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葉巻のハズレに疲れたのか、最近関心がパイプに移りつつある。
理由は疲ればかりではない。パイプなら「ながらパイプ」で別の事に集中力を高めるのに役立ちそう。
葉巻はいつも不味すぎて集中力が落ち、美味しすぎれば煙にばかり集中してしまう。
パイプ煙草のレビューを読むと大抵ブレンドの分析に紙面が割かれているようで、ハバナ葉一枚の葉巻とは随分記述方法が違う。分析力を高めて集中力を阻害しないというか、そんな気がする。ハバナ葉一枚だとどうしても頭が煙に巻かれて飛翔してしまう。
飛翔したくないわけがないのであり、パイプで集中力を高めつつも節約した金額を、よりハズレ難い高額葉巻に費やそうという算段なのである。
理由は疲ればかりではない。パイプなら「ながらパイプ」で別の事に集中力を高めるのに役立ちそう。
葉巻はいつも不味すぎて集中力が落ち、美味しすぎれば煙にばかり集中してしまう。
パイプ煙草のレビューを読むと大抵ブレンドの分析に紙面が割かれているようで、ハバナ葉一枚の葉巻とは随分記述方法が違う。分析力を高めて集中力を阻害しないというか、そんな気がする。ハバナ葉一枚だとどうしても頭が煙に巻かれて飛翔してしまう。
飛翔したくないわけがないのであり、パイプで集中力を高めつつも節約した金額を、よりハズレ難い高額葉巻に費やそうという算段なのである。
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カブレラ・インファンテという人物が書いた『煙に巻かれて』という本がある。
訳者がどういう訳か若島正氏なのでかなり気になる。下手な書物の下手な翻訳はしない識者のはず。
煙は駄文を促す物質だから、半ば読みたく、半ば読みたくない。
「煙なのに何いってんの、この人」と馬鹿にされて然るべく真面目に書けば書くほど究極的な駄文に近づいていく。しかも読みたいのはその究極的な駄文の方なのである。
少し関係あるのだが、今まで「大徳寺納豆」を「大黒寺納豆」と書いていた。「大黒寺の大黒柱」とまで書いている。
訳者がどういう訳か若島正氏なのでかなり気になる。下手な書物の下手な翻訳はしない識者のはず。
煙は駄文を促す物質だから、半ば読みたく、半ば読みたくない。
「煙なのに何いってんの、この人」と馬鹿にされて然るべく真面目に書けば書くほど究極的な駄文に近づいていく。しかも読みたいのはその究極的な駄文の方なのである。
少し関係あるのだが、今まで「大徳寺納豆」を「大黒寺納豆」と書いていた。「大黒寺の大黒柱」とまで書いている。
凹んだ状態で本領を発揮する葉巻もあるらしい。今日のパルタガス898がそうだった。凹んだまま均一な燃焼をする。これにて葉巻は奥が深いと思いたくなるが、少し考えれば稀な奥深い谷が稀に発光したのみ。凸凹に沿うのは馴れだと思うけれど、馴れたところで凸凹を風光明媚とは思い難い。
物珍しく、たった一日一年ぶりに雪が降ったのだから『クァバのサロモネス』を齧ってみたものの、雪に合うかと思って選んだのに、結局は二ヶ月一回の床屋程度の味だった。終盤だけはけっこういける。しかし降る雪も虚しく排気ガスに汚れる雪だったので、全然違う事を考えました。
どうして榛名山(凸)の火種が良いか(▲)についてなのだが、凹みはどこかしらシケモクだからであり、早朝の湖のように平らな火種はいかに美味しくともたった一秒後にはシケモクに通じるからです。榛名山なら一分三十秒待ってもシケモクにはならない。「火が消えたら点け直せば良い」などというのは美味しさ一辺倒ではなく初心者への気遣い一辺倒だからです。榛名山を保つには、一分三十秒どころかもっとスパスパ吸わねばなりませんが、そのようにするとど偉い初心者氏はニコチン酔いするかもしれませんが、ニコチン酔いするしかありません。「毎日ロブスト以上のものを一本!」という具合に量をこなしてニコチン慣れするか、量をこなしつつニコチン酔いしつつ酔い難い燻らせ方を心得るしかないのです。着火し直すなどトンでもありません。シケモクがどれだけ不味いかはシケモクを吸ってみればすぐにわかります。オリンピックの聖火台のように火を絶やしてはならないのです。但しマッターホルンもトンでもありません。クールすぎてもホットすぎても、頭隠して尻隠さずというか、尻を隠しているだけなのであります。頭を隠して尻を出せば、それが榛名山になるでしょう。葉巻が美味しければこんな意地悪な事は考えずに済む。ハズレこそ悪なのであります。美味しければニコチン酔いしたって美味しいし、槍ヶ岳でもマッターホルンでも美味しい。しかしマッターホルンで美味しい物も、グランドキャニオンでは不味くなります。
全然関係ないが、排気ガスと副流煙はどちらが身体に悪いのか? どちらも悪いという事はわかるけれど。静かで快適なエコ葉巻をキューバ人が作るはずもない。
どうして榛名山(凸)の火種が良いか(▲)についてなのだが、凹みはどこかしらシケモクだからであり、早朝の湖のように平らな火種はいかに美味しくともたった一秒後にはシケモクに通じるからです。榛名山なら一分三十秒待ってもシケモクにはならない。「火が消えたら点け直せば良い」などというのは美味しさ一辺倒ではなく初心者への気遣い一辺倒だからです。榛名山を保つには、一分三十秒どころかもっとスパスパ吸わねばなりませんが、そのようにするとど偉い初心者氏はニコチン酔いするかもしれませんが、ニコチン酔いするしかありません。「毎日ロブスト以上のものを一本!」という具合に量をこなしてニコチン慣れするか、量をこなしつつニコチン酔いしつつ酔い難い燻らせ方を心得るしかないのです。着火し直すなどトンでもありません。シケモクがどれだけ不味いかはシケモクを吸ってみればすぐにわかります。オリンピックの聖火台のように火を絶やしてはならないのです。但しマッターホルンもトンでもありません。クールすぎてもホットすぎても、頭隠して尻隠さずというか、尻を隠しているだけなのであります。頭を隠して尻を出せば、それが榛名山になるでしょう。葉巻が美味しければこんな意地悪な事は考えずに済む。ハズレこそ悪なのであります。美味しければニコチン酔いしたって美味しいし、槍ヶ岳でもマッターホルンでも美味しい。しかしマッターホルンで美味しい物も、グランドキャニオンでは不味くなります。
全然関係ないが、排気ガスと副流煙はどちらが身体に悪いのか? どちらも悪いという事はわかるけれど。静かで快適なエコ葉巻をキューバ人が作るはずもない。
筒井康隆の『富豪刑事』に出てくる富豪刑事が惜しげもなく吸っては捨てている壱本8500円の葉巻はダビドフのロイヤルサロモネスなのではないかなぁ。
富豪刑事とは少ししか関係なさそうだが、面白おかしいリンク●
富豪刑事とは少ししか関係なさそうだが、面白おかしいリンク●
数ヶ月前、JT本社に併設の音楽ホールに行ったのだが、社屋の至る所に喫煙所があるというか、何処にでも灰皿が置かれているという感じで、喫煙者の聖地の雰囲気だった。世の中の灰皿が減るにつれ神聖度を増すような。これはこれで非喫煙者でも楽しめる処かもしれない。
喫煙者が減れば、いつか煙草を吸うというだけで大学生は入社試験に合格できるようになる。禁煙したら首になる。トンデモ会社のような印象であった。
喫煙者が減れば、いつか煙草を吸うというだけで大学生は入社試験に合格できるようになる。禁煙したら首になる。トンデモ会社のような印象であった。
「人それぞれ」とか云うけれど、人の良いところを全部剽窃している私にはそういう論理は通じないらしい。嗜好品にしても結局は万人にとって一番美味しいもの一点に至るだろう。一番不味い人間によって。『否定神学(■)』に似た話だが、『否定否定神学』のつもりではある。(要推敲)
名状し難くえも云われず筆舌に尽くし難く比類がなく名状し難く筆舌に尽くし難くえも云われず比類がない。全く全き紛う方なき古き佳きものだ。キ印だ。煙っぽさのみを抽出するとこういう事になるかと思う。
「バーは行きません。人がやっているからです。もし人がやっていなければ行くでしょう。ああ、喫茶店は人がやっていれば行くでしょう。」
つい先日「綿芋」と書いて、これは「新造語を使ってはいけない、それは無学の証明のようなものだ。良く読書をし、少なくとも三回読んだ事がある言葉を使うべし」と昔の文豪に怒られるに決まっているのだが、しかし「煙」をどうしろというのだろう。『尾崎翠/第七官界彷徨の構図その他』を読んでいて再度釘を刺されたのだが、『第七官界彷徨』には「煙の詩人」についての叙述がある。ドイツ語かフランス語圏の人らしいが、誰なのかわからない。著者の韜晦で実は著者本人なのかもしれないけれど。
銘
囹
月