度が高い)、大物である『ダビドフ・青ロイヤル』に着火した。
埃や黴にも似た、いわゆる「ダビドフ茸」の風味がする。いつもは白トリュフめく白っぽい茸だが、これは黒トリュフのようで、いわば「ダビドフ黒茸」である。トリュフの場合は白の方が稀少でも、ダビドフ茸は黒の方が稀少らしい。リアルエスペシャル“7”で極まるブレンドの妙の物珍しい香りや、『白ロイヤル』がくゆり上げる特別な芳香などがないのだが、そもそもが高価なダビドフ茸であるし、『青ロイヤル』ゆえ黒いという感じがする。初めてのブラックであるにもかかわらず、どうしてか珍しい感を覚えず、煙に羽が生えていないような、「あの世」への渇仰というより「この世」に未練タラタラでしがみつく類の美味なのである。それにしても、3本目にしてようやく、だいぶはっきりと正体を現してくれたように思う。
序盤、煙は実際の軽さに比してキツさを感じさせる。それでも早々、大変な甘さが乗ってきつつある。微かながらしっかりした甘さが複雑大変な甘さへの期待を高める。
黒茸たちの中央に古びた味わいの大樹があり、樹命の世界、大樹にして未だ若木なのか、樹皮から豊潤な甘さを放ちつつも、矛盾するように、みずみずしく乾いた白木の矢をも放ってくる。老人というほどこなれず、豪奢な若者じみてぷりぷり粋がり海老のようにしゃちこばっているところがあり、(全然関係ないが、人間ではない生物はいつも大変スタイルが良い。たとえば海老はみな尻尾長く脚短い個体などないのに、こと人となればスタイルの良い人は非常に珍しい。海老の目からすれば逆に人こそ皆スタイル良く、かえってダサい海老が海中街中を数多ぷりぷり闊歩しているのであろう。あのヒゲのひょろ長い海老は若海老を剥き海老にしたいと思っているのであろうか。)成金老人のふりをした若者という、この葉巻以外にはほとんど存在しないような、比喩を絶する葉巻である。樹皮を剝いて裸にすると確かに若い白木が見え、ここが不思議なのだが、とくに白くもないのだが、大樹を支えているとは思われないほど質が軽い。矢が刺さってもあまり痛くないような性質がある。異様な光景を目の当たりにしていることを漸く悟るのである。
どうして発砲スチロールのような幹が、上空に聳える大樹を地に叩きつけないか。どうして花のない木の幹から花が匂い立つのか。上空は鬱蒼として暗い。けっして晴れやかな葉の裏でない。そもそも新緑時代から茶色い葉が、常盤木のように紅葉時節にも落ちずにいる。途端に幹が呼気を吐き、南国の、ココナッツか何か、アニスか何かのニュアンスを暖房器具のように吐き出した。ダビドフ黒茸がちょっと騒いで生きたツチノコのように下草に潜り込んだ。剥がした樹皮がアナログレコードを左回転させて幹に戻って張り付いた。
軽いのか重いのかをわからせない芳香に追い詰められて直立不動で彷徨わせる、全くそのような感じなので、この木は重力への反逆を明らかにするなどと誇大解釈してしまう。重力のみならず時間をも玩弄している。
煙に小刻みな膨らみが出てきたことは、明らかな誇大以上に是認するところである。時間の玩弄に次ぐ容積の玩弄で、ヒトの頭大の綿飴をヒトが一口に頬張ったにもかかわらず濃縮はされずほとんどが綿のまま口から逃げていってしまうようなのである。繋がりも意味不明ながら、全ての香味が一体化したということなのかもしれない。
芋の味がしたわけではないものの、ふと芋が恋しくなった。木が芋を呼ぶ、そう私の手足を操ったのかもしれない。
今日の雨の日に植物が水を欲するわけがないのに、ちょうど近くに『萬膳庵』なる庵があったので、私はすぐさま取って来て、木に芋焼酎の湯割りを掛けた。途端、糊塗した樹皮の割目から早回しのごとく金木犀が生えてくるかと思いきや秒を待たずに満開となった。しかし湯割りが木のえぐみを増すようであり、一方、木がお湯のえぐみをも増すようであった。それでも花は知らんぷりで咲き続けた。芋をお呼びでなかったのか、芋を呼ばれたのか、これまた区別に難儀する。
雑味を立たせぬ効果においては、この木に備えて水筒で持参した白ぶどう酒の方が覿面である。(エチエンヌ・ソゼ作の下っ端の2017年、下っ端でも凛々しく美味である。)もちろん白ぶどうは黒木に殺される。アラン・ブリュモンの黒ぶどう酒などの方が合うのかもしれないが、黒ワインは木に呼ばれなかった。木は他者を殺して自分の養分とするみたい。
いつ帰るべきかわからないまま、おもむろに腰を上げるまでくすぶっていると、伽羅に似た香木が漂う。加えてえてして飄々と顔を出すなんらかの味わい深い爽やかな風味がある。樹皮が甘やかにシナモン化し、今になってお菓子をもって別腹をそそるような。ここに至るまで、所期の甘さへの期待は肩透かしを喰らっていたのであった。
最後の部分と序盤の記憶に後ろ髪を引かれつつも、妙に私は冷たいままだった。木を蹴って帰りたい気がする。
後ろ髪を引かれるまま逆らわず木の前に佇む。早々に朽ちそうな気もしていたが、今日の木は蹴っても蹴ってもそそるらしい。でも後ろ髪程度のものであった。後ろ髪を引かれて戻るという行為は、「帰る」理由を思いつかない人の、事務処理に過ぎないのである。そそるものがそそるまま、そそりつづける。
もう一年、もう二年待てば急成長するとみる。一年に一本のペースに下げようと思う。もうじき新年だけれど、次はまた来年の末頃に着火したい。リリースされて何年か不明(2016年12月20日発売.日本)で、リリース後に巻き続けられているのかも不明ながら、およそこれは現在巻かれておらず、現在既に三年物とみえ、確実に良くなってきてはいると思う。リリース当初の評価の低さ(?)は頷ける、とすればどうして五年寝かせず出したのか。各ご家庭で美味しくなることを見越して出したのか、それともフレッシュロール時点では美味しかったのだろうか。『オロブランコ』をいつ燃やすべきなのかをこの『青ロイヤル』の不遜さから導出できないものだろうか。青ロイヤルの性質からして、オロブランコにも現在あまり期待が持てない。
|NextCigar|$130/10|2019/10/30・arr 11/09|
|—|7.25 x 40|11.47g|香:3.5~3.8 ave3.7|残9|
箱買いではなくバラ×10です。
デモの影響なのか到着がやけに遅かった。
11.7g×10本表記で発送。
褐色がかなり深いものであるのに、じめじめした方へ向わずにからりと味を晴らしている。するとふつう藁っぽくなってつまらなくなるから、むしろじめじめの方が美味しいのだが、ダビドフ・ミレニアムの場合、程よい乾きが「銀味」と言いたくなるような恰好をして脳を昇華してくる。黒い酸化銀を還元していくような感覚に似ている。これはやがて還元されず白銀の夢ばかりを残す。
やはりエスキシトスに夢見るエスキシトスの巨大版という感じもある。こちらの夢は現実化されてこのランセロにもっともよく結実していると思う。
樫の木のえぐみが金木犀らしき香りと相俟って鈍く金色に輝く。この辺りはあまり良くないものの、えぐみが消えると樫の木が花との癒着を剥がし粉挽のコクに変る。花は持ち場に戻って枝先から咲くようになる。
バンドルはダビドフの廃品なのであろうか。倉庫に眠っていたとすれば熟成は長い。それとも単なる箱無し価格での通常流通品なのか。
とうとうオロブランコを買った。
|—|7.25 x 40|11.47g|香:3.5~3.8 ave3.7|残9|
箱買いではなくバラ×10です。
デモの影響なのか到着がやけに遅かった。
11.7g×10本表記で発送。
褐色がかなり深いものであるのに、じめじめした方へ向わずにからりと味を晴らしている。するとふつう藁っぽくなってつまらなくなるから、むしろじめじめの方が美味しいのだが、ダビドフ・ミレニアムの場合、程よい乾きが「銀味」と言いたくなるような恰好をして脳を昇華してくる。黒い酸化銀を還元していくような感覚に似ている。これはやがて還元されず白銀の夢ばかりを残す。
やはりエスキシトスに夢見るエスキシトスの巨大版という感じもある。こちらの夢は現実化されてこのランセロにもっともよく結実していると思う。
樫の木のえぐみが金木犀らしき香りと相俟って鈍く金色に輝く。この辺りはあまり良くないものの、えぐみが消えると樫の木が花との癒着を剥がし粉挽のコクに変る。花は持ち場に戻って枝先から咲くようになる。
バンドルはダビドフの廃品なのであろうか。倉庫に眠っていたとすれば熟成は長い。それとも単なる箱無し価格での通常流通品なのか。
とうとうオロブランコを買った。
|NextCigar|$0/1|arr 2019/9/21|
|—|5.5” x 54|16.87g|香:3.2~3.8 ave3.5|残0|
註:この葉巻は試供品です。封シールに「tasting cigar not for sale」の記述あり。試供品であることから、発売当初に巻かれた可能性が高く、個包装のビニールにやや色が付いています。発売当初の物でなくとも、ビニールの色から三年ぐらいは放置されていたであろう個体に見える。なお、湿度によって着色差があり、過加湿の環境ではビニールが着色されやすいかもしれず、色のみでは正しく判断できない。またもちろん、ラッパーが濃いほど着色も早まる。
10月19日 曇り
雲が地を灰色の絵具で塗り潰したかのような、天地の境が曖昧なほどの曇天で、延々と雨粒一つ落ちないのが不思議なぐらい、人も日がな一日廃人と化していた。灰色は室内にも忍び込み、室内の色も灰色で、風もないのに部屋の空気や温度までもが境を消失して空と融合していた。分厚く頭上付近に落ちてきている雲に遮られた陽が落ちそうであろう頃に融合は度を超して全てを均質化させたようで、前述のように脳も灰化し、ベランダの地べたに転がっても、室内のベッドと変りがなくなる。かねて吹き上がっていた砂埃はぎりぎり乾いている感触であった。
曇天らしい曇天に静かに感動していたわけであるが、陽が落ちると、かえって明るく、灰一色であった目前の空が白と青のコントラストを取り戻して遠のいてしまった。膨大な水蒸気と光との至芸があったこと、それが果てたのだとわかり、目が醒めた。
10月19日 26時過ぎ
着火前の乾いた佃煮の風味が燃焼するとどうなるか、煙に化けるより煙が化けるのか、煙がカムリを謎として隠し煙に巻くのか、序盤はそんな美味しげな話だが、5ミリも燃えると辛味やえぐみや渋みがカミソリを巻き込んだ竜巻のように威風堂々と道無き道を進んで外道に外れて正しい佇まいの味覚嗅覚を事も無げに破壊する。パドロンを崇めるアメリカ人向けのやり方で、横暴極まる暴風にはしかし当然花などもが吸い込まれていると見え、木々は根元付近から目茶苦茶にもぎ取られ棘立って旋回して危ないことこの上ない。まろやかなものなども旋回し始めた。それはちょうど珈琲にクリープをかき混ぜた宣材写真のようであり、思えば珈琲はずいぶん雑味が多くて下手な淹れ方だが回っている。回って誤魔化している。竜巻は端から見れば文字通り竜のようでこの世のものとも思えぬ美しさがあるが、竜の咽喉の中である竜巻内部は実に酷い有様だ。美味しげな物も飲み込んでいるのだが、ほとんど音速で飛び回り、砂嵐ばかりが口を満たす心地がする、それでこの体もけっこうなことに浮いて飛び回っているのだが、体を巧い具合にくねらせたり、口を歪めたりして、今美味しいものばかりを吸い込む術を会得しようと忙しいところである。竜巻游泳も上達しようというところである。竜巻上部の灰色の頭が今ぽろりと首を落とした。首無し竜の勢も弱まってきたのかもしれない、ところで物の理から察するに、風が弱体すれば浮いていた体は一緒くたに落下する手痛い態である。恐る恐る竜巻の首から竜巻の足の方へ目をでんぐり返してみると、なんとも比重のおかしな光景が狭く奥行をもって広がっている。竜巻の下部には、なんと落下しても痛くないかのように、花びらたちが幾千重の饅頭布団でもあるかのように重なって、無数の黄色がほとんどキラキラと輝き、竜の喉たるトンネルを照らす光源じみて明るく満ち満ちているのである。それでもまだ落下するには早いようで、見え隠れする図太い木の棘の上をば避けねば刺さるだろう。それならまだくるくると狂おしく旋回したまま跳ね上げられた上空を転がっていたい気持ちである。そうやって竜巻の中、破れた翼めかせた両腕をそのじつ巧みに操り平泳ぎしていると、花が一層密度高く堆積して来て依然回るままであるからか花がまるで乳化遊びを始めたのだ。竜巻の力と料理の力とは似ているところがあるとわかり始める。竜巻内部にて、竜巻は壮大な料理を繰り広げていたのである。なんたる美食家たること、町を縦横無尽に食べ歩いた上、とうに不要となった舌のある頭部を落とし(頭で食べたのかは不明だが)、長い咽喉の奥処の細き胃袋にて緻密な料理を完成させるとは。「料理は舌で完成する」とはささやかな人間の話に過ぎないのである。竜の食事は胃袋で完成するのである。
落ちてゆく、落ちてゆく、どこまでも落ちてゆきたいのに、なかなか体は胃袋の方へ落ちてゆかない。それとももう落ちているのか。遠目の雲が近くで霧に変るように、近づけば近づくほど堆積は味気なく薄れるもの、この道理なのであろうか。懐かしい地の匂いが近づいている。旋回しながら落ちれば道長く、痛手も無いものだと閃く。上空には金の布団が柔らかく分厚く見えている。胸の谷間めいたヘルメットのように、それが迫り落ちてくる。
最後にはランディングに失敗し痛く尻餅をつき、十五回転半の後、すくりと立ち上がった。崩れた竜巻が頭の直ぐ上を燻したウイスキーのように只管スモーキーに漂っている。旨味と甘味を削いだ滑らかな燻煙である。
|—|5.5” x 54|16.87g|香:3.2~3.8 ave3.5|残0|
註:この葉巻は試供品です。封シールに「tasting cigar not for sale」の記述あり。試供品であることから、発売当初に巻かれた可能性が高く、個包装のビニールにやや色が付いています。発売当初の物でなくとも、ビニールの色から三年ぐらいは放置されていたであろう個体に見える。なお、湿度によって着色差があり、過加湿の環境ではビニールが着色されやすいかもしれず、色のみでは正しく判断できない。またもちろん、ラッパーが濃いほど着色も早まる。
10月19日 曇り
雲が地を灰色の絵具で塗り潰したかのような、天地の境が曖昧なほどの曇天で、延々と雨粒一つ落ちないのが不思議なぐらい、人も日がな一日廃人と化していた。灰色は室内にも忍び込み、室内の色も灰色で、風もないのに部屋の空気や温度までもが境を消失して空と融合していた。分厚く頭上付近に落ちてきている雲に遮られた陽が落ちそうであろう頃に融合は度を超して全てを均質化させたようで、前述のように脳も灰化し、ベランダの地べたに転がっても、室内のベッドと変りがなくなる。かねて吹き上がっていた砂埃はぎりぎり乾いている感触であった。
曇天らしい曇天に静かに感動していたわけであるが、陽が落ちると、かえって明るく、灰一色であった目前の空が白と青のコントラストを取り戻して遠のいてしまった。膨大な水蒸気と光との至芸があったこと、それが果てたのだとわかり、目が醒めた。
10月19日 26時過ぎ
着火前の乾いた佃煮の風味が燃焼するとどうなるか、煙に化けるより煙が化けるのか、煙がカムリを謎として隠し煙に巻くのか、序盤はそんな美味しげな話だが、5ミリも燃えると辛味やえぐみや渋みがカミソリを巻き込んだ竜巻のように威風堂々と道無き道を進んで外道に外れて正しい佇まいの味覚嗅覚を事も無げに破壊する。パドロンを崇めるアメリカ人向けのやり方で、横暴極まる暴風にはしかし当然花などもが吸い込まれていると見え、木々は根元付近から目茶苦茶にもぎ取られ棘立って旋回して危ないことこの上ない。まろやかなものなども旋回し始めた。それはちょうど珈琲にクリープをかき混ぜた宣材写真のようであり、思えば珈琲はずいぶん雑味が多くて下手な淹れ方だが回っている。回って誤魔化している。竜巻は端から見れば文字通り竜のようでこの世のものとも思えぬ美しさがあるが、竜の咽喉の中である竜巻内部は実に酷い有様だ。美味しげな物も飲み込んでいるのだが、ほとんど音速で飛び回り、砂嵐ばかりが口を満たす心地がする、それでこの体もけっこうなことに浮いて飛び回っているのだが、体を巧い具合にくねらせたり、口を歪めたりして、今美味しいものばかりを吸い込む術を会得しようと忙しいところである。竜巻游泳も上達しようというところである。竜巻上部の灰色の頭が今ぽろりと首を落とした。首無し竜の勢も弱まってきたのかもしれない、ところで物の理から察するに、風が弱体すれば浮いていた体は一緒くたに落下する手痛い態である。恐る恐る竜巻の首から竜巻の足の方へ目をでんぐり返してみると、なんとも比重のおかしな光景が狭く奥行をもって広がっている。竜巻の下部には、なんと落下しても痛くないかのように、花びらたちが幾千重の饅頭布団でもあるかのように重なって、無数の黄色がほとんどキラキラと輝き、竜の喉たるトンネルを照らす光源じみて明るく満ち満ちているのである。それでもまだ落下するには早いようで、見え隠れする図太い木の棘の上をば避けねば刺さるだろう。それならまだくるくると狂おしく旋回したまま跳ね上げられた上空を転がっていたい気持ちである。そうやって竜巻の中、破れた翼めかせた両腕をそのじつ巧みに操り平泳ぎしていると、花が一層密度高く堆積して来て依然回るままであるからか花がまるで乳化遊びを始めたのだ。竜巻の力と料理の力とは似ているところがあるとわかり始める。竜巻内部にて、竜巻は壮大な料理を繰り広げていたのである。なんたる美食家たること、町を縦横無尽に食べ歩いた上、とうに不要となった舌のある頭部を落とし(頭で食べたのかは不明だが)、長い咽喉の奥処の細き胃袋にて緻密な料理を完成させるとは。「料理は舌で完成する」とはささやかな人間の話に過ぎないのである。竜の食事は胃袋で完成するのである。
落ちてゆく、落ちてゆく、どこまでも落ちてゆきたいのに、なかなか体は胃袋の方へ落ちてゆかない。それとももう落ちているのか。遠目の雲が近くで霧に変るように、近づけば近づくほど堆積は味気なく薄れるもの、この道理なのであろうか。懐かしい地の匂いが近づいている。旋回しながら落ちれば道長く、痛手も無いものだと閃く。上空には金の布団が柔らかく分厚く見えている。胸の谷間めいたヘルメットのように、それが迫り落ちてくる。
最後にはランディングに失敗し痛く尻餅をつき、十五回転半の後、すくりと立ち上がった。崩れた竜巻が頭の直ぐ上を燻したウイスキーのように只管スモーキーに漂っている。旨味と甘味を削いだ滑らかな燻煙である。
銘
囹
月